2-8 昔の仲間
「プロが演奏していたってわけだ」
プロという立華の言葉に梓は、はっとした。静佳も気づいたようで、梓の腕を小突いた。
三人の男たちの正体は、「フィールド・オブ・サウンド」のメンバーだった。一番背の高い革ジャンの男はギターの糸井和重。黒ひげを蓄えた男はベースの別所博。ベレー帽がトレードマークだったドラムの土橋哲司。古い映像でしか知らないが、春の若葉が秋を迎えて紅葉した程度の変わり様でしかない。彼らの紡ぎ出す音がまぎれもなく「フィールド・オブ・サウンド」そのものだった。
「お前たち、何をしに来たんだ」
「それはこっちのセリフだ。立華、お前はここで何をしている」
糸井が質問に質問で返した。解散以来、二十数年ぶりの再会だろうに、熱い抱擁で出迎えるわけでもなく、喜びの声をあげるでもない。むしろ立華は険しい表情で、古き仲間の訪問を疎ましく思っているようだ。
「花を育てている」
立華がつっけんどんに答えた。
「このギター、使われている痕跡があるぞ」
「趣味でギターを弾いている」
立華は「趣味」を強調した。
「援軍を連れてきたんだな」
立華は、横にいる白メガネの男に向き直った。
「何度来てもらっても俺の意思は変わらないと言ったはずだ。あいつらを連れてくるなんて狡くはないか」
「手段を選ばないほど、僕らが本気だってことです」
白メガネの男が笑った。笑顔だが、表情は真剣だ。
「『フィールド・オブ・サウンド』を復活させたいんです。他のメンバーの方は乗り気です。今日は立華さんとお話してもらおうと思ってお連れしました」
「復活」という言葉に、梓たちは思わず「おお」と声をあげてしまった。白メガネの男はレコード会社の音楽プロデューサーといったところか。「フィールド・オブ・サウンド」の人気再燃を受けて復活劇を画策しているといったところか。梓たちの反応を目の当たりにし、白メガネの男は満面の笑みを浮かべていた。ひとり、立華だけが不機嫌でいる。
「ご覧になりましたか? 当時のファンだけではなくて、若い人たちも『フィールド・オブ・サウンド』を支持しているんですよ。君たち、『フィールド・オブ・サウンド』の音を、今また聴きたいと思わないかい?」
白メガネの男にむかって、梓たちは力強く頷いてみせた。コマーシャルに使用されているため、「風の街」やボーカルである立華に注目が集まっているが、「フィールド・オブ・サウンド」は誰一人欠けても「フィールド・オブ・サウンド」にならないほどバンドとしての完成度が高い。逆に言えば、誰か一人でも欠けてしまえば「フィールド・オブ・サウンド」ではなくなるということでもある。過去の音源でではなく、今の「フィールド・オブ・サウンド」の音を聴きたいと、バンドを組んでいる身としては切望してしまう。
「悪いが、何度来てもらっても、あいつらを連れてきてもらっても俺の考えは変わらない。俺たちは終わった。『フィールド・オブ・サウンド』は死んで墓に葬られた。それを掘り起こしたところで、ゾンビだろうが」
立華が用いたゾンビという表現を受け、ドラムの土橋が両腕をあげ、ゾンビの真似事をしてみせた。笑いが巻き起こり、緊迫していた空気がほんの一瞬なごんだ。立華は口元を緩めてみせたものの、すぐにまた険しい顔つきに戻ってしまった。
「立華さん、こうは考えられませんか? さっき『墓から掘り起こす』っておっしゃいましたけど、土に埋もれていた種が芽を出し、新しく花を咲かせる。新たな花としての『フィールド・オブ・サウンド』を世に出すんです」
「新しい花、ね」
立華が皮肉めいた笑みを浮かべた。
「それなら、『フィールド・オブ・サウンド』ではなく、新しいバンド名で新しい音楽を打ち出してみたらどうだ? そうだな、『音子組』というバンド名はどうだ? サウンドの音に子供の子、組はクラスの組。サウンドもソウルフルな感じで」
どうだと言わんばかりに立華は両腕を組んで構えている。受ける立場の白メガネの男は苦笑いを浮かべている。
「新しいというより、まったく別の物になってしまいますね」
「君たちレコード会社の言う『新しい花』とは、去年咲いた花と同じ花という意味だろう? 二匹目のどじょうを本人たちにどじょうの皮をかぶせてやろうっていうんだ。間抜けじゃないか。本人たちが本人たちの皮を被るだなんて。解散したバンドの復活なんて、死に体に皮を被せた人形劇だ。もっとも、ゾンビの方がレコード会社にとっては都合がいいんだろう? 操りやすいんだから。俺はもうレコード会社の金儲けの道具にはなりたくないんだ」
「立華さっ……!」
「水門さん」
糸井に制され、水門と呼ばれた白メガネの男は反論の口をつぐんだ。
「自分で言うのも何だが、俺らは金には困ってない。お前もそうだろう? ただ、みんなと音を出したい、それだけなんだ。立華、お前も本心ではまた音を出したいと思っているんじゃないのか? いいじゃないか、俺らは音が出せるんなら。金儲けをしたいっていう人間がいれば勝手に儲けてろ、だ」
「音が出したいなら、俺のように一人でガレージで出していればいいだろうが」
立華は頑として復活の提案を受け入れようとしない。
バンドの解散が決定した時もこんな感じだっただろうかと梓はふと思った。売れっ子だったバンドだ。解散したいと言って、はいそうですか、とすんなり話の通ったはずがない。まずはバンド仲間で話し合いをしたはずだ。話し合いになっていれば、の話だが。復活を拒む態度から察して、解散は立華一人の意思だった可能性が強い。糸井は解散を思いとどまるように説得していたのかもしれない。
立華はもはや何も言わなくなった。そのかわり、帰ってくれと言わんばかりに体の向きを変え、ガレージの外にむかって腕を伸ばした。
「今日は会えてよかったよ。別所や土橋と一緒に音も出せて楽しかった」
糸井はため息まじりにそう言うと、他の三人を促した。別所と土橋は素直に糸井に従った。白メガネの男、水門だけは足取りが重い。
「水門さん。今日はもう行きましょう」
糸井に言われて、水門もようやくガレージを出ていった。
一番背の高い糸井を先頭にクレッシェンドがガレージの外へと出ていく。一番後ろを行く水門は名残押しそうに何度もガレージを振り返っていた。
「バンドを復活させる、そんな話があるんですか?!」
たまらず、梓は立華に食いついた。口こそきけないが、口ほどに物をいう目を輝かせている静佳も驚きと喜びのあまり興奮している。
「レコード会社が金を儲けたいんだ。例のコマーシャルで曲が使われて、また人気が出てきたってんで。せっかく解散したってのに復活だなんて、まっぴらごめんだね」
「喧嘩でもして解散したんですか? でも、また一緒に音を出したいって」
《ごめんなさいすれば、元の仲に戻ってまた音を出せると思います》
静佳がスマホを掲げてみせ、その文章を読みあげた立華は苦笑いを浮かべた。
「喧嘩はよくしたよ。『ごめんなさい』は……言った覚えがないけどな」
立華は肩をすくめてみせた。
「意見の食い違いなんて、よくあるんだ。一人ひとり、違う人間で違う考えがあるんだから。自分と違う考えだからってだけで仲たがいするような関係じゃない、俺らは」
「じゃあ、なんで解散したんですか?」
「俺が花を育てたいとわがままを言った。いいか、二度と『フィールド・オブ・サウンド』の話はするな。でないと、もうガレージは貸さないからな」
乱暴に言い捨てるなり、立華はガレージを出ていった。今が盛りのヒマワリの間を歩いていく背中がいつになく丸まっている。
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