4-2 生きて欲しいと願うこと、言葉にすること
――静佳、どうしたらいい?
意見を求め、梓はベッドの静佳を見やった。静佳は眠っているばかりで応えない。
――本当なら君自身の口から語るべきだよ
あの日、静佳は抱えていた物すべてを自分の言葉で声に出して吐き出した。大雨に加え、足元には荒れ狂う濁流という緊迫した状況のせいで梓も静佳自身も静佳が声に出して話をしている事実に気づいていなかった。
意を決し、梓は口を開いた。
「静佳は、お母さんが死んでしまったのは自分のせいだと言っていました」
「火事は事故だったんだ。助けに戻ったのだって、親ならそうする。あの子が家にいなかったのは偶然の出来事で、不運だったのだ。一度でもあの子を責めた私が言えることではないが、静佳のせいではないというのに」
「火事のあった日、静佳はお母さんに叱られて喧嘩したそうです」
「静佳と妻はよくぶつかっていた。反抗期の静佳に手を焼いているとは聞かされていたよ。どうしたものかと相談もされた。だが、私は逃げた。すべてを妻に放り投げ、そうしておいて妻からも静佳からも逃げた。仕事を理由にしてだ。情けないじゃないか」
森川氏は両手で顔を覆った。
「お母さんと喧嘩した静佳は、腹立ちまぎれに『死ね』と口走ったそうです」
覆っていた両手をはなし、森川氏は顔をあげた。眉と唇がちぐはぐな具合に曲がっている。
「『死ね』と……。私たちは同じ過ちを犯していたのか」
梓はこくりと頷いた。
「簡単に口にしてしまった『死ね』という言葉の通り、お母さんが本当に死んでしまった。静佳は、お母さんが死んだのは自分のせいだ、自分が母親を殺したんだと」
ああと叫び、森川氏はベッドに突っ伏し、ちぎらんかなの勢いでシーツを握りしめた。ベッドに顔を押し付け、森川氏は泣き始めた。
ハハッ……ハハハッ……と、笑い声にも聞こえる泣き声だ。まるで久しぶりに泣くのでどう泣いたらわからないと戸惑っているかのようだ。やがてハッハッと息遣いが荒くなり、出す息と共に声が出るようになるともう泣き声は止まらなくなった。森川氏は肩を震わせ、しゃくりあげた。まるでセキュリティアラームのようにけたたましく、不安感を煽る泣き声だ。
梓は、森川氏を泣きたいだけ泣かせておいた。後悔、懺悔、恥、痛み、悲しみ、憎しみ……森川氏が抱え続けてきた負の感情が次から次へと放たれていく。言葉にこそなっていなかったが、森川氏の思いを梓は泣き声に姿を変えた音としてとらえていた。
泣きつかれた森川氏は、体を椅子に預けてぐったりとなった。わずかの間に頬がこけ、泣きはらした目が眼窩に落ちくぼんでいた。
「ちょっと待っていてください」
梓は病室を飛び出していった。自販機を見つけると、ペットボトルの水を買った。ペットボトルを手に戻り、椅子にのびている森川氏の目に冷えたペットボトルをそっと押し当てた。
「気持ちいいですか?」と尋ねると、森川氏は二度三度、小さく頷いた。
「しばらくの間、目にあてておいてください。少しは楽になりますから」
梓は、だらりと垂れた森川氏の腕を取り、顔面へと導いた。目にあてたペットボトルを支えるように森川氏の手の位置を調節する。「ありがとう」と消え入りそうな声で森川氏が礼を言った。
「どうか、自分を責めないでください。静佳と同じ過ちを犯さないでください。変えられない過去を悔いても仕方ないんです。でも、先行く未来は良い方に変えられるはずです」
梓は、静佳の枕元近くの花瓶に目をやった。「希望」と「未来」のデイジーやガーベラがにっこりと笑いかけてくる。
「自分のせいで母親が死んでしまったと静佳はずっと心の中で謝り続け、母の日にはカーネーションのかわりにカンパニュラという花を贈るほどでした」
「カンパニュラ? それはもしかして、紫色の鈴がついたような花では?」
ペットボトルをはがし、森川氏が椅子の上で姿勢を正した。その目は真っ赤に腫れあがってしまっていた。
「そうです」
「その花なら静佳が妻の遺影の前に飾っていた」
「カンパニュラの花言葉は『ごめんなさい』。直接、謝ることができないため、静佳は花に気持ちを託したんです」
「そうか……きれいな花だからとばかり思っていたが、そういう意味があったとは……」
「『死ね』と言ったその言葉のせいで母親が本当に死んでしまった。静佳はそう考えていました。口にした言葉が現実化する。そう思うと、簡単には言葉を口に出来なくなり、そうこうしているうちに口がきけなくなってしまったそうです」
「そうだったのか……」
森川氏はしばらくの間、静佳の顔をじっと見つめていた。腫れた目から枯れたはずの涙が流れたが、森川氏は拭いもせず、溢れるにまかせていた。
「言葉が現実化する。私は静佳のその考えをバカげたものとして笑い飛ばせない。私も『死』を望み、口にしてしまった。その言葉の通り、静佳は死んでしまったのだから……」
「まだ死んでませんよ」
「死んだも同然だ!」
森川氏が怒鳴った。梓はたまらずひるんだ。梓が脅えているとみて森川氏は「大声をあげてすまなかった」とすぐさま謝った。
「生きているとは言えないだろう……」
森川氏の視線を追って梓はベッドに横たわる静佳に目をやった。
細い腕にはチューブが挿し込まれている。自力で食事を摂ることは出来ないため、栄養は点滴で体に流し込まれている。排せつもチューブを介して行われているのだろう。呼吸だけは自力で行えていて、寝息をたてている静佳の寝顔は笑っているようにすら見える。
「意識が戻らないのは、本人が戻ってきたいと願っていないからではないのかと思うんだよ」
森川氏がため息まじりに言った。そうだろうと梓も思った。だが、その考えは口にはしなかった。
「言霊を信じますか?」
森川氏は静佳の寝顔を見つめながら、こくりと頷いた。
「なら、祈ってください。生きて欲しいとの思いを口にしてください。『死ね』を現実化させるというのなら、『生きて欲しい』という思いも現実化させるはずです。そうすれば、静佳は必ず戻ってきます。静佳が戻ってきたら、愛しているという気持ちを言葉にして伝えてください」
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