第31話
旦那様の許可を得て、ようやく旦那様の補佐らしい仕事をさせて貰える事となったその日。
シンザよりの報告で、またしても当家に賊が入り込み、あまつさえ、旦那様のお部屋まで侵入を許した、と聞かされた時、
わたくしは、過去の己の余りの不甲斐なさに、いっそ執事を辞して仕舞おうかと考えてしまう程、憤り、嘆き、後悔した。
急ぎ調べれば、品行方正で、些細なミスが少々目に付く程度の平凡な少女、ミーティア・レドランド男爵令嬢である筈だったメイドが、姿を消していた。
シンザが言うには、彼女は王家の影であったらしい。
二年前、彼女の面接をしたのも、仕事を教えたのも、全て己であったというのに全く気付いていなかった。
王家の手の者であるなら、気付かなくて当たり前だと、シンザは言う。
だが、公爵家筆頭執事であり、旦那様直属の執事でもあるわたくしが、一度ならず二度までも、影の存在に気付かなかったなど有ってはならなかったのだ。
執事の仕事とは、主人のお世話をするだけでは無い。
いざという時、己が主人の身代わりとなり、主人の生命を守りぬく事も含まれている。
そんなわたくしが、賊の存在に気付かなかったという事は、旦那様の生命を軽んじていると取られても可笑しくない。
勿論、そんなつもりは毛頭無かったし、賢人と成られた今の旦那様にかかれば、賊であれなんであれ瞬殺だっただろう。
だが、これでもしも、旦那様が昔のように賢人でなく、王家の影の目的が守護でなく、暗殺であったなら、取り返しの付かない事になっていた筈だ。
初代当主様が王族であった頃より仕えていたひいお祖父様は、初代当主様が廃嫡された後も変わらぬ忠誠を誓い、ヴェルシュタイン公爵家の筆頭執事となった。
そんなシュトローム家の長男として産まれ、執事としての英才教育を受けながら育ち、旦那様付きとなって30年。
なんという失態だろうか。
過去の己が忠誠心を失いかけていた事をここまで後悔する事になるとは思いもよらなかった。
もしも当時の自分に出会えたら、出会い頭に頸動脈を掴んで失神させ、簀巻にし、池に放り込んでやりたい位だ。
旦那様のお仕事の補佐を、これ以上無い程邁進する程度では、申し訳が立たない。
旦那様にも平身低頭謝罪したのだが、お優しい旦那様はわたくしを叱責する事も無く、ただ一言、気にするな、とだけお声を下さった。
───だがそれでは、愚かな己を許す事など出来る訳が無い───
しかし旦那様は、わたくしを罰する事も、今後は気を付けろ等の注意を促す事すらも、しなかった。
もしや失望させてしまったのかと心臓が痛くなったが、不意に旦那様は、わたくしを試すような視線で見詰め、そしてその視線を逸らした。
その旦那様の視線の先には、窓から差す陽の光に照らされた、当家の、今年の名簿。
……そこでわたくしは、愚かで浅はかな己という、矮小な存在に気付かされました。
罰を欲するなど、単なる自己満足であり、己を納得させる為の、納得したいが為の欲望でしかない事に。
旦那様は言葉少なに、愚かなわたくしが少しでも納得出来る道を示して下さった。
“己が信用出来る者を振り分けよ”と。
ならばわたくしは、全ての手を使い振り分けてみせよう。
昔からの馴染みである者達は幾分か信頼出来るが、彼等はそういった事に向いていない。
だが、旦那様の選んだシンザは、そういった事を調べるのに長けている。
ここでもまた、己は旦那様に助けられている事に気付く。
本来旦那様は無口なお方だ。
きっと、全てを察して下さって居られたのだろう。
新参である奴を信頼するのは癪だが、あそこまで旦那様を心酔している様子を見れば、裏切る可能性は皆無と言って差し支えない。
何より奴は、旦那様に認められたい、という感情がダダ漏れしている。
まるで、子供のように。
……ならば、己がやる事は一つ。
「シンザ、居ますか」
「はいはい、なんだよ執事サン」
声を掛ければ、音も無く降り立つ黒ずくめの影。
埃一つ立てず、落とさず、付着さえしていない姿に、奴の技量の高さが伺えた。
やはり、旦那様の御慧眼の素晴らしさには感服するしかない。
「……その呼び方、どうにかならないのですか?」
「え? だってアンタまだ俺に自己紹介してくれてないし」
こてり、と首を傾ける男は、さも当たり前の事であるかのようにそう言った。
「……わたくしの名は、いつも旦那様がお呼びしているでしょう」
「……勝手に呼ぶのもどうかなーって」
「妙な所で律儀ですね、あなた」
呆れたように呟くと、奴は戯けたように肩を竦ませながら軽く笑う。
「あと、アンタの名前長いし、愛称とか更に呼びにくいじゃん」
「……まあ、良いでしょう。
わたくしは、アルフレード・シュトローム。
ヴェルシュタイン家筆頭執事であり、旦那様の専属執事です。
あなたに呼び捨てにされるのも愛称で呼ばれるのも嫌ですし、今のままで構いません」
むしろ、そんな呼ばれ方をされてしまえば、苛立ちと不愉快さしか沸かないだろう。
そう判断し、改めて名乗りながら了承する。
すると奴は、変わらぬ軽い調子で頷いた。
「はいどーも、俺はシンザ、宜しくね。
んじゃ、やっぱり執事サンて呼ばせてもらうわ。
そういや、何の用?」
変わらぬ調子ながらに話題を変えられた事で、本来の用件を思い出した。
「あぁ、そうでした。
……実はこれを機に、大掃除をしようと思いまして」
平然と、執事らしい柔らかい笑みのまま、当然とばかりに告げる。
すると、私の意図を理解したらしい奴の目が、獰猛に光った。
「……へえ? 良いね、じゃあ俺は掃除が必要そうな所を調べたら良いんだな?」
「はい、これも全て」
『旦那様の御為』
わたくしの声に被せるように、一言一句違えず同じ言葉を告げる黒ずくめの男。
思わず、執事らしくない笑みが口元に浮かんだ。
顔を隠す為に布を巻いている為、目しか出ていないが、きっと奴と今の己の表情は、ほぼ同じだろう。
「……分かってるじゃないですか」
「当たり前じゃん」
奴と、……いえ、……彼と協力し、当家の人材の大掃除をする。
それはきっと、旦那様がシンザを配下に置いた時、旦那様が真っ先に考えて居られた事なのだろう。
……──当の本人は、そんな事が勝手に決まっている事など知る由もなく、ただ黙々と再計算に没頭していた。
集中しているせいか、真横でそんな会話をされていても全く気付いていない。
よしんば気付いていたとしても、あ、二人仲良くなったんだ? 良かったーとか、えー、今の時期に大掃除するんだ? 大変そうだなー、とか、そんな事しか考えなかっただろう。
ちなみに、執事から視線を逸らした時など、ただ単に見詰められ過ぎて居た堪れなくなり、つい目を逸らしたらその先で妙に神々しく陽の光に照らされた本が有ったのでつい見てしまっただけであったりする。
なにあれ無駄に神々しくなっとるやんけ、てなもんである。
ついでに言うと、シンザを部下にした時の感覚など
『ぷるぷる ぼく わるい隠密じゃ ないよ!』
隠密が なかまになりたそうにこちらをみている
なかまにしますか?
▷はい
いいえ
くらいの感覚だったりするのだが、当の本人達は知る由もない。
寧ろ、二人の会話に口を挟む事も、止める事すらも無い自分の主に、やはりそうか、流石は旦那様、と忠誠心を高めていた……──。
旦那様に紅茶を用意する為に、旦那様の執務室から音も無く退室する。
その時ふと、ある事を思い出しシンザへ声を掛けた。
「あぁ、そういえばシンザ」
「なに~?」
案の定、すぐ近くに居たシンザが天井から降り立つ。
「あの件ですが……」
「あぁ、アレ。今日だっけ?」
「はい、この後となっていますので、その間お願い致します」
「了解~、あ、ならコレ、要らないかもしれないけど、まあ、一応」
「おや、有難うございます」
受け取ったそれは、一枚の資料である。
その表題には“シルヴァ・ヴェルシュタインを名乗る少年の身辺調査書”と、記されていた。
あの変態出現から、早くも三日が経過した。
それまでの濃厚さが嘘のように、再計算と、捺印が必要な書類だけ消化しながら、穏やかにその三日間を過ごせたのは意外だった。
絶対何か起きると内心だけでにビクビクしてたけど、何も無かったんだから。
まあ、その前の四日間が通常と掛け離れてたのは、死んだ人間が生き返ったからなんだろうと思う。
つーかむしろよくたった四日間で済んだよね。
普通大騒ぎだもんね。
変態?
あぁ、奴か……、うん。
とても、忘れたい思い出です。
そんな風に一人、内心だけで黄昏れながら、今日も羽ペンを走らせる。
賢人取扱説明書によると、明日からトイレも睡眠すら必要無いという期間に入るのだが、今の所、段々とトイレに行く回数が減っているような気はしている。
でも、明日になったからといって本当にトイレに行かなくなるのかはまだ不明だ。
トリセツにも一週間“程”ってあったから、個人差があるかもしれない。
これでトイレが不必要になったら、私は完全に賢人という存在になってしまったのだと証明されるのだろう。
個人的には、人間で居たかったんだけどなぁ。
ちなみに、この屋敷の水周り事情は全て魔道具でなんとかなってるらしい事は、記憶にありました。
まあ、貴族だから当たり前といえば当たり前だね。
うん、どうでもいいね。
羽ペンの先が羊皮紙の上を滑って独特の音を立てているのを聞きながら、ふう、と小さく息を吐いた。
そんな事より、執事さんに再計算を手伝って貰えているのは本当に良かった。
しかも計算ミス無し、字も綺麗とか、最高である。
何なら此処はこうした方が良いとか、改善策を持って来てくれたりもするんだからマジ神かと思った。
もう、ちょいちょい怖いとかどうでも良いくらい感謝しかない。
あ、いや、でも怖い時は怖いです。
出来る事ならもう少し自重して欲しいです。
まあ、そんな七日目、本日も何も起こらずに過ごせるかと思っていたんだが、予期せぬ出来事が発生した。
一体何事かと言うと、あ、これ、マジついさっきの出来事で、現在進行形なんだけどね?
なんかさっきから、目の前に、卓球の球位の大きさの、光る何かが居るんですよ。
うん、何言ってるか分かんないと思うけど、私も分からないんで安心して下さい。
状況を整理しよう。
書類の再計算をずっとやってたら、視界の端を何かがフワッと通り過ぎて、それが目の前に来たと思ったら、そのままずっとそこに居る。
うん、整理しても分かんないね。
なんだこれ。
思わずじっと見詰めてしまったら、その光は蛍のように明滅した。
『あっ!やっときづいた!』
小さな子供のような、可愛らしい舌っ足らずなそんな声が、光から発されたような気がする。
この存在がそう言ったという事は何となく理解出来るけど、音として耳に届いた訳じゃなく、頭の中に直接響くような、なんかそんな感覚があったので余計に訳が分からない。
何これ。
『ほら、やっぱりこのほうほうがいちばんだとおもった!』
嬉しそうに、音では無い声を発しながら、ふわりふわりと私の周りを飛ぶ光は、良く見ればトンボのような羽根が生えている事に気付く事が出来た。
まるで、童話や絵本に出てくる妖精がそのままの形で光っているように見えるのだが、可愛らしいというよりも幻想的という表現がピッタリである。
だけど、羽音もしなければ空気が揺れている気配も無い。
『きづいた?』
『きづいたの?』
『わぁい!』
ふと気付いた時には、光る何かの数は六つに増えていた。
淡い水色の光と、淡い紫の光、白い光と、淡い赤色の光と、オレンジの光、それから、淡い緑色の光だ。
光の数が増えた事で分かったのだが、最初に目の前に飛んで来た光は淡い緑色だったようだ。
…………うん、えっと、ちょっと待って、うん、なんだろうこれ。
『ずっとおしごとばっかりで、わたしたちにきづかないなんて、ひどいわ!』
『わたしたち、ずっとあなたをよんでたのに!』
『そうそう!』
『ひっでー!』
『ひどい!』
『ひどいです!』
『ひどい』
思い思いに鬱憤を吐き出す光達に、とにかく思考をフル回転させた。
飛んでるし、光ってる。
その上、空気抵抗は一切無い。
という事は、これは生き物じゃない。
ペラペラ喋ってる事を考えると知能がある。
これらが全て当て嵌まる存在は、オーギュストさんの知識で考えるとひとつしか可能性が無いんだけど、……ちょっと情報が足りなかった。
「…………ふむ」
「旦那様、何か?」
何処か不思議そうに呼び掛けて来た執事さんを見ると、彼はこの光達の存在に全く気付いていないようで、これだけ光があちこちに飛び回っているのに無反応だった。
……見えていない、という事だろう。
こんな非現実的な状況で、私がなんでこんなに冷静で居られるか、っていうと、キャパオーバーによる麻痺だと思う。
訳分からんけど、まあ、良いや、と開き直った結果のような気もする。
あと、他の可能性としては、そろそろ完全な賢人になるから、あんまり動じなくなって来たとか。
……うん、全部かな。
とりあえず、今は良いや。
とにかく詳細を確かめる為にも執事さんには一旦外に出ていてもらおうと思います。
「アルフレード、クッキーか、何か摘める物を」
「は、畏まりました。少々お待ちを」
恭しく礼をした執事さんの姿が扉の向こうへ消えたのを見計らって、私は光達へ向き直った。
「さて、すまないね。随分と待たせてしまったらしい」
『待った!』
『待ってた!』
「それは申し訳無い。ところで、何か用があるのではないかね?」
『あっ! そうだった! あのね! せいれいおうさまがね! あいさつにこいって!』
『ちがいます、あいさつしたいっておっしゃってたんです!』
『せいれいおう、アイサツ...!』
『ちがうぞ、こんど、あいさつしにここにくる、っていってたんだ!』
『ちげーよ! キンニクショウブしたいっていってた!』
『ちがいます~! カオがみたいってゆってました~!』
順番に、緑、水色、オレンジ、紫、赤、白の光がワキャワキャと騒ぐ。
見事に意見がバラバラである。
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