2-9 路上ライヴ
いくよ――
目で合図を送り、梓はアコースティックギターを弾き始めた。イントロの後に静佳が歌い出す。曲は「フィールド・オブ・サウンド」の「風の街」。
ギターを弾くために目線を下にしている梓には、駅を出、家路に向かう人々の足だけが見える。急ぐ足もあれば、仕事を終えてけだるい歩みの足もある。
「梓と静佳さぁ、二人してなーんかこそこそしてんだよねえ」
響に怪しまれながら、梓と静佳はバーンハウスを後にした。向かった先は電車で三十分ほどのところにある知らない町の駅だ。夏休みの間、梓と静佳はその駅前広場で路上ライヴを行っている。響と鈴には何も言っていない。誰にも知られたくないという静佳の望みで、知り合いに出くわさないだろう離れた土地を選んだ。
《ギター、弾いてもらえる?》
ある日の練習後、静佳からそう頼まれた。
《路上ライヴをやりたいんだけど、僕、ギターが弾けないから》
「いいよ」
ふたつ返事で引き受けた。人前で弾く経験を積めば度胸がつくし、練習にもなるからと思ったからだった。しかし、静佳の思いは切実だった。静佳は、はっきりと金が欲しいと言った。
《僕は口がきけないから普通のバイトはできない。でも歌うことはできる。なら、歌って稼ぎたい。みんなはスタジオ代や機材のためにバイトしているんだ。僕だって何かしたい》
路上ライヴでは「フィールド・オブ・サウンド」のカバーをメインに演奏する。バンドの人気が再燃し、「風の街」以外の曲も知られるようになり、観客の受けがいいのだ。とはいえ、一番人気は「風の街」だ。「風の街」のイントロを弾くだけで、歩みが遅くなったり、止まったりする足の数が増える。
開けっぱなしで地面に置いたギターケースに、たまにだが、金を投げ入れていく人もいる。目論んだようには儲からない。現実は厳しい。
静佳はめげなかった。金が目的だから、目的が達成できなければ手段を変える。梓なら、さっさと見切りをつけるところだが、静佳は歌い続ける。歌うことしかできない人間の諦めなのかもしれない。逆に強い覚悟なのかもしれない。
五円でも十円でも静佳は喜んだ。しかし満足はしていなかった。十円が百円に、百円が千円にしていかないといけないと意欲的だ。静佳が金儲けに貪欲でも不快には感じない。得た金を、歌うことに使うとわかっているからかもしれない。
パチパチパチ……
静佳が歌い終えると拍手が鳴った。
「拍手じゃなくて、チャリンという音が聞きたいよね」
梓が嘆くと
《僕はチャリンという小銭の音より音のしないお札の方が嬉しい》
と、静佳が冗談まじりに返した。
パチン、パチン、パチン……
ねっとりとした拍手の音がたった。まるで自分の頬をペチリと叩かれたような不愉快な気分で梓は顔を上げた。観客の中に吉元とその取り巻き連中がいた。薄笑いを浮かべ、両手をすり合わせている。本人たちにしてみれば拍手をしているつもりらしい。
「へったくそなくせに人前で平気で歌えるその度胸には拍手を送るぜ。俺なら恥ずかしくて歌えねえわ」
ケタケタと吉元が笑った。小石が入った空き缶がカラカラと鳴っているような軽くて中身のない笑い声だ。吉元の頭を振ったら、きっと同じような音が出るだろう。笑っていながら吉元の目はすわっている。
吉元たちが絡んできて、それなりにいた人々が花びらが散るように一人また一人とその場を去って行った。彼らは一様に不愉快だと言わんばかりの表情を浮かべていた。
「へったくそだなんて悪口、よく平気で言えるな。僕なら恥ずかしくて言えないよ」
吉元の言葉を真似てやる。返した言葉で切り付けられた吉元は、耳たぶまで真っ赤にして腹を立てていた。
「悪口? 事実を言っただけだぜ。実際、下手なんだし。下手を下手と言って何が悪い?!」
「君の耳はよくないんだね、静佳の歌声が下手に聞こえるようじゃあ。耳掃除でもしてもらったらどうだい?」
言いたくもない嫌味が口をついて出た。言い負かした爽快感はない。口の中に臭みが広がってかえって不快だった。嫌味を言うたびに味わうこの感覚を吉元は味わっていないのか、それとも感じないほど鈍感なのか。
「ふん」
吉元が鼻を鳴らしてニヤリと笑った。
「耳掃除をする必要があるのはお前の方じゃないのか、藤野。うまいっていうんなら、もっと金が入っていてもいいんじゃないのか」
吉元がつま先でギターケースを蹴った。ケースには小銭が数枚、数えられるほどしか入っていない。
「下手だと思われている証拠だろ。下手な歌には金を出さないからな。かわいそうだから、俺らが払ってやるよ」
そういうなり、吉元は背後に控えていた浜尾と松田に合図した。浜尾と松田は大きな袋を抱えていた。吉元の合図を皮切りに、浜尾と松田はギターケースにむかって袋の口を開けた。
サーっと雨が降るような音がたったかと思うと、小さな丸いものがギターケースの中に溢れかえった。鈍い銀色の光を放つそれは一円玉だった。浜尾と松田は二人して一円玉をギターケースに流し込んでいる。ものの数分でギターケースは一円玉だらけになってしまった。
「ま、ぜいぜい、がんばって持って帰りな」
下品な笑い声をあげながら、吉元は去っていった。ペタペタとだらしない歩き方の後ろを浜尾と松田がひょこひょことついて行った。
「あいつら、ほんっとに根性がひねくれているんだね!」
腹をたてている梓の隣で、軽快な笑い声があった。静佳が腹を抱えて笑っている。
「意地悪されたってのに何がそんなにおかしいのさ?」
《だって、僕たちに意地悪するためだけにわざわざ一円玉をかき集めてさ。それなりに重かっただろうに、がんばって運んできたのかと思うと笑えてきた。一円玉の袋を持っていた二人の恰好覚えてる? まるで銀行強盗みたいだった。こんなの、コメディーでしかないよ》
「確かに」
吉元たちがやっきになって一円玉を集めている姿を想像し、梓はふき出してしまった。
「大変だよね。買い物は現金でして、お釣りは一円玉にしてもらったのかな? 店員さんに嫌がられただろうな」
《すごい手間暇かけてくれたんだよ。彼らの人生にとって、ものすごく無駄な時間をかけてね》
「人に嫌がらせする頭と時間を別のことに使えばいいのにな。ってことを考えられないくらい、空っぽなんだろうな」
あははと笑っているうちに怒りが薄れていった。
「ずい分と繁盛しているようだな」
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