第85話~クリント生誕祭、前夜祭編~

「これでよろしいでしょうか」

「ええ、とてもかわいらしいと思いますよ」


 おじい様の生誕祭の前日。

 ワタクシは朝からそわそわしていました。


 何せ今日は一世一代の勝負の日です。


 今日は何としてもホルストさんにワタクシのことを女の子として意識してもらわないといけません。

 できることならキスとかしてもらったり、なんなら大人の女性にしてもらってもいいのですが、エリカさんによると、ホルストさんは女の子に対しては手順を守るらしいので、そこまでは望み薄だと思います。

 少なくとも、仲間以上恋人未満くらいには親密度を上げたいです。


 ということで、演劇のペアチケットを手に入れて、今日に備えて準備してきたのです。

 ただ。


「服が決まりません」


 着ていく服が中々決まりません。

 一応事前に決めてはいたのですが、いざ着てみると。


「ちょっと派手ではないでしょうか」


 本当にこれでいいのか迷いが生じます。

 この服をホルストさんは気に入ってくれるのだろうか。

 髪型とかも自分ではいいなとは思うけど、ホルストさんには不評なのではないか。

 いろいろとネガティブな考えが頭に浮かんでは消え、不安になってしまいます。


 しかし、そんなに悩んでいる時間はありません。

 ホルストさんとは昼前に待ち合わせをしているのですが、もう9時を過ぎています。

 出かける前に湯あみをして、下着とかも新しいのに変えていきたいのですが、このままでは空しく時間だけが過ぎてしまいます。

 そこで助けを求めることにしました。


「エリカさん、助けてください」

「はい、はい、どうしたのですか」


 ワタクシがリビングにいるエリカさんに助けを求めた時、エリカさんは絵本を読んでいました。

 何でもノースフォートレスの妊娠中のママさんたちの間では、胎教とかいうものが流行っているらしく、エリカさんも興味を持って実践しているみたいです。

 今もお腹をさすりながら、お腹の赤ちゃんに絵本を読み聞かせていたみたいです。これをすると、生まれてくる子の頭が良くなるとか何とかという話らしいです。


 効果の真偽はともかく、その行為自体はとてもすてきだと思います。

 ワタクシも子供ができたらやってみようと思っています。


 おっと、話がそれてしまいました。


「エリカさん、デートに着ていく服が決まらないんです。助けてください」

「いいですよ。こっちへ来なさい」


 エリカさんの指示でとりあえずお風呂に入り下着を変えます。

 そして、エリカさんはワタクシを鏡の前に座らせると、着替えを手伝ってくれます。

 髪を櫛で梳かし、服を着せ、最後はお化粧までしてくれました。


「これでばっちりだと思いますよ」

「これでよろしいでしょうか」

「ええ、とてもかわいらしいと思いますよ」

「ありがとうございます」

「それじゃあ、がんばってきなさい」


 ワタクシはエリカさんに背中を押されて家を出ました。


★★★


 俺は今町の広場にいる。

 これからヴィクトリアと演劇を見に行く約束をしていて、その待ち合わせのためだ。


「ちょっと早く来すぎてしまったかな」


 実は約束の刻限までまだ時間があるのだが、既に俺は30分以上待っている。


「女の子を待たせてはいけませんよ」


 エリカにそう言われたので家を早く出たのだった。

 それは正しいことだと思うが……それにしても早く来すぎてしまった。少しどこかで時間を潰すか。いや、でも。


「ホルストさ~ん」


 そんなことを考えているとヴィクトリアがようやく来た。


「おっ」


 俺はヴィクトリアを一目見て瞠目した。


 ヴィクトリアはとてもかわいらしい恰好をしていた。

 白のブラウスを着て、黒の長めのスカートをはいている。

 髪はアクセサリーですっきりとまとめられていて、清潔感がある。

 普段あまりしてない化粧をしているのも、グッドだ。

 後、胸につけているブローチもよく似合っている。

 というか、このブローチ、以前、俺が買ってやったやつだ。

 俺が買ってやったアクセサリーをつけてくるとは……なんか愛らしさを感じてしまう。


「何かワタクシの顔についていますか?」


 俺がヴィクトリアに見とれていると、突然ヴィクトリアがそんなことを聞いて来た。

 完全に奇襲攻撃だったので、俺は慌てて言い訳する。


「いや、ついてないよ。ただ、服似合ってるなと思って」

「ありがとうございます」


 服装を褒められてうれしいのだろう。ヴィクトリアがにっこりとほほ笑む。

 それを見て俺は思う。

 ヴィクトリアがヴィクトリアじゃないみたいだと。


「それでは行きますか」


 ヴィクトリアが俺の手を取る。


「劇は昼過ぎからなのですぐに始まってしまいます。お昼はそこの屋台のピザ屋さんでピザとジュースを買って済ませましょうか」

「ああ、それでいいよ」

「じゃあ、行きましょう」


 こうして、俺はヴィクトリアに引っ張られるように演劇を見に出かけるのだった。


★★★


 劇場は人で溢れていました。

 心なしか、男女のカップルが多いような気がします。

 今日の演目はどちらかと言うと女性向けの内容なので、ワタクシのように女性の方から誘った方が大半だと思います。


「チケットを提示してください」

「はい、どうぞ」

「はい、確かに確認しました。どうぞ、お入りください」


 チケットを出して中へ入ります。

 ワタクシたちの席は劇場の真ん中あたりでした。


「さあ、座りましょう」


 ワタクシはホルストさんの手を引き席に着きました。

 席についてしばらくは二人とも一言もしゃべりませんでした。

 何だか二人とも緊張してしまって、切っ掛けが掴めなかったのです。


 そのうちに。


「今日の劇、楽しみですね」

「そうだな」

「それより、喉が渇いたな。買ってきたジュースでも飲むか?」

「はい」


 こうしたたわいもない会話が始まりましたが、どこかぎこちない感じがします。

 そうこうしているうちに劇が始まりました。


 今日の劇は勇者がドラゴンを倒して捕らわれのお姫様を助けて、そのお姫様と結婚するという内容で、原作の方は読んだことがあります。

 劇はまずお姫様がドラゴンに攫われるところから始まり、勇者が旅に出て、やがてドラゴンと戦うところまで進みます。


「さあ、姫を返してもらうぞ。覚悟しろ」

「そうはさせぬ。勇者よ。お前の方こそ地獄に堕ちるがよい」


 互いに決め台詞を吐いた後、戦いのシーンになります。

 この決め台詞は原作のお話の中でもカッコいい所でワタクシは好きです。


 ワタクシも、ワタクシのために誰かにこういうことを言ってもらいたい。

 ワタクシはちらりと隣の席のホルストさんの顔を見ます。


 ホルストさんは勇者とドラゴンの戦いのシーンを食い入るように見ています。

 こういう熱い戦闘シーンは男の子は好きですから、夢中なんだと思います。

 そういうホルストさんの無邪気な一面を見ると、ますますホルストさんのことが愛おしくなってきました。


 ワタクシはホルストさんの手にそっと自分の手を重ねました。

 すごく固くて筋肉質な手です。

 ホルストさんは365日、雨の日も風の日も鍛錬を欠かしません。

 この固くて立派な手はそれの賜物です。


 ワタクシが触ったことでホルストさんの手がピクっと反応します。

 何事かと、こちらを見てきます。

 ワタクシはそれを無視して、ホルストさんの手をギュッと握りしめます。

 そして、周りの迷惑にならないように小声で言います。


「まるで勇者様のように立派な手ですね」

「そうか、な?」

「ええ、立派だと思います。もしかしたらお話に出てくる勇者様よりも。だって、この手でワタクシを。いえ、ワタクシだけではありませんね。ワタクシだけでなくエリカさんやリネットさん、他にも様々なものを守ってきたではないですか。だから、ワタクシにとっては勇者様以上の手です」


 ワタクシは手にさらに力を籠めます。


「ワタクシ、勇者様に憧れがあるので、どうせ劇を見るなら、少しでも憧れの勇者様の雰囲気に近いものを感じられたらいいなと、思うんです。だから、劇の間だけでもこの手を触っていてもいいですか」

「ああ、構わないぞ」


 ホルストさんは照れくさそうな顔をしながらも許可を出してくれました。

 やったー。ホルストさんの手を握ろう作戦成功です。

 これで堂々とホルストさんの手を握れます。

 こうしてわたくしがホルストさんの手を握っている間にも劇は進みます。


「とどめだ!」

「ぎゃあああ」


 ドラゴンが勇者に倒されると。


「わー」


 劇場が歓声で沸きます。

 ワタクシとホルストさんも思わず立ち上がって拍手をします。


 そして、いよいよラスト。勇者とお姫様がキスをするシーンです。

 会場の、特に女性の視線が舞台上に集中します。


「姫、私と結婚してほしい」

「よろこんで」


 そんなセリフの後、二人はキスします。

 きゃー。

 ワタクシは心の中で叫びます。ワタクシもこんな風にされたい。そう思います。


 ふと周囲を見回すと、なんかキスをしているカップルがあちこちで見受けられます。

 この流れにワタクシも乗らねば。

 とはいっても、いきなりキスはできないので別のことをします。


 ワタクシは、ホルストさんの腕にギュッと抱きつきます。

 拒否されるかなと思いましたが、何とホルストさんはワタクシを抱きしめ返してくれました。

 黙ってワタクシの背中を撫でてくれます。


 とても気持ちがよかったです。

 好きな人に触ってもらえるということは、とても幸せなことだと思います。

 ワタクシは劇が終わるまで、そのままホルストさんに抱きついていました。


★★★


 劇が終わった後はレストランでヴィクトリアと食事をした。

 それなりのコース料理を頼んで食べているのだが、ヴィクトリアの顔をまともに見られない。

 先程の劇場での件を思い出すと、恥ずかしくてヴィクトリアを見れないのだ。

 それはヴィクトリアも同様のようで、視線をキョロキョロさせ、俺と目をあわせないようにしている。


 しかし、さっきはちょっと迂闊だったかなと思う。

 何がかって、ヴィクトリアを抱きしめてしまったことだ。


 さっきのヴィクトリアは、何というか、滅茶苦茶かわいかった。

 いきなり俺の腕を抱きしめてきたのだ。

 普段から突拍子もないことをする奴だから、劇を見ていて、感極まって、いても立ってもいられなくなって、思わず隣にいた俺の腕にしがみついたのだと思うが、劇がクライマックスであったこともあり、俺も流されてしまった。


 なに、この生き物可愛い。

 と、抱きしめ、あまつさえ背中まで撫でてしまった。


 奥さんがいる身なのに、他の女にちょっかい出してしまうなんて、自制心の利かなかった自分が本当に情けない。

 いきなり、了解も得ずに抱きしめてしまうなんてヴィクトリアに悪いことをしたと思う。

 後で謝らなきゃなと思いつつ、俺は黙々と飯を食うのだった。


 食った後に味はあまり覚えていなかった。


★★★


 劇の後、ホルストさんと食事をしましたが、うまく会話できませんでした。

 昼間あんなことがあって、お互い気恥ずかしかったからだと思います。


 レストランの帰り道、二人で並んで歩いていると、ようやくホルストさんが話しかけてくれました。


「昼間は、その悪かったな。その黙って、急に抱きしめたりして。いきなり男に抱きしめられるなんて、嫌じゃなかったか?もし、嫌だったなら謝るよ。ごめん!」

「別に謝る必要はありませんよ。ホルストさんが抱きついたのはワタクシが先に抱きついたからでしょうし。それに別に嫌でも何でもありませんよ。なぜなら」


 なぜなら、ワタクシはあなたのことが大好きだから。

 本当はそう言いたかったのですが、その言葉は口から出てこなかったです。

 恥ずかしくてとても言えなかったからです。

 それに、ワタクシは好きだという言葉はホルストさんの方から先に言ってもらいたいと思っています。

 それがワタクシの理想だったから。


 だから、ワタクシはこう言うのだった。


「ワタクシたちは仲間じゃないですか。ほら、前も海の主と戦った時、錯乱したワタクシを抱きしめて落ち着かせてくれたじゃないですか。ああいうことはこの先もあるはずです。だから、一々気にしないでください」


 ワタクシはそう嘘をついた。


「わかった。お前がそれでいいというのならそれでいい。さあ、帰ろうか」


 そこまで言うと、ホルストさんはワタクシの手を引いて歩き始めました。

 そして、しばらく歩いた後、こう言うのです。


「また、一緒に劇を見に行こうな」

「はい、喜んで!」


 その日、ワタクシはウキウキしながら家に帰るのでした。

 その晩、またホルストさんと一緒に劇を見に行くことを想像して、ワタクシは眠れませんでした。


★★★


 その日、俺は夜眠れなかった。

 昼間のヴィクトリアのかわいらしさを忘れられなかったからだ。

 隣で奥さんが寝てるというのにとんでもないな。

 そう思いつつも、どうにもならないのだからしょうがない。


 結局、気がついたら朝になっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る