第51話
あれから暫くして、ボーイっぽい男性がガッチガチに緊張してプルプル震えながらも、頑張って人数分の紅茶を持って来てテーブルに置いてくれた頃には、姪っ子ちゃんも妹さん夫婦も落ち着いて話が出来るようになっていた。
一人決意に燃えていた私の様子には誰も気付いていない。
演技力の賜物である。
傍から見たら妹さん夫婦をいびってたみたいに見えてたかもしれないとか一瞬考えたけど無かった事にした。
あと、それ以前に周りにあんまり人が居ないという事実も考えなかった事にした。
目の前のティーカップを傾け、中の紅茶を揺らすと、ふわりといい香りが鼻を掠める。
景色も相俟ってめちゃくちゃ優雅である。
まるで自分自身も優雅な存在に感じてしまうくらい優雅である。
中身が私な時点で台無しだがな!
しかしやっぱこういう場所で出される紅茶は良い物使ってるんだろうね。
オーギュストさんの立場的に、わざわざめっちゃ高い茶葉で用意してくれたのかもしれないけど。
外見が怖いからっていう可能性は放置させて頂きたい。
ちなみに、ボーイっぽい男性は、なんか紅茶置き終わった瞬間風のように去って行った。
爽やかさは無かったよ。
必死さならヒシヒシ伝わって来た。
別に取って食いやしないのに酷いモンだよ全く。泣きたい。
「……あの、おじさま、ありがとうございます」
どうでもいい事を考えながらカップに口を付け、熱い紅茶を口に含んだその時、不意に、姪っ子ちゃんから照れ臭そうにそんなお礼を言われてしまって、あんまり可愛らしいもんだから口の中の紅茶噴きそうになった。
「ふむ、何の事かね?」
グッ、ゴブッ、とかなってしまいそうなのを必死に押し殺して紅茶を飲み込み、努めて何でもない事のように、静かに、そして威厳たっぷりに尋ね返す事に成功した私は、とりあえず自分自身を褒め讃えたい。
なんせオーギュストさんのイメージぶっ壊れるとか絶対避けたい事項である。
突然紅茶噴き出すオジサマとか、威厳もへったくれも無い。
オーギュストさんの記憶のせいで姪っ子ちゃんがクソ可愛いんだよ何なんだよ!! 馬鹿!!
でもここでデレデレしたら全て台無しだからね! さすが私! 良くやった私!
ところで、へったくれ、って何なんだろうね。
しかし、めちゃくちゃどうでもいい疑問を考えた次の瞬間、物凄く嬉しそうにはにかむ姪っ子ちゃんの笑顔が視界に入ってしまった。
「ふふ、おじさまがわたくしの為に怒って下さるなんて、本当に嬉しかったのです」
しかもほんのりと頬を赤く染めながらの、上目遣いである。
なにこれ。
え? なにこれ試練?
どうしよう、物凄く、頭撫で回したい。
けどそれは完全にアウトだ。
お巡りさん呼ばなきゃいけなくなる。
それはアカン、頑張れ私、耐えろ私。
いや、お巡りさん居ないかもしれんけど。
衝動を全力で押し殺しながら、必死に先程と変わらない表情で、静かに口を開いた。
「……少し前、クリスティアは私の為に怒ってくれたからね」
「あんなの当たり前です! ね、お母様!」
「ふふ、そうね。あんな無礼な事言われてしまったら、ねぇ、あなた」
「そうだな」
いや、そんな良い笑顔で同意されても。
「……しかし、指摘されるまで気付けないとは、……本当に申し訳無い」
不意にそう言って落ち込み始めた旦那さんは、少し前までの取り繕ったような笑顔は一切無く、なんというか、自然体であった。
……まあ、でも多分、オーギュストさんの口からの指摘だから気付けたんだと思う。
他人から言われてもきっと半信半疑だったんじゃないだろうか。
お前に何が分かるんだ? ってなったと思う。
当事者だからこそ、響いたんだろう。
「……まだまだ未熟、という事なのだろうな」
「ははっ、相変わらず手厳しいな、オーギュストは」
「……ふん、私も人の事を言えた義理では無いのだがね」
どこか困ったような笑顔で、それでいて悔しそうにも見える微妙な表情で小さく笑う旦那さんに、こちらも皮肉げな表情を返す。
12年も引きずってたとか、どう考えたって未熟でしかないと思うの。
オーギュストさんマジへたれ。
「……それはそうとお兄様、そろそろ本題に入りませんこと?」
「あぁ、このままでは忘れてしまうからな」
妹さんが紅茶のカップをソーサーの上へ置くと、陶器同士が擦れて小さくカチャリという音を立てる。
うん。
本題ってなんだっけ。
「じゃあ端的に聞こう、オーギュスト、無事とは言い難い帰還とは、一体どういう事なんだ?」
内心で、なんだっけ? と必死に考えつつ、外面はさも何でもない事のように振る舞っていたら、旦那さんから真剣な眼差しを向けられた。
あー、そういやそんな話する予定だったね、確か。
姪っ子ちゃんの事で完全に吹っ飛んでた。
仕方ないよね、姪っ子ちゃんだし。
つーか、今気付いたけど、姪っ子ちゃんには賢人だと打ち明けては居たけども、もっと詳しい事情話、姪っ子ちゃんの前でして良いもんなの?
ダメじゃね? ダメだろ。多分。
「……ふむ、その前にクリスティア。これから私が告げる言葉は、君に辛い思いをさせてしまうかもしれない」
「……そうなのですか?」
改めて姪っ子ちゃんに向けてそう告げると、不思議そうに首を傾げる姪っ子ちゃんが居た。
かわいい。
待て、違う、落ち着け私。
「あぁ、聞きたくなければ少しの間席を外しているといい。薦んで聞かせたい話ではない」
じっと姪っ子ちゃんを見つめると、当の本人は無言のまま、真意を探ろうとでもするかのように、じっと私を見つめ返して、それから、何かを考える様子を見せる。
そんな彼女に向けて、私は意を決して口を開いた。
「……私としては、聞かせたくない」
耳に入った私の言葉に動揺したのか、彼女の前に置かれていた紅茶の入ったカップを置こうとしたり持ち上げようとしたり、なんとも落ち着かない様子で、手元の紅茶と私の間を彼女の視線が行ったり来たりしている。
そんな様子も可愛いとか姪っ子ちゃん罪作りだわ。
「……なぜですか?」
「……君に幻滅されてしまうのが、怖いから、かな」
姪っ子ちゃんからそんな事言われたり態度に出されたりとかしたら、確実にマジ凹みする自信があるからね。
どんだけ溺愛してんだって話だけど、まあ、これも全部オーギュストさんの記憶のせいである。
冷静に考える私本体の感情としては、好ましい子供、程度だったりするのだから余計に違和感を感じてしまう。
魂として感じる冷静な内心とは裏腹に、真っ先に浮かぶ感情や考える事は、真剣な眼差しで見つめて来る姪っ子ちゃん可愛い、なのだから実に違和感が半端ない。
「……お父様とお母様は構いませんの?」
静かな質問に、意識が現実へ戻る。
矛先である両親の二人は、決定権は姪っ子ちゃんに一任するつもりなのか、横から口を出す事も無く、黙って様子を伺いながらも我が子を見守る姿勢のようだ。
「……構わない訳ではないが、いずれ、話さねばならない事だ。
だがクリスティア、君は聡いとはいえ、まだ子供だろう? 時期尚早、という場合もある」
問答無用で話してしまって、聞きたくなかったなんて後から言われても困るので、本人の同意を得る事は大事だと考えた訳での質問だった。
しかし、それは杞憂に終わってしまったらしい。
「……おじさま、わたくし、おじさまのお話をお聞きしたいです」
それは、決意に満ちた瞳だった。
「いずれ、知らなければならないのでしょう?」
「……そうだな」
同意するように答えると、彼女はキッパリと言い放つ。
「でしたら、早くても遅くても変わりありませんわ」
うん、そうだね。
余りにも正論過ぎて、言葉が出て来なかった。
なんというか、まだ小学生高学年位なのに、強い子だと思う。
「……後悔しても責任は取れないよ?」
「たとえ後悔したとして、それは全てわたくしの自己責任ですわ」
改めての問い掛けは、余り意味を成さなかった。
「それに、わたくしだけ知らないままでいるなんて、嫌です」
キッと、挑むような眼差しで、彼女は断言する。
「……そうか」
「どうか、わたくしにも教えて下さいませ」
余りの真剣さに、魂である私は困惑、そして、感情としては感動だろうか。
なんとも複雑な気持ちである。
「……本当に良いのかね?」
「覚悟は出来ております」
「……そうか、分かった。そこまで言うのなら止めないでおこう」
再度の問い掛けもキッパリと言われてしまって、なんとも言えない気分だった。
これで言わないとか、無理だよね。
仕方なく覚悟を決め、皆に視線を巡らせた。
思い思いに真剣な表情で私を見ているのを確認して、小さく息を吸う。
「……ではまず前提として、私が病に伏せっていた、というのは建前だ」
吸った息を使って、言葉を口にする。
これに関しては、もしかしなくても妹さん夫婦は勘付いていたかもしれないが、まあ、一応言った感じである。
「私は何者かによって毒を盛られ、暗殺された」
言い切った時、姪っ子ちゃんから息を呑んだような気配がしたが、気にせず続けた。
「だが、運良く、息を吹き返した」
「まさか……!」
何かに気付いたように、ガタリ、と席を立つ旦那さんに視線をやりながら、静かに告げる。
「そうだ、その時私は賢人となった」
この点に関しては、もう秘密にしようがないがゆえの暴露である。
昨日あんだけ騒ぎになったのだから、いずれは国中に広まるだろう。
絶対意味無いよね。
途端に、妹さんが喜色の混ざった声を上げる。
「まあ……!」
チラッと様子を見てみたら、なんか嬉しそうだけど複雑そうな表情で私を見ていた。
賢人って人外だから、複雑な気持ちになるのも仕方ないかもしれない。
とりあえず、話の腰が折れない内に、続けさせてもらう事にする。
「だが、それも余り喜ばしくない」
「何故だい? 賢人となったなんて、喜ばしい事この上ないじゃないか」
旦那さんからの最もな質問に視線の先を彼の顔へと向けながら、改めて息を吸う。
「……ただ賢人となっただけならな」
「では、一体何が問題なんですの?」
妹さんからの問い掛けに、今度は彼女へ視線を送り、目の端でまた改めて席に着く旦那さんの様子を何気なく視界に捉えながら、思案する。
えーっと、この場合、どう説明するべきか。
王様と王妃様には中身である私の事は言ってしまった訳で、だけど、それを伝えた場合、どこから漏れるか分からない。
魔法なんて意味不明なものが罷り通ってる世界なんだから、記憶を読む事が出来る魔法だってあるかもしれない。
そこから私が別人だと広まったら、絶対何かしら問題になって、最悪斬首刑だ。
うん、やめとこ。
「毒を盛られた弊害か、頭の中の記憶のあちこちが抜け、結果、それが己の記憶だと認識出来ない」
努めて冷静に、しかし、表情には罪悪感を微かに混ぜながら、淡々と説明する。
「私はきっと、君達の知るオーギュスト・ヴェルシュタインでは無くなっているだろう」
「そんな……っ!」
「なんてこと……!」
告げた次の瞬間には、姪っ子ちゃんと妹さんが、ほぼ悲鳴に近い悲痛な声を上げた。
「では、私達の事も……?」
「君達の事は家族だという認識はある。
だが、それが真実だという認識が出来ていない」
旦那さんからの問い掛けに、先程と同じ表情を浮かべながら答える。
中身別人とか、そんなの言える訳が無いので、無駄な罪悪感だけが募って行く。
ただこの罪悪感は、騙している事に対してだけ感じているのが、なんとも言えない。
「……すまない」
やっぱりいたたまれなくて、つい謝罪が口から零れた。
「そんな、おじさまは悪くないです!」
「そうですわお兄様、どうか謝らないで」
姪っ子ちゃんと妹さんが、必死な様子で慰めの言葉を発しながらガタガタと席を立つ。
「……ありがとう」
そんな二人へ、変わらない表情のまま、それでも感謝の言葉を口に出すと、どこか悔しそうな様子で彼女達は腰を降ろした。
なんかもう、やっぱり罪悪感しかない。
「……犯人は分かっているんですか?」
ふと掛けられた旦那さんからの声に、視線を向けると真剣な表情で私を見る彼が居た。
「あぁ、その点に関して抜かりは無い」
「そうですか、でしたら安心ですね」
「きっと犯人は今頃戦々恐々としている事でしょうね、何せお兄様ですもの」
「おじさまですものね!」
私の言葉に、彼らは親子揃って、ホッと安心したような、優しい表情を浮かべた。
それは、もう気を病まなくて良い、などの、どこかマイナスを含む感情など無く、心から、私を祝福しているかのようで。
私に対して言いたい事も聞きたい事も沢山あるだろうに、彼らは嬉しそうに笑っていた。
……なんて優しい世界だろう。
皆オーギュストさんが大好きで、だからこそずっと心配してくれていたんだろう。
こんな人達が居るのに、オーギュストさんは全く気付かないまま、壊れるまで自分自身を追い詰めて、逝ってしまった。
馬鹿にも程がある。
やっぱり、今ここに居るべきなのはオーギュストさんであって、私じゃない。
本当に、なんで私がここに居るんだろう。
ふと、家族の事を思い出しそうになって、急いで考えなかった事した。
今そんな事を考えてしまったら、きっと泣いてしまうだろうから。
それは、ダメだ。
絶対、この場所でやっちゃダメ。
私は、気付かれないように少しずつ、本当に小さく息を吸い込んで、同じように吐いた。
そうする事で少しでも落ち着いて物事が考えられると思ったからだ。
感情を荒立てると、魔力が漏れ出して周りに被害が出る事は、オーギュストさんの知識のお陰で容易に想像出来た。
とにかく無理矢理に感情を抑えて、無かった事にする。
「さて、では私はそろそろ行くとしよう」
それだけを言って、カップの中の紅茶を飲み干す。
すると、姪っ子ちゃんが慌てたように口を開いた。
「えっ、おじさまはわたくし達とご一緒されるのでは無いのですか?」
「家族水入らずの邪魔をするつもりは無いのでね。
それに、昨晩は諸事情で挨拶回りが出来なかったのだよ。君達まで付き合わせてしまうのは申し訳ない」
「そうなのですか……」
私の言葉に、しょんぼりと気落ちする姪っ子ちゃんが可愛いと思ったけど、盛り上がる余裕も無く考えを右から左へ流す。
「クリスティア、余り義兄上を困らせてはいけないよ」
「そうよクリスティア、残念なのは分かるけれど、お兄様もお忙しいのだから、今回は我慢しましょう?」
「はい……」
罪悪感と、違和感、姪っ子ちゃんを無条件で可愛いと感じてしまう感情に、ぐちゃぐちゃした不快感を抱きながらも、それでもこのまま放置する事が出来なくて、フォローの言葉を口にする。
「クリスティア、気にせずともまた当家に来れば良い。いつでも歓迎するよ」
途端に笑顔を浮かべた姪っ子ちゃんは、元気なお返事を返してくれた。
「はいっ!」
そんな彼女に複雑な感情を抱いていると、ご両親の二人も私と姪っ子ちゃんの会話に口を挟んだ。
「クリスティアだけなんて狡いわお兄様、今度は家族でお邪魔させて下さいな」
「それは良い、是非ともそうさせて頂きたい」
嬉しそうに笑う彼らの言葉に、私は、冷静で、そして、どこか戸惑ったような表情を、設定の都合上演技に混ぜながら薄く笑う。
「構わない、楽しみにしている」
「だそうだよ、良かったね、クリスティア」
「……っはい!」
幸せそうな家族に、優し過ぎる空間に、反吐が出そうだった。
それでも記憶のせいで後ろ髪を引かれるような思いを抱きながら席を立ち、彼らから離れた。
一切合切表に出さず、来た道を戻る。
景色を見るような余裕は無かった。
目的地も無く、ただ足を進めていると、ふと、誰かが目の前に立った。
一体何だと意識を現実に向けると、そこに居たのは予想外にも程がある人物だった。
「おや、ヴェルシュタイン公爵様ではありませんか、お久し振りにございます、ラグズ・デュー・ラインバッハでございます」
優しそうな笑顔でそういった挨拶と名乗りの言葉を口にしながら、胸に手を当てたこの国の貴族礼をする一人の老人。
……どの面下げて来やがったこのジジイ。
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