第95話

 


 これ以上は意味が無いと諦めたのか、それとも本当に正気を失ったのかは判別が付かない。もしかすると両方かもしれない。

 そんな神父の様子にも気付けない、いや、気付こうとしない少年は、神父へと必死に声をかけた。


「毎日、酷いことしてるなんて、ありえませんよね!」


 神父は答えない。だが、一歩足を踏み出した。


「だって神父さまは、あの子達を助けようとしてたんですもんね!」


 まだ神父は答えない。ゆらゆらと左右に揺れながら近寄ってくる神父に、少年の傍に居たおばあちゃんが慌てて立ち上がり、後退あとずさった。


「俺たちのこと、薄汚いガキなんて、思ってないですよね!」


 やはり神父は答えない。無表情のまま少年を見詰めるだけだ。


「…………神父さま?」


 とうとう少年の目の前にまで神父がやってきた。

 そして、少年のすぐ傍に膝を付き、少年の頬に手を当てる。


「あぁ……その目だ、その目が見たいんだよ」


 粘っこく、気持ちの悪い笑顔だった。


「輝いてるんだ、絶望と、猜疑と、希望と期待、それから信頼と戸惑いが混ざったその目、本当に綺麗だ」


 緊張と興奮で唾液の少なくなった口臭は生臭く、上の歯と下の歯で粘着いた唾液が二チャリと糸を引いていた。


「だけど一番輝いてるのはね、それらが絶望に染まった目なんだ」


 嫌悪感と絶望感で、少年の表情が引き攣る。


「そ、そん、な」


 ゆっくりと少年に伸ばされた神父の手は、


「はいそこまでー」


 そんな軽い言葉と共に、誰かに掴まれて制止された。


「なっ!?」

「それ以上はいけませんよ、神父様。貴方はやり過ぎたのです」


 見覚えのある灰銀色を持つ男と、狐顔で緑灰色の細い男がそこに居た。





 









 くすくす、くすくすと笑い声が響く。

 今回のその場所は、何も無い所にキラキラとした光の浮かぶ、まるで夜空のような美しい空間だった。


『気付いたねぇ』


 声の主は、にこにこと楽しそうに笑って何かのリズムを取る時のようにゆっくりと体を揺らす。


『あー、おもしろいなぁ』


 右、左、とゆらゆら、まるで少しテンポの遅いメトロノームのように揺れながら、くすくすと笑う。


『それにしても、光魔法じゃないと浄化出来ないと思い込むのって、ヒトの悪い癖か何かなの?』


 この世界の賢人には、精霊の干渉を受ける魔法形態と受けない魔法形態、二つのそれがある。


 故にあらゆる賢人は浄化魔法を使えない訳がないのだが、知らないということのなんと憐れな事だろう。


 イメージの力で使用するその魔法形態故に、出来ないと思ってしまえば出来る筈がない。


 それは、長年精霊魔法主体のあの世界で生きてきたヒトが容易に越えられる壁ではなかった。

 それが常識で、他には無いと思っているのだから。


 つまり、明確に使えるとイメージ出来なければ、使える物も使えなくなるのが、その魔法の欠点だった。


『あっちの古い方の頭が凝り固まってるのは分かるけど、ねぇ、他の世界から来たキミが、なんで出来ないと思ってるのかな?』


 小馬鹿にしたように笑う神は酷く楽しげだ。


 それらを教える気もなければ、導く気もない神は、ただ嗤うだけ。


『他にやったことも気付くかな?』


 それは馬鹿にするようなものではなく、コメディ映画を見た人がつい笑ってしまったような、そんな純粋な笑い声だった。


『もう少し分かりやすくしたほうがいいかもね』


 そう言った彼は、またくすくすと笑った。

















 

「ねー旦那サマー、コイツどーする? 殺っちゃう?」

「なんだ貴様! 離せっ!」


 抵抗しようと頑張る神父の腕を片手だけで捻りあげながら、飄々と、いつもの軽い感じでサラッと殺人を提言する隠密さん。正直怖いのでやめて欲しい。


 いきなり来といて何言い出すんですかあなた。止めてよホントに。

 いや、隠密さんが来なかったら何が起きてたのか分からんからありがたいっちゃありがたいんだけどそんな軽く私の責任で殺人しようとしないで欲しい。やめてください。


「駄目だ、法に則り裁かねばならん」

「うええ面倒くさー」


 めんどくさいとか言わないの。

 私だって正直めんどくさいんだからな。

 だってなんでこんなクズの事を考えないとダメなのか分からんもん。


 そんでもって視線を動かせば、自然と視界に入ってくるのはやっぱりこの人だった。


「遅くなりまして、申し訳ございません」


 冷静な声で謝罪する、狐みたいな顔の細い男性。


 うん、あなたは何故ここにいるのかな弟さんよ。

 隠密さんの話だと裏切って神父側についたんじゃなかったっけか。

 いや、鵜呑みにしてた訳じゃないけど事前情報がアレだとしてもなんでここに隠密さんと二人でいるのか意味分からないからね。


 何がどうしてこうなってんの。


 なお、なんかどっかで見た事ある気がするあの少年はというと、先程声を掛けられていたおばあちゃんの腕の中でしくしくと泣いていたりする。

 クソ神父を凄く信頼してたみたいだし、仕方ないね。

 彼も被害者なんだろうと思うよ、なんかいちいち腹立つ奴だったけど、それも全部クソ神父のせいだしな。


「説明はあるのだろうな?」

「勿論です、必ず後程ご説明させて頂きます」

「そうか、では後程聞くとしよう、……アーネストはどうした?」

「兄さんには街の方を任せております」

「そうか」


 お兄さんが街の方に居るって事は、街でもなんかあったのかな?

 この辺も後で説明聞くしかなさそうである。


「さて神父様、洗いざらい吐いて貰いますよ、覚悟してくださいね」

「くそっ、くそっ、何故だ! 裏切ったのか!?」


 細い目でニッコリと笑った弟さんに、笑いかけられた神父はというと物凄く狼狽えていた。


「裏切るも何も、私は常にオーギュスト・ヴェルシュタイン様の為に生きておりますので」

「騙したなぁっ!?」


 あぁー、そうね、オーギュストさんの記憶で探る限りそういう人だもんね、弟さんって。

 それが全ての理由のような気もするけど、まあそれでも一応本人からの説明を待つ事にしよう。


「引っかかる方が愚かなのでは? 神父様はいつもそう仰っていたではありませんか」

「なっ!?」


 様子を見るにどうやら心当たりがあるらしい神父なのだが、マジでクソだなぁ、凄いなぁ。


「それと、防犯面はもう少し気を使った方が宜しいかと思いますよ?」

「それはっ!? 何故それがここに、返せっ!!」


 ぴらり、と弟さんが取り出した紙を見た神父が今まで以上に焦った顔をした。

 余程大事な書類なのか、完全に血の気が下がったような顔色である。

 今はとりあえず置いといて、後で確認させて貰うことにしようと思います。

 ていうか防犯面って事は、もしかしてあの紙の為にこの教会に入り込んでたのかな弟さん。知らんけど。


「残念ですがこれは貴重な証拠ですから、そういう訳にはいかないのです。申し訳ございません」

「くそっ、くそっ、くそっ、くそおおおおお!!!」


 頭がどうにかしてしまった荒ぶる神父がなかなかに無様というか、なんというか、無駄に尊敬してた人達から見ると相当アレだったようで、辺りの人達からは、なんか冷め切った眼差ししか向けられていなかった。

 こういうのを自業自得っていうんだよねざまぁみろばーか。

 あ、やべ、語尾に本音が出ちゃった。えへへ。


 そんな事を考えながらも顔は無表情である。やったぜ。


「それではシンザさん、どうぞよろしくお願いします」

「言われなくてもやるに決まってんでしょ、はいオッサン大人しくしろ鬱陶しいから」

「がはっ」


 抵抗虚しく神父は隠密さんの手刀により、またしても床とイチャイチャする事になったのだった。ご愁傷様です。







 教会から出た所で、見覚えのあるワイルドダンディが葉巻を咥えて立っていた。

 どうやら事が済むまで外で待っていてくれたらしい。


「お、坊っちゃん、制圧ご苦労さん」

「アーネストか、出迎えご苦労」


 ていうか、煙管とか葉巻とか煙草とか、なんていうかもうヤクザなのかマフィアなのかどっちかにしてくれないかな。

 いや、この人別にどっちでもないんだけど、イメージがあっちこっちするんだよね。

 知らんがな、って話なんだけどね。色々バリエーションあって凄いね。一瞬イメージがごっちゃになるんだけどね。


 なんで私は似たような事を何度も思ってるんだろうか。


「いンや、こりゃァただのついでだからなァ」

「ふむ、貴様は何をしていた?」

「教会の奴らに武器が渡らねェように、武器屋とか防具屋の説得して回ってたンだよ、杞憂で済んじまったがなァ」


 めっちゃ有り難い事じゃないですかやだー!


 そんなのもう感謝しかないわ。

 煙管とか葉巻とか煙草とか好きに吸っていいよ、そのくらいの権利あるもん。

 なんでもいいよ、女の人のおっぱいでも良……くないわ、イメージがアカン事になる。それはちょっとアカンです。

 ダメだ私、落ち着け。変なテンションになってる、これはよくない。よし。

 

「ンで、パウル、お兄ちゃんに何の説明もなく家出した理由を聞かせてもらおうか?」


 待って説明無かったの!?

 駄目だよそりゃさすがにお兄ちゃん怒っちゃうよ!


 内心ではそんなツッコミを入れてしまいながら、それでも外面的には冷静沈着、無表情で無感情に視線を弟さんへ向ける。

 すると、キョトンとした、なんというか、不思議そうな顔をした弟さんの姿があった。


「…………家出?」

「ン? 自覚無しか? 家出以外のなンでもねェだろありゃァ」

「僕はオーギュスト様の為になるように行動しただけですよ?」


 うん、まぁ、そうなんだろうね。

 なんか知らんけど物凄く崇拝してるもんね。弟さん。


「旦那様、おかえりなさいませ、お怪我などはございませんか」

「問題ない、姉妹はどうした?」


 教会から少し距離を開けて街の人と話したりしつつ待機していた執事さんが、私の姿を見付けた途端に颯爽と現れた。

 なんか、あの、距離近くないですかね。気のせいかな。


「あの二人でしたら、窓の外から見ていた教会内部での事の顛末を、町中に広げると言って走っていきました」

「……そうか」


 見とったんかいあの姉妹。

 いや、まあ、気になるのは分かるけどさ、危ないからそういうのは止めようねって話さなかったっけかあの二人には。

 言っても聞きそうにないけどさ、特に妹。

 なんせ近年稀に見る自由人だもんあの子。風の精霊さんっぽいよねあの性格。


「放っておいても広がるとは言ったのですが、早い方が良いと聞かなくて」

「仕方ないな、私達は屋敷に帰ると精霊に言伝を頼むとしよう」

「かしこまりました」


 恭しいいつもの丁寧な礼をした執事さんの旋毛つむじを眺めつつ、屋敷へと帰る為に足を踏み出したのだった。











 その後、目を覚ました少年少女達の証言で、彼等を拉致監禁したのは、神父、ロドリゴ・カルストスによる犯行だと明らかになった。

 名前見た時、略したらロリカスだなと思ったので今後神父は蔑みを込めてロリカスと呼ぶ事にする。

 幼児性愛趣味なオッサンにロリカスでは正しくないけど、名前で呼ぶのも神父呼びするのもなんか嫌なのでね。

 いや、正しい名称知らんから仕方ない。ぺ……なんとかだったのは覚えてるんだけどな。まあいいや。


 ともかく、長い人では10年も監禁されていた少女もいた訳で、むしろよく生きていたと思えるくらいにはガリガリに衰弱し、PTSD、確かストレスによる心因性のパニック障害だっただろうか、なんかそういうのを患ってしまっていて、見ていて泣けてくるくらいに悲惨な様子だった。

 というか、彼等の半数はそういう心の病を患ってしまっていたので、ロリカスはマジでカスなんだと街の人々にマイナスな印象を与えまくっていた。


 ロリカスはその後の調べでも自分の正当性しか口に出さずなんか鬱陶しい感じになっていたので、隠密さんにお任せする事にしました。

 多分もう少ししたら素直になってくれると思う。

 ロリカスなんで遠慮しなくていいって言ってあるから、きっと良い感じにフルボッコにしてくれると思う。


 ちなみに、弟さんが取ってきた書類ですが、ロリカスの履歴書と、この街の神父になる為の任命書、それから、なんか怪しいお手紙の計三枚でした。

 ロリカスは隣国の出身者で、この国の宰相の紹介で神父になり、隣国から情報提供の感謝をされているという事が明らかになったので、マジでカスだなと思いました。

 スパイじゃねぇか。

 あと宰相、またてめぇか。

 そんで隣国、またおめぇらか。

 

 そんなこんなである程度ひと段落ついたので、神について考えることにする。

 今回の件で、あれだけ不利な条件だったのにも関わらず、なんだかんだで良い感じに解決となってしまった。しかも、オーギュストさんの勘も危ないと警鐘を鳴らしていたのにも関わらずである。ということは、だ。


 神は演者である“わたし”が表に出ることも、この『六人目の賢人、オーギュスト・ヴェルシュタイン公爵』という舞台から降りる事も望んでいない、ということだろう。


 いや、ふざけんなぶっ飛ばすぞ。

 マジで殴る。顔面ボコボコする。絶対する。


 真顔でそんな事を思ったものの、だがしかし、どうしたものかと首を捻る。

 神絶対ぶん殴るマンになると決めたものの、どうすればそれが出来るのかは分からなかったからだ。


 むしろ、神って殴れるものなんですか?

 どうしたらいいの? 何したらいいの?

 やっぱり神? 私も神になれば殴れる?

 いやそれより何より神って結局なんなんですか?


 ぐるぐると考えを巡らせるけど完全に脳挫傷だ。

 なんで脳挫傷かって言うと知らん。なんかそんな感じがしただけです。多分本来は違う言葉なんだろうけど考え過ぎて頭がパーンしそうです。うん、混乱してるなコレ。


 とはいえ、これは誰かに相談する訳にもいかない。


 理解者になってくれるかもしれない者達は皆人質として取り上げられてしまった。

 そしてその人達が今後も無事である保証すら無い。

 今以上の最悪は、彼等が私のせいで犠牲になる事だ。


 つまるところ、そうならない為には自己流で方法を見つけるしかないのである。

 だからこそ知識は必要だ。


 私には知識が足りない。

 知識といえば、やはりエルフの里だろう。

 そこに行けば何かしら知識は手に入る筈だ。

 人間の国で手に入る知識だけではどうしても頭打ちだから、あ、そうだ脳挫傷じゃなくて頭打ちだ、良かった思い出せて。


 …………どうしよう全然違う意味なんだけど私アホ過ぎない?


 いや、うん、頭が悪いのは今に始まった事じゃないから置いておこう。

 それよりもだ。


 エルフの里に、神に関する情報があるかどうかは分からないが、しかし、今の私でも何か出来るようになる為の知識くらいはあるかもしれない。


 視線を上げれば戸惑ったような顔の執事さんの姿があった。

 不思議そうな顔の弟さんとお兄さんもいる。

 隠密さんは、いつものように天井裏で待機してくれているようだ。


 一人で静かに考えていたからか、謎に心配されてしまったらしい。

 なんでそんな顔してこっち見てるんだろう。


「旦那様、どうされましたか? 私が何か粗相を?」

「気にするな、今後の予定を考えていただけだ」

「予定、ですか?」

「あぁ、エルフ達の里へ行く予定があるだろう」

「なるほど、国を囲む山を越え、樹海への道の算段を付けていらしたのですね」


 誤魔化す為に言ったけど、これもやっぱり必要な事だからね。

 領地の事が落ち着いたのかどうかイマイチ分からん内に行動するのはちょっとアカンかなー、とは思うけど、このままなんもせずにじっと作業してるだけってのも嫌なので、私は行動したいと思います。


「……ジュリアの直接の死因ではないが、奴らの助けがあれば彼女は今も生きていた可能性があるという事も判明したからな。なるべく早く出発したい」

「……なるほど……しかし、エルフ達は閉鎖的と聞きます、あの頃に助けがあったとは……」


 うん、ですよね。

 とはいえそんなセリフ言う訳にもいかないので、頑張ります。


「ジュリアの主治医、……奴がエルフ達の里へ行き、助けを求めていた」

「そうなのですか……ある日突然居なくなったのでとうとう逃げたのかと思っておりましたが……」

「奴は医師だ、患者を前に逃げる事はしない」

「はい、そうでございました。ではつまり……」


 何かを言いたそうに口篭る執事さんに、シュレイグ医師に書いてもらっていた手紙を差し出す。

 なおこれは先日シュレイグ医師から、口実に使えるだろうから、と自分から渡しに来てくれたものである。ありがてぇ。

 内容は、まあお察しの通りという感じです。


「間に合わず、すまない、と書かれていた。…………奴の事だ、エルフ共に邪魔をされたのだろう」

「この手紙は?」

「母上の主治医に託されていた」

「……そうですか……お知り合いだとは聞いていましたが……」


 知り合いっつーか本人なんですがね、それを言うと色々と大変なので隠す方向で行く事が決定しております。

 ごめんね執事さん。


「私は事実が知りたい、ゆえに行こうと思う」


 舞台俳優のセリフみたいな熱い言葉を、自然に、決意に満ちた声音と演技で口にする。

 心の中は熱さなんて無くて冷めきっているし、当時の事を知りたいのは知りたいけど今は知識のが必要なのがなんとも言えない。

 しかしそれでも神をぶん殴る為に、出来る事から一個ずつ、確実に行こうと思います。

 そんな訳で、頑張りますよ私も。


「……かしこまりました、ではなるべく早く、そのように手配させていただきます」


 真摯な眼差しで私を見詰めながら、執事さんがそう言うと、それに触発されたのか釣られたのか、シェルブール兄弟は私を見て笑った。


「よォし、ならこっちの事は気にすンな」

「事後処理と言ってもやる事は決まってますからね」


 お兄さんの方は快活に、弟さんの方は優しく。それぞれ性格の分かる笑みだった。


「どうぞ御心のままに」

「……うむ」


 執事さんの綺麗な礼を視界に捉えながらも、心の中に去来した罪悪感と疎外感に落ち込んでしまいそうになって、無理矢理に押し殺す。

 そして、動き出した彼らを横目に、止めてしまっていたペンを走らせたのだった。


 あーあ! 思いっきり愚痴が言える友達欲しーい!



 

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