第21話【隠密視点】
俺に名前は無かった。
そして、物心付いた頃には、既になんだか良く分からない組織で訓練を受けていた。
どうやら俺は隠密行動に向いていたらしいので、暗殺よりもそっちを重点的に。
片親が魔族だと言われながら育った。
闇の属性を持つのは魔族に連なるものだけらしいから。
人間の、魔族に対するイメージは悪い。
生き血を啜るとか、悦楽的だとか、殺人が好きとか、そりゃもう色々聞かされたが、特に何も思わなかった。
むしろ俺は何も考えず、何にも感情を揺さぶられず、ただ、淡々と生きていた。
正直な話……どうでも良かったのだ。
目標も無く、生き甲斐も無く、仕事を受けて、熟すだけ。
他の隠密仲間は、いつか自分の主を持ち、その主に名付けられたい、そう言って様々な場所の依頼を受けていたが、俺はそれに対して、誰かに縛られるのは嫌だ、と思っていた。
名前なんて無くても、今まで困った事が無い。
それに、依頼を受けた間だけの、深くない関係が気楽だった。
他人に関心が無く、感情も、あるにはあるけど、他の奴と比べるとあんまり無い。
だけど、無表情で居るのは色々と面倒事が多くて、処世術として仕方無く、適当に笑うようになった。
普通の奴なんて俺の周りに居なかったけど、確かに俺は普通じゃないんだろうと思っていた。
それが半分魔族だから、っていう理由かどうかは、分からなかったが。
魔族については、一応調べた。
何せ半分だけだけど自分の事らしいから。
だけど、その辺にあるような本には殆ど載ってなかった。
人間ってのはよっぽど魔族が嫌いなんだろうと思ったくらいだ。
仕方無く王城で管理されてるような禁書を読む為に、腕を磨いた。
そっちの方が、少しは載っているだろうからと。
幸か不幸か、それとも魔族様々ってやつなのか、俺には判断が出来ないが、元々の能力が高かったらしい俺は、普通の奴なら三十年以上掛かるらしい域まで、十五年程度で到達出来た。
その頃には王城の書庫に忍び込み、魔族について書かれた、きちんとした本を見つけ、悠々と読む事さえ出来るようになっていた。
けど、肝心の本の内容は、なんか胡散臭かった。
人間と殆ど変わらない外見だが、総じて魔力が高く、長生き、とかその辺はまだ良い。
自分の遥か彼方の強さを持つ者を崇拝するように、本能として刷り込まれてる、とか特に胡散臭かった。
だからこの時の俺は、全く信じていなかった。
色んな書物を、忍び込んだ先で読み漁って、魔族については理解出来た方だと思う。
半分は自分の事なのに全く現実感が無くて、知識だけが無駄に増えただけだったように思う。
気付けば、髪と目の色からか“灰銀”と呼ばれ、裏の世界で“真紅”の次くらいに有名になっていたようだ。
金さえ積めば、どんな屋敷にも、城にさえも、忍び込める隠密として。
「灰銀、ヴェルシュタイン公爵家に忍び込め」
銀髪とは違う、ただの白髪のジジイが、俺を見下しながら命令した。
冷たくて、馬鹿にしたような、普通の奴なら苛立ちで歯軋りして、殺意が芽生えるくらいの、侮蔑の表情。
いくら高い金貰ってても、俺でさえ時々嫌になるくらい、今回の雇い主は最低だ。
この国の宰相である筈なのに、目先の利益と、己の立場しか見えていない耄碌ジジイ。
ラグズ・デュー・ラインバッハ候爵。
自分が良ければ、他人はどうでもいい、ってのが良く分かる表情で、俺をゴミか何かみたいに見下すけど、基本的にどうでもいいと思ってたから、その視線は無視してやった。
「えー、なんで俺が?」
たとえ雇い主相手でもこの態度も口調も崩さない。
これだけが俺を俺だと認識できる全てになっていた。
……いや、そこまで言うと大袈裟か。
単に癖になっていて、抜けないだけ、かもしれない。
自分の感情の事はいつまで経っても分からなかった。
「ふん、予想外の事態となったらしい。調べて参れ」
「だからさ、理由が知りたいんですけど? あそこには何人か行ってたじゃん」
正直、たったそれだけの理由でわざわざ俺が駆り出されるとか、面倒臭いんだけど。
「……そやつらの内、間抜けが一人、捕まりおった」
心底鬱陶しい、と言いたいのが丸分かりの態度で、吐き捨てるみたいに呟くジジイ。
これで普段は、温厚で慈悲深いとか、聖人とか、めちゃくちゃ良いように言われてるんだよこのジジイ、なんつーか、業が深いよね。
「はあ? じゃあ当主暗殺失敗ってワケ?」
「……ゆっくり衰弱死させて行く予定だったのだがな、突然持ち直した上に、女が一人、捕まったと報告があった」
自分の思い通りにならない駒など要らない、という理念の元、ジジイはヴェルシュタイン公爵を始末しようとしていた。
立場は自分よりも上、妻を亡くしてから暗愚になっていたとしても、基本的に自分に反抗的、だから、要らない。
このジジイはたったそれだけの理由で、人を一人、平気で暗殺するのだ。
だけど、それが失敗した。
しかも女って、送り込んだ中でも、俺以外のジジイの手持ちの中でも、一番強かった奴じゃないか。
「なにそれ、なんでそうなったんだよ」
「それを貴様が調べて来い」
面倒臭そうに命令してくるジジイ。
……理由は分かったけど嫌だわー。
俺だってめんどくせーもん。
…………でも、行かなきゃならないんだろうなコレ。
断ったら、刺客を送り込んで来る気だろう。
勝てない訳じゃないけど、このジジイ無駄に金使って人海戦術してくるからなぁ。
金払いは良いけど、敵に回すとめちゃくちゃ面倒臭いと裏の界隈で評判のジジイである。
「あー、はいはい、なるほどね。ついでに捕まった間抜けは始末すりゃ良いんでしょ」
「うむ」
「報酬弾んでよねー」
そんな俺の声は、多分、聞かなかった事にされたんだろうな、とか思いながら、俺はジジイの屋敷を発ったのだった。
結論から言うと、俺は失敗した。
前に何度か忍び込んだ事があったから、余裕ぶっこいてた、って言ったら正しいと思う。
それでも俺は油断してなかったし、慎重に行動してた。
だけど、あれは俺が対処出来る許容範囲を超えていた。
……間抜けを始末するのは簡単だったのだ。
元々俺より弱いし、牢屋に簀巻でブチ込まれていたから見付けるのも殺すのも、何もかも簡単。
だけど、公爵の寝室。
あの部屋だけは、他と、何もかも違った。
俺が天井裏から部屋の中に入った瞬間、圧迫死するかと錯覚する程の、魔力。
それが理解出来た時には、もう既に遅かった。
体が動かなかった。
何が起きたのか理解出来ない中、ただひとつ分かったのは、俺が凍らされている、って事だけ。
死にたくなくて、刈り取られそうになる意識を必死に繋ぎ止めながら、自分に使う事なんて無いだろうと思っていた、仮死状態になる魔術を行使した。
次に気付いた時には、牢屋の中、俺が始末した間抜けと同じように、簀巻状態で転がされていた。
生かされているという事に驚いたけど、情報を得る為に捕らえていた間抜けな女はもう俺が始末している訳で、そうなると、俺を殺したら黒幕は完全に闇の中。
つまりはそういう事なんだろうと納得した。
そんな時、俺が気付いた事で公爵の私兵らしい男が尋問して来たけど、俺はそれよりも、公爵に会わせろ、としか答えなかった。
会ってどうするのか、は考えていなかった。
本当に会えるとも思っていなかったし。
「……それで、話とは一体なんだね? 此方に益が無ければ、すぐにでも斬って捨ててやろう」
冷たく底冷えするような、真冬の寒さみたいな温度を肌で感じてしまうような、そんな錯覚をする程の、冷たい声音。
その声に顔を上げれば、そこに居たのは、今まで見た事も無いような美しさの、壮年の男だった。
アイスブルーの瞳、青みがかった銀髪、冷徹な表情。
俺の記憶にある、ヴェルシュタイン公爵の面影はたったそれだけ。
これは、この人は、一体誰だ?
だけど、何故だろうか、出会えて嬉しい、と感じている自分が居た。
……訳が分からなかった。
この瞬間の、俺の気持ちが分かる奴は居るんだろうか。
「物騒な事言わないでよ、交換条件って言ったら分かる?
俺を助ける代わりに情報渡すからさ、それで勘弁して欲しいワケよ、駄目?」
声は震えなかったものの、自分が何を喋っているのか、何を言ってしまったのか、
混乱の余り何も分からないような状態で、いつものように尋ねてしまった。
こんな風に感情が乱されるのは初めてで、だからむしろ、いつものように喋れているという事が奇跡のようにすら思えた。
「それだけでは全く対価にならんな、当家はネズミには事欠かない。
貴様が処分されようと次を持って来れば良いだけだ」
キッパリとした返答、そしてその人の冷たい視線が俺を射抜く。
心臓が、鷲掴みにされたような錯覚。
だけど、不快じゃない。
いや、そんな事考えてる場合じゃない。
どうしよう、どうしたらいい
ていうか、この感情は一体何なんだ
訳が分からないまま、とにかく言葉を口にする
「まあまあまあそう言わず! 俺結構強いし使えるよ? なんならアンタに忠誠誓うからさ!」
「信じられる要素が何一つ無いな」
キッパリ、一蹴されてしまった。
内心物凄く慌ててるんだけど、それをどうやって表情にしたら良いかイマイチ分からないので、いつもの笑みしか浮かべられない。
でもとにかく、噛まないように慎重に答えた。
「ひっどいなあ、諜報系で“灰銀”って言やあ裏の世界じゃ一番有名だよ?」
ちょっと待ってテンパり過ぎて自己アピールみたいになった何コレ。
自分で自分が分からない。
何やってんの俺。
「ふむ、その灰銀と貴様が同一である証拠でもあるのか?」
「……アンタみたいなバケモノ相手に生きてる事が証拠にならない?」
反射的に言ってしまった俺の言葉は、どう考えても失言だった。
いやいやいや、何やってんの俺、落ち着けよ頼むから。
途端に、その人が魔力を放出した。
「バケモノとは心外だな、よほど処分されたいとみえる」
「あー! ごめんなさい! 今のは失言でした! 旦那は賢人並に強いって意味です! 悪い意味じゃないよ!」
ダメだ流石にコレは無理死んじゃう!
余りの重圧に心臓が嫌な音を立てた気がしたので、珍しく必死になって謝罪してしまった。
「そうかね。どうでもいいな」
だけど無常にも、その人は魔力を手に纏わせ始める。
ええぇぇえ! ちょっと待ってやだ死にたくない!
「待って待って待って! 証拠! 証拠だよね! あるよ! ホラ! 頭巾! 頭巾取って!」
こんな状態じゃ証拠すら見せられない。
とにかく俺はこの状態でも出来る精一杯のアピールをした。
といっても、身体を跳ねさせる事しか出来ないんだけど。
身体を床にぶつけてなんか地味に痛いけど、今はそんな事を言っている場合じゃなかった。
そうやって必死に跳ねていると、不意にその人は何処かに視線を動かした。
その視線の先を追うと、ずっと控えていたらしい執事の男が一人。
この男が執事、って事は、この男は、目の前のこの人に仕えている、って事だ。
それが理解出来た瞬間、俺を襲ったのは今まで感じた事の無い感情だった。
ドロッとして、醜い、負の感情。
そして、浮かんだのは、なんでコイツがこの人に仕えてるんだ、俺だって仕えたい、なんて、そんな分不相応な思い。
それは、生まれて初めて、他者に感じる嫉妬だった。
頭の隅の冷静な部分で考える。
なんで初対面の相手に此処まで肩入れして、しかも別の奴には生まれて初めての嫉妬までしてるんだろう。
疑問に思いながらも、それを受け入れている自分が居た。
───魔族としての本能───
不意に思い出したその知識に、思い切り溜息を吐きたくなった。
この人は今までと違う、という事だろう。
何が、とか聞かれたら分かんないとしか答えられないけど。
強いて言うなら魔力量か?
いや、どうもそれだけじゃない気がする。
信じたくなかったよこんな本能。
でも、ここまで何もかも違うと、認めざるを得なかった。
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