第47話【王子視点】

 





 ルートヴィッヒ・シェヴァ・ルナミリアは、第一王子である。

 ルナミリア王国の王族として生まれ育ち、今年ようやく12歳となった。

 銀糸のような髪は陽の光を受けるとキラキラと輝き、その琥珀色をした瞳は光の加減で黄金にも見える。


 この特殊な瞳の色は、初代国王が月の女神ルナミリアより賜ったと伝わる神眼“デーフェクトゥス・オクルス”を発現させる事の出来る者であるという証であり、王家の血筋でも稀にしか生まれない。


 ゆえに彼は巷で聡明と名高いもののまだまだ幼く、いずれ即位する黄金の瞳の次期国王としてこれからを期待されていた。

 王族で金の瞳という事は、特別な意味を持っていたのである。


 だが彼は、その幼さゆえ傲慢であった。

 しかし、それには理由がある。


 世界屈指の美しい景観を持つルナミリア王国。

 現在その国を統治している国王は、民から“不遇の王”と呼ばれていた。


 王位を継承し、即位し王妃を娶ってからこれまで、まず子宝に恵まれず、更に戦乱に巻き込まれ、その間に友人を病で失った。


 学生時代に王に見初められ、望まれて王妃となった彼女は、爵位の低い貴族の娘であった為、元より王家の者としての立場が弱かった。

 更に、長く子に恵まれなかった事で、王妃は子が産めないのではないか等と国中から噂され、結果更に立場が弱くなってしまった王妃の影響力は無いと言っても差し障りが無い程であった。

 それだけならまだしも、王は臣下にも恵まれなかった。


 その筆頭として挙げられるのがオーギュスト・ヴェルシュタイン公爵である。


 領地では圧政、振る舞いは傍若無人、醜く肥え太った家畜のような男。


 王は、かの公爵に弱味でも握られているのか、公爵を罰する事も出来ず、野放し。

 むしろ陛下は、公爵の尻拭いを必死にこなしているらしい。

 ゆえに、いつ国が傾いてもおかしくないというのに、まだ国が存続しているのだ。


 一般論として、それが国中の認識であった。


 能力は高いのに、人材に恵まれず、不幸が重なった王。

 だからこそ、その息子として黄金の瞳の王子がこの世にようやく生を受けた時、戦時中とはいえ国中が歓喜した。


 だが、期待を一心に受けた王子は、人材に恵まれない王の戦時中の采配や戦後処理による多忙と、下がり切った影響力を回復する為に地盤を固める事に必死な王妃の奔走により、余り両親と会う事も出来ず、寂しい幼少時代を送った。


 そんな彼に救いの手を差し伸べ、後見人として名乗りを上げたのは、ルナミリア王国唯一の良心、ラグズ・デュー・ラインバッハ侯爵である。

 彼は黄金の瞳の王子の為に優秀な教育係を探しに奔走し、本人も家庭教師として王子と共にあった。


 これが、一般的に民衆が認識している王家の現状である。


 だが、その全ての結果が、今の王子であった。


 次代の王として知識だけは詰め込まれ、一般常識と人格形成が後回しにされた王子は、傀儡として、とても都合の良い王になる事だろう。


 全てが自分の都合の良いように事が進み、誰も自分を否定しない、夢のような日々。

 それが王子の世界である。


 教育係を変えるべきだ、侯爵に家庭教師などさせるべきではない、王妃は常日頃訴えていたが、影響力の無い王妃の言葉など誰も聞く耳を持たなかった。

 そんな王妃の言葉は王子に届かず、侯爵の手で歪んだ形で伝えられた。


 ──……王妃様より、私が貴方様の家庭教師に相応しくないと言われてしまいました。

 普段は第二王子殿下に付きっきりですのに……──


 ──……母上は一体何をお考えなのだ! 僕から侯爵殿を取り上げるというのか!……──


 王子が、王妃の深意に気付く筈も無く、彼は断固拒否の姿勢を示した。

 体の弱い第二王子が生まれた事で、第一王子が生まれた頃よりも王妃の影響力は落ちていたゆえに、王子自身が了承しない限り、それが実現する事など無かった。


 一番の被害者は王妃である。


 やっと産まれた愛しい我が子は、自分で育てようとしたのにも関わらず、自分の影響力の弱さで他者に取り上げられ、他人の手で育てられている。

 しかも、忙しいという取って付けたような理由で会う事すらもままならない。


 親子ゆえに、お互いが切に会いたいと願っている事など、誰も知らない。

 そして、それを阻んでいるのがラインバッハ侯爵だという事も。


 王妃は、体が弱いせいでいつ死ぬともしれない第二王子を育てる事だけしか許されなかった。


 そんな事を知る訳も無い王子は、自分は両親に愛されていないのだと思い込んでいた。

 だから、自分が都合の良い傀儡として甘やかされて育てられているなど気付く筈もなく、ただ愚かで賢く、そして傲慢に育ったのだ。


 その点を考えれば、王子も被害者と言えるのかもしれない。



 ルートヴィッヒ・シェヴァ・ルナミリアは、第一王子である。

 ゆえに、自分に逆らう存在など何処にも存在しなかったのだ。

 クリスティア・ローライスト伯爵令嬢という存在に出会うまでは。


 彼女は初対面から王子に口答えし、謝罪もなく去っていった。

 予想外過ぎて反応すら出来なかった王子は、いずれ立場に気付いた令嬢が自分から必死に謝罪に来ると高を括っていた。


 しかし、更に予想外は続く。

 全く音沙汰が無かったのである。


 本来の歴史の流れでは、王子はこのままなんの変化もなく育ってしまう。

 だが、それもここまでだった。


 次に令嬢と出会ったのは、本来の歴史の流れとは違う、建国記念パーティの会場であった。


 少女を見付けた王子は、大声で言い放つ。


「ようやく来たのか! クリスティア・ローライスト!」


 そんな呼び掛けに、少女の肩が跳ねた。

 どこか慌てて振り向く少女に、王子は内心で嘲笑う。


 しかしそれも次の瞬間瓦解した。


「まあ、殿下……、大変お久し振りにございます。

 わたくしなどの名前を覚えて下さり、光栄にございます」


 国の王子を前に、何故か冷めた、サラっとした対応である。

 それでも少女が、きちんとした礼節を持って、丁寧な振る舞いをしている事にも王子は気付かなかった。

 ゆえに、王子は更なる苛立ちを募らせるだけ。


「御託はいい! お前、私に言うべき事があるんじゃないか!?」


 いくら王子でも、こういった場で女性に怒鳴るという行為が推奨されている訳が無い事など、常識や人格形成を後回しにされた王子は知る訳が無かった。

 そんな王子にも、少女は冷静な判断で怒鳴り返す事もせず、淑女らしく答えた。


「……えっと、まずは本日、無事建国記念日を迎えました事、真におめでとうございます。

 臣下として、この国の益々の繁栄を……」

「違う! いや、違わないが、そうじゃない。

 先日の件だ!」


 強調するように少女を指差しながら被せ気味に怒鳴る王子の様子は、どこか必死だ。

 そんな王子に、少女は変わらず冷めた視線を向ける。


「……先日? あの時の事でしたら、わたくし、謝罪致しませんわ、むしろ、謝罪して頂きたいくらいです」

「なっ……!?」


 キッパリと告げられた少女の言い分は、王子にとって考えられない返答であった。

 反論する言葉が全く出て来ない王子に対して、少女は凛とした態度で言葉を口にする。


「ですが、もし、謝罪する必要があるとすれば、一つだけです」


 王子には訳が分からなかった。

 だが、分からないなりに、謝罪されるという事には気付いた王子は、どこか尊大な態度で口の端を上げる。


「……なんだ、言ってみろ」


 王子は、自分が自信たっぷりのドヤ顔を周りに披露している事にも気付かず、上から目線で先を促した。

 そんな王子に、少女が地味にイラッとしていた事になどやっぱり全く気付いていないのは、もはや王子クオリティといった所だろうか。


 だが、それでも、と少女は王子へ向けて頭を下げる。


「あの日、殿下を必要以上に悪く言ってしまった事の謝罪を。

 あれはわたくしの八つ当たりでした。大変申し訳ありません」


 少女の謝罪に気を良くした王子は、少女を嘲笑った。

 やはりこの国の王子に逆らうなど愚かな事をするから、頭など下げねばならんのだ。

 そう考えて、ふん、と鼻で笑う。

 そして、王子は尊大にのたまった。


「うむ、その謝罪受け入れよう。

 だが何故私に謝罪させたいなどと戯言を言う」


 いくらあの日の謝罪されたとはいえ、本日の発言までは謝罪されていない。

 耳聡い王子は、いや、心の狭い王子は、たった一回の謝罪でそれら全てを無しにする事など矜持が許さなかった。


 不意に、少女が優雅に、そして、たおやかに口を開く。


「……殿下、無礼を承知で申し上げます」

「なんだ、私は寛大だからな、聞いてやらん事も無い」


 この尊大かつ上から目線の、とてつもなく偉そうな態度は、もはや王子クオリティとしか言いようがなかった。

 そんな王子に、少女はまたしてもイラッとしていたのだが、それも貴族の子女らしい毅然とした所作で隠しながら、説明を始める。


「例えば、殿下の尊敬する方が居たとします、その方をわたくしに貶されたら、憤ったり、怒りを覚えたりしませんか?」

「何を当たり前な事を、怒るに決まってるだろう」

「つまり、そういう事ですわ。

 あの時、わたくしは殿下に憤ったのです」


 キッパリと断言された少女の言葉は、王子には理解出来なかった。

 それでも王子は頭の中で、あの日の会話を反芻させ、前後の会話からあの時少女が憤った自分の言動を推測し、考える。


 尊敬?

 あの、豚のような男を?

 この少女が?


 余りにも言動が理解出来なかった王子は、嘲笑混じりの半笑いを少女へ向けた。


「……待て、まさかお前、あの公爵を尊敬していた、のか?」

「尊敬している、の間違いですわ! それに、おじさまの事をろくに知りもしないのに勝手な思い込みで蔑まないでくださいませ!」


 自分を睨み付け、口元を隠すように扇を開く少女が声を荒らげる。


 あぁ、そうか、この少女は頭が悪いのだ。

 だから、あのような男に騙されるのだ。


 愚かな方は自分だという事にも気付かない王子は、少女をただ嘲笑った。


「あんな輩の何を知れと言うのだ?

 醜く、下卑た、豚のような貴族、それ以外何がある」


 そう言った次の瞬間、少女の表情から一切の感情が消えた。


「それ以上仰るのでしたら、その高貴なお口を捻り上げさせて頂きます」

「っ!?」


 まるで人形のような表情と瞳で、王子を見据える少女。


 研ぎ澄まされた刃を見せられたような本能的な恐怖が王子を襲った。

 予想外で、理解不能。

 それでも王子は、王子であるがゆえに一瞬狼狽えるだけに留める事が出来た。


 だが、少女と目を合わせる事が出来ずに逸らしてしまう。

 そんな王子は、少女から光の無い目でじっと見つめ続けられているのを肌で感じていた。



「謝罪して下さいませ」



 淡々と、しかし重ねて強調するように告げる少女に、王子はただ恐怖を感じた。


 何だこの女、さっきまでと全く違うじゃないか。

 怖い、今まで僕にこんな態度を取る者なんて誰も居なかったのに!





 

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