ロシュ国(8) 獣人ヴァスタルド

「――どうやら賭けは私の勝ちみたいですね」


 クラウの巣穴がある崖の下。向き合う二人の前へ引き出された私に、リリアーリは勝ち誇ったように告げる。アシュティ先生は面白そうに目を輝かせ、私を見下ろした。


「ルルイ。どうして途中で逃げなかったんだい? すぐに目は覚めたんだろう」

「一旦は逃げたのですが、燃焼沼を見回っている途中でクラウに襲われているズッカの方を見かけて、助けていたらもう一度捕まってしまいました」

「ほう。どうやって?」

「ズッカ石を燃やして、命火と誤認させました」


 私の答えに、リリアーリと男たちは仰天したように目を見開いた。石は彼らの商売道具だ。そんなふうに使うことなど考えてもみなかっただろう。対する先生は目を輝かせ、腹を抱えて笑い出した。


「なかなかやるじゃないか。ズッカ石が何からできているかも聞いたんだろう?」

「はい。命火の燃え尽きた姿だと」

「その様子だと説得は失敗したようだね。で、ズッカの人々が気の毒になったルルイは人質になったままここに来たわけか」


 すべて見透かされているのがわかったので、私はごまかすことなく頷いた。荒事に慣れていないズッカの人々を攻撃するのも気が引けたし、本当にこの人たちが困っているなら先生を説得する側に回っても良いと思ったので私は人質のままでいた。先生のところへ戻るのは、出来たから。


「アシュティと違ってちび助は優しいですね。あなたからもクラウを殺すようアシュティを説得していただけませんか? 私たちズッカの人間には命火が必要なのです」

「リリアーリさんもズッカ出身だったんですね」

「ええ。私が研究者になったのは、より品質の良いズッカ石を多量に生産できる技術を開発したかったからです。魔法生物の保護をしたいわけではありません」

「だから、私を人質にとってアシュティ先生を脅そうとしたんですか」


 私の非難するような声音に、リリアーリは全く動じることなくうなずいた。正しいのは己なのだと信じ切った顔で。


「クラウはいずれ破滅をもたらす。そうですよね、アシュティ」

「命火を奪われたウィルヴィーの怨念……それが凝って生まれるのがクラウだ。大きく数を減らし、種の存続の危機が訪れると現れる。初めは命火を庇護するだけでとどまるが、怨念が膨れ上がればやがて街を燃やし、人間を殺し尽くすだろう」

「そうなる前に我々はクラウを退治せねばならないのです。五ツ星ファルカの弟子であり四ツ星ハイヴィスの称号を戴く貴女ならクラウを退治するのも難しくはないでしょう。やっていただけますね、アシュティ」


 これはお願いではなく命令だ、とリリアーリは言外に告げる。私の横に立っている男が脅しのように武器を構えた。ひやりと首筋にあてられた刃物、私、リリアーリ。順繰りに見比べたアシュティ先生は深くため息をついて首を振る。どうやらリリアーリを説得することを諦めたらしい。私はいよいよだな、と判断して背筋を伸ばした。


「リリアーリ、君はもう少し賢い人だと思っていたんだが……しょうがないな。ルルイ、harvet戻れ


 先生の一言で私の体の中をマナが駆け巡った。手足はすらりと伸びて漆黒の毛に覆われ、めきめきと体中の骨が軋む。ぐぅん、と伸びをするとそこかしこで悲鳴が上がった。なんだかいつもより力がみなぎっているな、と思いながら前足を地面につける。普段背が低いぶん、この姿では人間を皆見下ろせるのがなんとも爽快だ。一声吼えれば、男たちは皆怯えたように後ろへ下がった。


「ふむ。懐中時計の具合はなかなか良さそうだね。おいで、ルルイ」

『はい、先生』

「獣人ヴァスタルド……まさか純血種だったなんて」


 恐れおののいたようにリリアーリがつぶやく。この世界に獣人種――獣と人の両方の姿になれる種族は五種類存在する。敏耳神足とみみしんそくのビトーラ、硬鱗破爪こうりんはそうのワーグ、潜水電棘せんすいでんしのニンスディー、有翼毒嘴ゆうよくどくしのピンカ。そして、獣人五種の中で最強と謳われるのが剛腕鉄壁のヴァスタルドである。人の三倍はある漆黒の巨躯は物理攻撃、魔法攻撃の両方にめっぽう強い。片腕で大木をいとも簡単になぎ倒し、豹に似た顎は鋼鉄をも噛み砕く。状態異常にも耐性があり、戦闘においては非常に厄介とされる獣人だ。


 純血種の獣人の場合、幼獣のうちは魔力マナの補給なしに獣化や人化を行うことは難しく、大人の力を借りて行われる。最近は人と番う獣人種が多くなり、獣の姿がとれない者も増えてきたため、獣化できる獣人はかなり貴重な存在だ。まさかズッカの人々もこんなところでヴァスタルドと出会うなど思ってもみなかっただろう。


「獣化は魔力マナ供給者が直接接触しないとできないはずですが、一体どうやって……?」

「ズッカ石にあらかじめマナを注入したうえで、遠隔作動できる術式を埋め込んだのさ。良い核石になってくれて助かったよ」


 さらりと種明かしした先生に、リリアーリは信じられないといったふうに首を振る。古今東西、そんな無茶なやり方で幼獣を獣化させるのはアシュティ先生だけだろう。ほんの少しだけ、私はリリアーリが気の毒になった。


「さて、ズッカの諸君。このまま行くと君たちは滅亡を待つばかり。クラウを殺してもまたすぐ新たなクラウが生まれるだけだ。さて、ここでクラウを殺さないままでズッカ石を作り続ける名案が私にあるのだが、聞いていただけるかな?」


 アシュティ先生へと視線が集中する。そんなことが可能なのかと私ですら思うのだから、ズッカの人々の驚きは相当のものだろう。一体どんな方法なのかと全員が息を詰める中、先生は意気揚々と言い放った。


「命火を人工的に繁殖させればいいのさ、クラウの出番がなくなるくらいにね!」


 まずは手始めにクラウの巣穴を見学しようじゃないか。そう満面の笑みで提案するアシュティ先生に、リリアーリを始めとしたズッカの人々は怯えと期待の入り混じった顔で静かに頷いたのだった。

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