第7話 たすける

 アンドレイはトーブス・レヴェンシアニスの一人息子である。

 父であるトーブスは貴族の避暑地として有名なティタニエの運営を、レヴェンシアニス侯爵家の当主である兄のエルドから任されていた。


 その運営手腕は確かなようで、毎年多くの貴族がティタニエに訪れている。

 やがてその手腕は息子に引き継がれ、ティタニエの繁栄は続いて行くのだろう。


 アンドレイはそれが嫌だった。

 何度か避暑に訪れた貴族たちとの会食に参加したが、来年も来てもらおうと作り笑いを浮かべて接待する両親の姿が、アンドレイの目には酷く滑稽に映る。


 アンドレイには冒険者……いや、英雄になるという夢があった。

 今よりも幼い頃、乳母が話してくれた過去の英雄の冒険譚に胸を躍らせ、自分も語り継がれるような英雄になるのだと興奮して眠れない夜を過ごす。


 侯爵家の子息が冒険者になるなどありえないことだし、普通なら年齢と共に夢から覚めて諦めるのだが、幸か不幸か彼には才能があった。

 強力な【武神の加護】を持つアンドレイは、齢十歳にして大人の顔負けの剣技を身に着けていた。


 だがトーブス・レヴェンシアニスの息子でいる限り、この才能が生かされることはないだろう。

 大人になったら他の貴族の前で薄ら笑いを浮かべる仕事に就くのだ。


 だからそうならないように、彼はわざと両親に失望されるような態度を取ることにした。

 わがまま放題をして貴族としての勉強もしなければ、失望して他に跡継ぎを探してくるだろうという魂胆だ。


 実際は真面目で勉強も出来るアンドレイだが、真逆の性格を演じつつ影でこっそり剣術の鍛錬を積む。

 義理の従妹のシアルフィーネの登場には驚いたが、なかなかに優秀だったので自らの無能アピールの比較対象として利用した。


 孤児から拾われて不自由な貴族になるだなんて可哀そうな奴、なんて一般的な考えとは真逆な同情をしていたアンドレイだったが、三日前に状況が一変する。


 彼女はたった一人で強力な魔獣である猪突牙獣を倒してしまった。

 あんなものは熟練の冒険者パーティーや、騎士団の分隊が連携して討伐する存在である。

 大人顔負けの実力を持つアンドレイでも、一人で猪突牙獣に挑んだところで嬲られて終わるだろう。


 更にそれだけではない。

 シアの魔術の家庭教師があの〈流星〉だったのだ。

 〈流星〉というのは森人エルフの冒険者ステラ・ヴィアの二つ名である。


 二つ名は冒険者の中でも優秀な者しか名乗れない称号だ。

 しかも〈流星〉は五段階ある冒険者の階級の中でも頂点である第一位階冒険者で、国内に数名しか居ない存在……すなわち英雄であった。


 強さで負けただけでなく、英雄に師事しているという恵まれた環境のシアに対して、アンドレイは嫉妬を覚える。

 それからはシアに辛く当たるのも、マウントを取ろうとするのも、演技ではなく本心になってしまうような気がして出来なくなってしまった。


 この劣等感を解消するにはどうすればよいか悩んだ結果、アンドレイは〈流星〉に師事を請うことにした。

 同じ師の元で鍛錬すればきっとシアなんかより強くなることが出来る。


 そう思い〈流星〉のもとを訪ねたが、彼女は「君には私の修行は耐えられないよ」と言い首を縦に振ることはなかった。


 それはきっと僕の実力を知らないからだ。

 大人に負けない剣の腕を見せれば認めてくれるに違いない。


 だから昨晩、剣技を披露しようと屋敷を出た〈流星〉を追いかけたのだが、すぐに門番に見つかり連れ戻されてしまった。

 今晩こそは誰にも見つからずに〈流星〉を追いかけなければ。





『あれはやばいな』

「助けるわ」


 屋敷近郊の森でアンドレイを発見したシアの判断は早かった。

 駆ける足に力を込めて一気に近づく。


 地面に倒れるアンドレイの上に何かが覆い被さっている。

 それは人のように二本足で立つ異形の怪物であった。


 全体的に丸みの帯びたフォルムで、濃紺のつるりとした皮膚に覆われている。

 衣類は身につけておらず、色に目をつむれば手足の生えた蛇人間といった様相だ。


 蛇人間はアンドレイの腹を足で押さえ付けながら、右腕に食らいついていている。

 そして頭を捻りながら持ち上げると、ブチブチと音を立てながらアンドレイの腕が引き千切られた。


 少年の口から絶叫が迸る。


 シアが蛇人間に到達したのと、血の滴るアンドレイの腕が鋭い牙の生えた顎に飲み込まれたのは同時だった。

 駆け付けた勢いのまま背中に飛び蹴りを食らわせると、蛇人間の体がたたらを踏んでアンドレイから離れる。


『まだ斬るな』

「ん?なんで?」


 疑問に思いつつもシアはアキの指示に従う。

 小さな闖入者に蛇人間が威嚇の唸り声を上げて襲いかかる。


 鋭い爪の伸びた太い腕でシアに掴みかかろうとするが、それを股下に滑り込んでするりと躱す。

 そして目の前で垂れ下がる尻尾をむんずと両手で掴んだ。


「ふんっ」


 シアが踏ん張り尻尾を引っ張ると、自身の背丈の倍以上はある体躯が持ち上がり宙を舞った。

 放物線を描いて木々の枝を折りながら蛇人間の巨体は飛んでいき、一本の巨木に激突してようやく止まる。


 よろよろと立ち上がった蛇人間を出迎えたのは白銀の刃だ。

 シアの飛び上がりながらの斬撃は、蛇人間の股下から頭部までを垂直に切り裂いた。


『そのままどこかの木に掴まるんだ』


 言われるがままにシアが近場の枝にぶら下がると、地上は大変な事になっていた。

 体を縦に裂かれて絶命している蛇人間からは、体色に似た紫の血が吹き出している。

 その血が触れている地面や巨木からは白い煙が上がっていた。


「げ、あれってもしかして溶けてる?返り血浴びてたらやばかったね」

『あいつは蛇頭って名前の〈闇の眷属ミディアン〉だ。まあ俺は勝手にエイリアンと呼んでるがな』

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