1-4 歪な花
「おはよう、樹」
能天気な声が客足の途絶えた狭い店内に響き渡った。一番上の兄、柊だ。梓と共に朝から店を手伝ってくれるはずだった柊がようやく姿を現した。
「遅いよ、柊兄さん」
「ごめん、ごめん。立華さんのところに立ち寄ったら、話に花が咲いてしまって」
「待たせたな」
柊の背後から初老の男が顔をのぞかせた。オーバーオール姿の男は脱いだ麦わら帽子を片手に、片手は三つ編みに結った白髪の髪を整えていた。立華慶次という、近所で花を生産している五十代の男だ。立華が育てた花は「ことの花」で売られている唯一、大地が育てたものだ。立華にも店の手伝いを頼んでいた。
「母の日で忙しいはずじゃなかったか? 客が一人もいないじゃないか」
「逃げられました」
樹は頭をかいてみせた。少年の相手をしているうちに、客は一人また一人と店を出て行ってしまった。
「でも、またすぐに忙しくなると思いますから」
「だといいな。母の日が一番のかき入れ時だろ?」
「梓は?」
柊が店内を見回した。
「軽音部のバンド練習があるって逃げられた」
「その花、何があったの?」
柊の目がゴミ袋に投げ入れられた花たちに注がれていた。
「口のききかたを知らない子供さ」
「もしかして、吉元の小僧か? ここに来る途中で見かけたけど」
「立華さんの知っている子ですか?」
「知ってるも何も、吉元市会議員さまのどら息子さ。三、四年前だったか、俺の花畑を荒らしたんで文句を言いにいったら、母親が出てきて『畑に柵がないのがいけない』って言いやがった。躾のなっていない息子にこそ鎖をつけておけってんだ」
「立華さん、口が悪い」
立華の生んだ言霊は、切れ味鋭い剣のような葉をもつ凛とした菖蒲の花となった。
樹は、吉元少年とのやりとりを柊と立華に語って聞かせた。
「嫌いな人に花を贈ろうとするなんて、ずいぶんとひねくれた性格をしているね」
柊はゴミ袋の中から茎の折れ曲がった花を取り出した。吉元少年の生み出した花だ。つぼみのままで枯れてしまっている。
「言葉をつかみ取れていない……五歳ぐらいの子?」
「十五歳ぐらい。梓と同じぐらいかな」
「図体ばかりでかくなって、魂には栄養が届いていないようだな」
立華がちくりとさす。
「僕が親なら、ああいう口のきき方は小さいうちに注意するよ。注意しないのは愛情の放棄だって」
「厳しいな、樹は。その花はどうするの?」
「もちろん、捨てるよ」
「生まれ出た花に罪はないよ。生まれ出ずるものにはそれなりの美があるのさ」
柊は、ゴミ袋を手に入れた。樹が捨てたいびつな花や花ですらないもの、曲がりくねった茎を取り出し、花束を編み始めた。
二つ年上の柊は、華道風花流の家元だ。風花流では、植物と名の付くものなら花以外のものでも生け花に用いる。生け花といいながら、枯れた花ですら用いる。「命はその存在自体が美しい」が柊の信条で、樹が嫌う悪意から生まれた言霊の花ですら美しいと言う。
柊の手にかかると、不格好だったり、いびつな花たちがバランスを保ってそれなりの美をもつようになる。花びらのふぞろいな花からはいっそのこと花びらを全部つみとってしまうと、それはそれで花芯だけの花のようだ。
ものの数分で柊は一風変わった趣の花束を作ってしまった。さながら荒れ野の花束だ。
「いつもながら見事だね」
「嫌いだという気持ちも相手に対する強い思いだよ」
柊の特技は「転化」といい、言霊の花を編みかえることでネガティブなものをポジティブなものにひっくり返すことができる。
「今日は母の日だけど、梓はお母さんにちゃんと挨拶しに行ったのかな?」
「どうだろう。店を出て行くときに声をかけたけど、カーネーションは忘れていったから」
「あれから何年になる?」
「梓が三月で十五歳になったから……」
「そうか、そんなになるのか……」
切れ長の涼し気な目元の柊、奥二重の樹、彫りが深い顔立ちの梓、外見が似ていない三人兄弟の母親は異なる。柊の母親は牡丹、樹の母親はバラ、梓の母親はダリアに喩えられるほど華やかな魅力をもつ近所でも評判の美人だったらしい。
父はミツバチのように女性から女性へと飛び回る男で、柊の母、樹の母、梓の母と結婚、離婚を繰り返し、今は四度目の結婚をしてどこかで暮らしている。
柊の母と結婚している間、父は樹の母と関係を持った。柊の母は離婚し、今は別の家族と暮らしている。柊の母との離婚後、父は樹の母と再婚したが、梓の母親と浮気した。樹の母も男を作り、家を出ていった。梓の母親が藤野の家に入り、柊と樹の面倒をみた。梓を産んでかえらぬ人になるまで一緒に過ごした梓の母親が柊と樹にとっても母親だ。
「梓は音なのかな?」
「多分ね。ギターが欲しいって自分で言ったから。音が気になっているんだろうな」
誕生日が母親の死んだ日と知ってから、梓は誕生日プレゼントを拒み続けている。その梓が高校の入学祝いにギターが欲しいとねだった。
兄弟は言霊を見ることができる。樹は花として具現化することができ、柊は花となった言霊を編むことで裏を表に、表を裏にひっくり返し、時に言霊が現実化させる事象を変えてしまうことができる。藤野の血がもたらす特異な能力に気付いたのは樹も柊も十四、五歳ぐらいの時だった。幼い頃にぼんやりと見えていたものが言霊であり、この世に実体化させる能力が備わっているのだと知らされた。
「柊兄さんは、僕らの能力をどう思うの?」
「何だい、急に」
「うん……梓はどう受け止めるかなあと心配になってさ」
「樹は『お母さん』だなあ」
柊がくすりと笑った。
樹が十歳の時、梓の母親は梓を産んで亡くなった。祖母が面倒をみてくれたものの、幼い兄弟たちは互いに世話をしあったものだった。父に失望した祖母は柊に後を継がせようとしたため、梓の世話は自然と樹がするはめになった。樹は兄でいて、梓の育ての親でもある。
「人とは違う能力を『呪』とみるか『恵』ととらえるか。梓次第だね。『呪』と考えるなら能力を殺すことになる。それはつまり、自分自身を殺すことでもある。『恵』と受け止められたら、活かすことが出来る。僕や樹のように――」
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