3-10 転化の術
「それが例の言霊?」
柊の視線が樹の手元に注がれていた。樹は手にアザミ、ヒイラギ、ススキを握っている。吉元が放った「死ね」という言霊を樹が花として摘んだ。
出張から戻ってきた柊に、梓はすべてを話して聞かせた。「死ね」という言霊が生まれてしまったこと、「死ね」と言われてしまった静佳をどうにか助けたいと思っていること……。
「生まれてしまった以上、言霊は『死』を現実化する。それはわかっているね?」
「わかってるよ。けど、どうにかしたいんだ……」
正座した膝の上で梓は両手拳を握りしめた。右手の関節部分は赤く腫れ、痛みもまだ残る。
「どうにかしたいってことは、死なせたくない、ということだね?」
柊が確認するように尋ねる。梓は力強く頷いた。
「言霊に善悪の認識はない。言葉を忠実に現実化する。『死ね』と言われたその子は死ななければならない」
柊が冷静に言い放った。
「言葉を忠実に現実化するというのなら、僕が『死ねと言われたが、静佳は死ななかった』と言えば静佳は死なないで済むのではないの?」
「そうだね」
柊が穏やかに微笑んでみせた。しかし、次に放たれた言葉は梓を凍りつかせた。
「でも『死』そのものは初めに現実化する。言葉では否定できる『死』だとしても、すでに滅んでしまった肉体を生き返らせることは現実世界では不可能だ」
絶望にうちひしがれ、梓は顔を覆って天井を仰いだ。
「『死』によって滅びるものが肉体とは限らないのじゃないのか?」
樹が柊に問う。
「『死ね』という言葉によって滅びるものが肉体でなければ、少なくとも、その静佳という子の命は助かるんじゃ?」
「命は、ね……」
柊が含みのある言い方をした。
「それでも、死んでしまうよりマシだよ」
梓は藁にもすがる思いで柊を見つめた。見返す柊は、困ったといわんばかりにこめかみに手をあて、小さな吐息を漏らした。
「さっきも言った通り、『死ね』と言われた以上、『死』は現実化する。これはどうしようもない」
すうっと立ち上がったかと思うと、柊は床の間へと足袋をはいた足を進んでいった。
床の間にはコスモスの花が生けられてあった。信楽焼の水盤に薄紅のコスモスが映える。水盤を手に、柊が戻ってきた。座卓の上に水盤を置き、柊は生けてあったコスモスを引き抜いた。
「樹、例の言霊の花を」
柊に促され、樹がアザミ、ヒイラギ、ススキの束を柊の前に差し出した。柊は、羽織りの袂をくりながら、それらを一つ一つ座卓の上に並べた。
「言霊が生まれてしまった以上、『死』は現実のものとなる。しかし、『死』は肉体の滅亡だけを意味するわけではない。存在しているものが滅すること、存在していた時とは違う姿に変わる事象とも解釈できる。発言者の意図は肉体の滅亡だっただろうけども、言霊の花を編みかえることで起こり得た現象を変えることが出来る」
「と、いうことは?」
梓は身を乗り出した。
「少なくとも命は助かるだろう」
柊は、目の前の花を一本一本手に取り、吟味し始めた。ところどころ穂の抜けたススキはみすぼらしくうなだれている。ヒイラギの葉は鋭い歯をむきだして威嚇しているようだ。アザミは花にも葉にも細かい棘をまとっている。アザミの花を手にした柊が顔をしかめた。どうやら棘が指をさしたようだった。
「自分の身を守ろうと必死だね。虚を張って大きく見せたり、毒々しい色合いで牽制したり、身を守る手段は様々だ。棘をまとうのもその一つ。触れるものを傷つけ、近づけさせないようにする。でも、それでは近づく人はいなくなるし、嫌われるばかりだ。それで構わないというのならそれはそれでいいけれども。自分の身を守るための棘で積極的に他人を傷つけにいってしまってはいけないね」
柊はアザミ、ヒイラギ、ススキを水盤に生けた。棘だらけでお世辞にも見目麗しいとは言えない花たちが柊の手によって趣のある生け花となった。梓は感嘆のため息を漏らさずにはいられなかった。
「いつもながら、柊兄さんの生け花はすごいや。どうってことない花が華やかになるんだから」
「美醜は主観的な感覚にすぎない。命は存在そのものが美しい。言霊も同じだよ。たとえ歪であっても、それは悪ではないし、醜いわけではない。ただ、『そうである』というだけだ」
「『死ね』という言霊でも? 絶対に口にするなってきつく言われてきたよ? それは悪いことだからではないの?」
「悪意を込めれば、ね。美醜と善悪と同じ。すべて主観的な感覚にすぎない。言霊はただ存在しているだけ。意味を与えるのは発言者なんだ。僕はその意味を書きかえる力を持っている。言霊の花を組み替えてね。僕だけが持つ能力だ」
「柊兄さんが『死ね』の言霊を組みかえたってことは、静佳はもう死なないで済むってこと?」
「何をもって死とするかによる」
安心したのもつかの間、柊の一言は梓を再び不安へと駆り立てた。
「『死ね』という言葉は非常に強い。相手への強い憎しみを感じる。憎しみは相手への強い関心、愛の裏の顔と言ってもいい。『死ね』と言った生徒は、静佳という子に強い執着があるんだね」
「そうなんだ。何かと絡んでくる」
「そう。それはもしかしたら、自分と重ねているのかもしれない」
「吉元と静佳が?」
梓の声が盛大に裏返った。
「彼は何か言いたいことがあるのじゃないのかな? 言いたいことがあってもなかなか言えない。静佳という子は口がきけないという理由で言いたいことを言えずにいても周囲に大目に見てもらえている。だが、その吉元という子は口がきけるにもかかわらず、言いたいことは言えない。自分自身に落胆し、苛立っているのじゃないか? そのはけ口が静佳という自分のコインの裏のような存在へと向かう。『死ね』という言葉には、静佳という子の存在を目の前から消したい、意識せずになりたいという願望がこめられているように思ったよ」
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