3-11 謝らなくては
樹がインターホンを鳴らすと若い男の声が応対に出た。名前と訪問の約束があると告げると、耳障りな軋み音をたてて鉄格子の門が開いた。
樹の後に続いて門をくぐったものの、梓の足取りは重い。気持ちも重い。吉元に謝罪に行くのだから歓迎されないとはじめからわかりきっている。心浮き立つ訪問ではない。目の前に迫る白亜の豪邸が処刑場としかうつらない。
「ねえ、どうしても謝らないといけない?」
玄関まであと数歩というところで梓は足を止めた。先を行っていた樹が振り返った。
「謝りたくないんだね?」
こくりと頷くと、樹は深いため息をついた。
「謝りたくないってことは、悪いことをしたとは思っていないんだね?」
「そうだよ!」
梓は開き直った。殴って傷つけたことは悪いことだと樹にたしなめられ、謝ると決心したものの、心の底に澱んでいる何かがあった。いざ吉元の家に着いてみると、感情がかき乱され、沈んでいたはずの何かが表に浮かび上がってきてしまった。
「どう考えたって悪いのは吉元の方なんだ。静佳にむかって『死ね』なんてひどいことを言ったんだから」
「だから殴っていいとはならないだろう? 第一、ひどいことを言われたのは梓じゃなくて、静佳って子だろう?」
「友達がひどいことを言われて黙っていられないよ」
「黙っているべきだったね」
「どうして?!」
梓は声を荒げた。吉元以上に樹に対して腹が立ってきた。梓の苛立ちを知ってか知らずか、樹は落ち着いて構えている。
「吉元という子と静佳という子の問題だ。二人で解決すべきところに梓は力をつかって割って入って行ったんだ」
「だから、それはっ!」
「頼まれもしないのにね」
吉元がひどいことを言ったからだと同じ言い草を繰り返そうとする梓を樹がさえぎった。
「百歩譲って、静佳っていう子に殴ってくれと頼まれたというならまだ理解できる。力を使うことはよくないけれども。正義の味方にでもなったつもりだったのかい? いいか、梓。お前がやったことはね、友達がひどいことを言われたという理由を言い訳にして暴力をふるったということなんだ。それは正義なんかじゃない」
「言葉の暴力はどうなのさ? 『死ね』だなんて言葉で殴るようなものじゃないか。言葉で殴られるのだって痛いんだよ? 先に殴ったのは吉元の方なんだ」
「殴られたから殴り返した? 殴られたのは静佳って子で、梓じゃない。混同するな。梓は自分から殴りにいった。それは間違いだ。そのことについては謝らないといけない」
「なら、吉元も静佳に謝らないといけない。言葉で傷つけたんだから」
「そうだよ」
「でも謝らないよ、きっと」
「それはその子の問題。過ちを認めないことの結果は彼自身が負う。自身を正すことができるのは最終的には自分自身であり、他人が関わることじゃない、しかも力をもってしてね。わかるかい? 自分が何をしたのか」
梓のいらいらした口調にも樹は乱されなかった。一言一言、穏やかな声音で発せられる樹の言葉は、梓の気持ちの澱を丁寧に掬い取っていく。
「僕は……吉元を力ずくでねじふせようとした?」
怒り、憎しみ、嫌悪、思い込み、同情、正義感……感情の澱が濾されてみれば自分の取った行動の核が透けてみえた。
「いいかい、謝るのは梓自身のためなんだ。まず、過ちを犯したと自分が認めなくてはいけない。相手にゆるされるためでなく。ゆるされることを考えてはだめだ」
*
秘書だという若い男性に案内され、梓たちはリビングへと通された。リビングは白を基調としたモノトーンのインテリアでまとめられ、所せましと白い胡蝶蘭が飾られている。
吉元はソファーに座っていた。隣に座っている中年の女性が母親で市会議員の吉元明子だ。選挙のポスターで見知っている顔だが、今日はポスターのように笑顔とはいかない険しい顔つきだ。
「藤野です。今日は、お忙しいところ、お時間を割いていただきましてありがとうございます」
樹が深々と頭を下げた。梓も樹を見習って頭を下げる。
二人の挨拶に、吉元親子は無反応だった。ソファーから立ち上がりもしない。吉元に至っては梓の顔も見たくないといった風にぷいと横を向いてしまっている。殴られた左頬が赤く腫れていた。梓の右手がじんと痛んだ。
秘書の男に勧められ、梓と樹は吉元親子と向かい合って座った。
「お茶なんか期待しないでちょうだいね。歓迎するお客なんかじゃないんですから」
開口一番、吉元明子はきついジャブをくらわしてきた。身構えていたとはいえ、気持ちのいいものではない。かっと頭に血がのぼって赤くなった頬がまるで殴られたように熱い。
吉元明子の嫌味をするりとかわし、樹は訪問の目的を告げ始めた。
「弟が息子さんを殴ったということで謝罪にお伺いしました。本人の口から――」
「弟? あなた、お兄さんなの?」
吉元明子が樹の口上をさえぎった。
「親にしては若いと思ったけれど、考えなしに子供をつくるような親だからなのねと思ってたの。親はどうして出てこないの? こういう時は親でしょうに」
「母は他界しています。父は再婚して別の家庭がありますから。僕が梓の保護者です」
「あらそう。家庭環境が複雑だから、平気で人を殴るような子に育ったのね」
白い高級そうなスーツをまとい、一糸の乱れもないほどにセットされた髪。見た目には清潔感溢れるが、その口から出てくる言葉には反吐が出る。
自分の行為についてあれこれ言われることは覚悟してきた。しかし、親についてはただの悪口だから我慢ならない。我慢ならないが、言い返したり、それこそ殴ってしまっては元も子もない。
梓は、唇を噛みしめ、こみ上げる怒りをぐっとこらえた。腿の上で握りそろえた両手にも自然と力が入ってしまう。ふと横に視線をやると、樹の両手もまた拳を作っていた。その手の甲には血管がくっきりと浮き出ている。
「吉元くん、殴ったりして悪かった」
梓は深々と頭を下げた。梓の謝罪など受け付けないといわんばかりに吉元は顔をそむけたままでいる。
「口では何とでも言えるわよね。本当に悪いことをしたと思っているのかしら。そちらは謝って気が済むんでしょうけどね。怪我をさせられた息子にしてみたら、謝られてもという気持ちですわね。大した怪我じゃないと思ってるでしょう? 怪我の程度の問題じゃないんですよ。怪我させられた、傷つけられたということが問題なの。わかります? 打ちどころが悪かったら死んでいたかもしれないんですよ」
吉元明子は大げさに身震いしてみせた。
「ひどい話じゃないの。文化祭の出し物のことで注意したら殴られるだなんて。そちらが注意されるような悪いことをしたから息子は注意したんですよ? それを逆恨みして殴るなんてとんでもないから、校長先生にお話しするって言ったのに、息子が大げさにしたくないからって言うから、ここだけの話に収めることにしたんです」
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