第3章 嵐
3-1 あやしい雲行き
「静佳! 練習に遅れる!」
「今行くよ♪」
歌いながら静佳が梓の背を追いかけてきた。
「ミュージカルかっての」
すぐさま吉元の悪口が飛んできた。浜尾と松田がゲラゲラと笑った。静佳は走りながら後ろを振り返り、「急ぐんだ♪」と歌いながら舌を出してみせた。とたんに浜尾たちの笑い声がぴたりと止んだ。
静佳は吉元たちのからかいに対してやり返すようになった。言い返せはしないから、歌で返す。
「やるねえ」
「まあね♪」
笑いあいながら、静佳と二人で講堂を目指した。文化祭まで後二週間と迫っている。今日は軽音学部の全体リハーサルの日だ。
「よお、これから練習?」
「文化祭、楽しみにしてて♪」
講堂へむかって廊下を走っていると別のクラスの生徒から声をかけられた。静佳が歌えると学校全体に知れわたっている今では生徒たちは気軽に静佳に話しかけるようになった。静佳の方でも主にスマホを用いながら、簡単なやりとりなら歌いながらするようになった。はじめのうちこそ静佳が歌い出すと驚いていた生徒たちも、その歌声の良さに感動し、静佳の歌でコミュニケーションするスタイルに慣れていった。
「響と鈴は……」
先に講堂に行っただろうかと言いかけて梓は口をつぐんだ。二人の教室前の廊下には人だかりが出来ていた。その中心に鈴がいた。背が高い鈴は周りから頭ひとつ飛び出ている。背が低いせいで見えないが、響も鈴の隣にいるはずだ。音楽室で行ったミニライヴ以来、おなじみになりつつある光景だ。放課後になると、練習にむかう響と鈴を取り囲む人だかりが教室前に出来上がる。
ミニライヴ以来、梓たちのバンド「アズキ」の知名度がぐんとあがった。梓も静佳も校内を歩いていると知らない生徒から声をかけられるようになった。四人は今やアイドル並みの人気者だ。響のファンは圧倒的に男子生徒が多く、鈴は女子生徒に人気が高い。
「響、鈴、先に行くよ!」
人だかりの外から声をかけ、梓たちは走り続けた。
「人気者は辛いね!」
響が追いついて来た。「辛い」などと言っておきながら、満面の笑みでいる。響のすぐ後ろには鈴がいた。
「動画の影響なのかな」
教室前の散りつつある人だかりを振り返りながら、響が言った。
「動画?」
梓は響に尋ねた。
「あれ、梓、知らないんだ? あの時のライヴを誰かが撮影していてさ、動画が出回っているんだよ」
響はスマホを取り出し、「ほら」と梓に差し出して見せた。一分あるかないかという短い映像で、手前には生徒たちの後頭部が映り込んでいる。音質があまりよくないが、それは確かにあの日のライヴの映像だった。静佳が歌詞を「間違えた」箇所が撮影されている。
「中学の時の友達から『これ、響だよね?』って送られてきたんだ。その子も友達から送られてきたんだってさ」
「そっか、だからか」
梓はコクコクと小さく頷いた。
「うちの学校の生徒だけじゃなくて、他校の生徒にも『藤野梓さんですか』って声かけられるんだよね。何でかなと思ってたけど、この動画のせいだったんだ」
「制服で学校がわかるもんね。知り合いがいれば聞けば誰だかわかっちゃうし。梓の場合は別の動画のせいもあると思うよ」
「別の動画?」
「これも友達から送られてきたんだけど」
響がスクリーンに指を触れると、別の映像が流れ始めた。梓はあっと小さな声をあげた。その映像は、夏休みの間、静佳と行った路上ライヴの模様を撮影したものだった。
「動画投稿サイトに上がってるんだけど、動画主はSHIZUKA、これって静佳だよね?」
響に訊かれ、静佳がこくりとうなずいた。
「やっぱりな。二人だけで路上ライヴしたんだ? 私たちも誘ってくれたらよかったのに!」
響がすねて唇を尖らせた。
《響と鈴はバイトで忙しかったから。路上ライヴは僕にとってのアルバイトだったんだ。ギターが弾けないから梓に手伝ってもらったけど》
そういうことかと梓の頭でひらめくものがあった。路上で歌う気持ちを大事にしつつ金も稼ぎたいという静佳は「僕に考えがある」と言った。路上の場を増やすのかとばかり思っていた梓だが、静佳の考えは聞く耳と見る目を増やす方を考えていたのだった。
「なるほど、それでインターネットね」
梓は静佳を見やり、にやっと笑った。静佳も「そういうこと」と言わんばかりの笑みを返してきた。
「結構、見られてるよ。視聴数もアマチュアの歌う映像にしては多い方じゃない? コメントもそれなりについてる」
「へえ」
自分のギターが他人にはどう評価されているのかが気になり、梓はコメント欄をチェックした。おおむね好意的な内容だが、なかには技術的未熟さを指摘する鋭いコメントも見受けられた。鋭すぎて梓の胸をえぐる。
「文字だけだとさ、何か、余計に傷つくなあ……」
「素人の歌う映像にそんなに真剣にアドバイスしなくてもっては思うけど。暇人なんだろうな」
「まあね……受け流せばいいんだろうけども」
響にはそう言いつつ、梓はスクロールし続けずにはいられなかった。上部には好意的な内容や批判にしてもきちんと書かれているものが多いが、下へいけばいくほど、文章が短く、言葉遣いも荒い内容が増えていった。
「下手くそ」「へた」「こんな下手なものを垂れ流すな」……。
吉元たちの言い草がそのまま文字になったようなコメントがヘドロのようにコメント欄の底にたまっていた。言葉として発せられた音を聞くのも不愉快だが、文字だけでも十分に気分が悪くなった。
静佳には見せられない、そう思った時にはすでに遅く、静佳が横からスクリーンを覗いていた。
《いい気はしないね》
「まあね」
《全部、短くて、数だけはたくさんあるね》
「うん。吉元みたいな人間が世の中には他にもいるんだね」
《一円玉みたいだと思わない?》
意味がわからないと梓は首を傾げた。
《価値が低いものを量で圧倒する。短い悪口のコメントを並べ尽くす》
「なるほどね……」
梓は投稿者の名前を見た。全部違うが、語彙の少なさ、文章にすらなっていない短さという特徴は共通している。ひょっとしたら、すべて同じ人物による投稿なのかもしれない。一円玉を必死になってかき集めた吉元たちの熱量を彷彿とさせる。
「ほら、急がないか。練習が始まるぞ」
ふいに背後から声をかけられた。軽音学部の顧問が梓たちの後ろを歩いていた。スマホを見ながら歩く梓たちの足はいつの間にか遅くなっていた。
「はーい!」
元気な返事をし、響が先頭切って走りだした。その後を鈴と静佳が追った。梓は一歩出遅れてしまった。顧問の言霊が不穏な音を鳴らしたせいだった。
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