第16話【2】

 





 それは、わたくしが今まで見たことのない、おだやかな表情でした。


「……おじさま、やっぱり変わられましたわね」

「…………ふむ、そう思うかね」

「えぇ、前からとてもお優しかったけれど、いつもピリピリしておられました。

 でも、今はスッキリしたような、おだやかな顔、してらっしゃるわ」

「……そうかね」


 わたくしの言葉に、おじさまは少し戸惑ったようなフンイキでそうおっしゃって、頷かれます。

 そんなおじさまもステキです。


「一体何が原因だったのか、わたくしには想像も付かないけれど、ようやく、おじさまの憂いが晴れたのですね、……本当に良かったです」


 いつもどこか悲しそうなお顔で、わたくしのことを見ていたおじさま。

 優しく頭を撫でて下さる手はとても心地よかったけれど、時々震えていたのを知っていました。


 今は、それが無い。


 わたくしはそれが、とてもうれしいです。


「……ありがとう、クリスティア。

 さあ、お茶にしよう。君の話を聞かせてくれるかい?」


 おじさまのその言葉に、わたくしはもちろんです、と力いっぱい頷きました。


 それからわたくしはおじさまと、色んな話をしました。


 ひと月の間お倒れになっていたおじさまは、知らないことが多かったらしく、わたくしがたくさんしゃべることになりました。

 ですが、おじさまといっしょにいられることがうれしくて、そんなのまったく苦には感じませんでした。


 おじさまのご用意したお菓子は、王都でも有名なパティシエが作った物よりも美味しく感じました。

 オランジュのデニッシュクッキーと、ほのかな甘さのスコーンに、香りのいい紅茶の組み合わせは絶品でした。


 その時ふと、おじさまがわたくしに尋ねました。


「クリスティアは、好いた者と結ばれたいと思うかね?」


 質問の意図がつかめなくて、思わず口にお菓子を入れたまま少しだけ固まってしまったけど、すぐに飲み込んで、紅茶で更に奥へと流し込んでから、わたくしは口を開きました。


「それは、たしかに理想ではありますけれど……、わたくしは貴族ですもの、ムリだとは分かっておりますわ」


 それを理解してしまったのはついこの間、王子と面会させられるということが決まった時でした。

 あの時、貴族の子供には、そういう自由は無いのだと思い知らされたように感じたのです。


「ふむ、確かに貴族にとって、血筋も、立場も大切だろうな」

「えぇ、ですので、わたくしは貴族として、父の定めた婚約者ならば、受け入れるつもりですわ」


 真剣に答えながら、じっとおじさまを見つめます。


「それが例え、第一王子でも、かね?」

「……えぇ。物凄く、嫌ですけれど」


 わたくしの決意を試すようなおじさまのお言葉に、つい苦い顔をしてしまいました。


 いくらわたくしが嫌がっても、家のためにはどうしようもないことなのですから、仕方ありません。


 ふと、おじさまが話を変えました。


「クリスティア、君は第一王子がどのような人物か、知っているかね?」

「クソ生意気なバカですわ」

「これ、何処で覚えたんだね、そんな言葉」


 反射的にサラッと暴言を吐いてしまって、おじさまに厳しいお顔でご注意をされてしまいました。


 ……わたくし、やっぱり学習能力がないんだわ。


「もうしわけありません、おじさま……」


 泣きそうになってしまいながらも、なんとか謝罪の言葉を口にします。


 こんなのじゃダメよ、クリスティア。

 おじさまに嫌われてしまうわ。


 そんなの、耐えられない……!


 だって、わたくしには、おじさまが唯一なのに……!


 恐る恐る、そっとおじさまの様子を見ると、特に気にした風もなく、優雅な所作で紅茶のカップに口を付けておられました。


「……まあ、反省しているなら良い。

 話を戻すが、……私が知る第一王子は、寂しい子供だ」


 そうおっしゃったおじさまは、コトリ、と小さな音を立てながら、カップをソーサーの上に乗せます。


 ……そんなおじさまも、さきほど注意されてしまったのを忘れそうなくらい、優雅で美しくて、カッコいいです。


 だめだめ、だめよクリスティア、ちゃんとおじさまのお話を聞かなくっちゃ。


 わたくしは、見とれそうになる自分を叱咤して、必死に気を引きしめました。


「寂しい、子供?」


 わたくしは、おじさまの言葉を繰り返します。

 するとおじさまは、何かを思い出すように、少しだけ目を細めていらっしゃいました。


「……王位継承権第一位という事はどういう事か、分かるかね?」


 おじさまの問いに、わたくしはすぐに返答を返します。


「将来王になる可能性が一番高い、という事ですわ」

「そうだな。だがそれはつまり、自分を持てない、という事だ」

「自分を、ですか?」


 おじさまのおっしゃりたいことが分からなくて、つい不思議そうな顔をしてしまったのでしょう。

 おじさまは、わたくしを見ながらかすかに微笑まれました。


 微笑むおじさまは、なんというか、もう、だめだわ、表現できない。

 ああもう、どうしましょう、今、わたくしとてつもなく幸せだわ……。


「……クリスティア、君は伯爵令嬢である前に、クリスティアという人間だろう?」

「はい」

「だが、第一王子は、小さな頃から王太子として育てられる。

 次の王として相応しく、だ」


 おじさまはそう静かにおっしゃるのですが、わたくしにはやっぱりよく分からなくて、首を傾げてしまいました。


「…………えっと……」


 するとおじさまが、侍女のリーナにさえ分かるくらい、微笑まれました。


 ……どうしましょう、真剣なお話なハズなのに、まったく集中出来ません。

 リーナもポーッとおじさまを見ています。


 だめだわ、切り替えないと!


「ふむ、少し難しかったかな。

 そうだな、つまり、全く自由も無く、意見も聞いてもらえず、理想ばかりを押し付けられ、それが当たり前になっている子供だ」


 おじさまのそんな言葉に、冷たい水を浴びせられたみたいな気がしました。


「そんな事が当たり前に……?」

「そうだ。寂しい子供だろう?」


 もし、そうなら、わたくしは王子にひどいことをしてしまいました。


「お友達は、いらっしゃられないの?」

「従者や、ご学友なら、居るだろうね。そして彼等は、王子を王子としてしか、見ていないだろう」


 わたくしの疑問に、おじさまは静かな解答をくださいました。


 そして、それは。


「まあ……! なんてこと……」


 わたくしと王子が、似た境遇、ということ。


 あの方も、色々と理由があって、あんな態度だったのでしょうか。

 パーティの時の、両親のケンカを止める為にわざと、したくもない癇癪を起こしたあの時の、わたくしのように。


「……そんな時に、勝手に婚約者まで決められそうになったものだから、腹が立ったんじゃないかね? 反抗期、または八つ当たり、だな」


 おじさまのそんな冷静なお言葉が、わたくしの胸を苦しくさせます。


 ……わたくし、なんて考えなしだったんでしょう。

 あの時の王子の態度の理由なんて、ほとんどわたくしと同じじゃない。


 ……だけどそれでも、おじさまのことを悪く言ったことだけは、許せません。


「……あの子供がわたくしに言った言葉は許せませんが……、心情は理解できたように思います」

「なら次会った時には、婚約者ではなく、友になってやれば良い、と私は思うよ」


 紅茶のカップを傾けながらおっしゃられるおじさまのお言葉に、わたくしは頷きながら決心します。


「……そうですわね、次代の王が、友の一人もいないなんて、……どう考えてもロクな王になりませんわ……」


 お友達のいないわたくしがコレなんですもの、あの王子が王になんてなったら、国が滅んでもおかしくありません。


「……ふむ、君がそう思うならそうしてあげたまえ。

 彼本人は望んで居ないかもしれないが、誰かがお節介を焼かねばロクな事になるまい」

「えぇ、機会があればそうしてみますわ」


 それから、きちんと謝罪しておきたい。

 だって、わたくしも悪かったんですもの。


 腹が立ったから言い負かして良いなんて、そんな都合のいいこと、あるわけないのです。

 許してくれないかもしれないけど、わたくしだって許せない部分があるんだから、おあいこですわ。


 ふと、おじさまが少しだけ不思議そうに、わたくしを見つめました。


「……焚き付けておいてなんだが、良いのかね?」

「構いませんわ、自分の身よりも国の平和が大事ですもの」


 なにより、国が乱れたらおじさまにご迷惑がかかりますもの。

 わたくし一人がガマンするだけで良いのなら喜んでイケニエになりますわ!


「……そうかね。……ならばお詫びに、相談くらいならばいつでも乗ろう」

「良いのですか!?」


 まあ! なんて幸運!

 まさかおじさまの方からそんなことをおっしゃっていただけるなんて!


「あぁ、可愛い姪の為だ。それくらいは当然だよ」


 そうおっしゃって、またわたくしに微笑んでくださるおじさまのあまりのステキさに、一瞬気絶するかと思いました。


「ありがとう、おじさま……! わたくし、もっとがんばりますわ!

 良い意味で、流石はヴェルシュタイン公爵の姪だ、と言われるように!」


 ああ、この方のためなら、わたくしいくらでもがんばれます。

 おじさまの姪として、恥ずかしくない淑女にならなくては!


「……余り無理をしてはいけないよ」

「おきづかい、いたみいります。ですが、これはわたくしの本心ですの」


 これだけお優しくて素晴らしい方なんですもの、姪が愚かで居ていいはずがありません。

 誠心誠意、全身全霊で、いままでの勉強なんて生ぬるいくらい、がんばりますわ!


「……ふむ、我が一族の姫の決意は堅いようだ。

 だが、一つだけ約束してくれるかね?」

「なんでしょう?」


 わたくしの決意の硬さに、どこか困ったようにかすかに笑いながら、おじさまがお言葉を口にします。

 わたくしは一言一句聞きもらさないよう、耳を傾けました。


 するとおじさまは、さきほどまでとは違うとても真剣なお顔で、わたくしをじっと見詰めながら、告げられました。


「どうしようもなくなる前に、頼る事。私が君に望むのはそれだけだ」


 理解した瞬間、わたくしは天にも昇る気持ちになりました。


 ……ああ、ああ!

 なんてお優しくて、美しくて、カンペキな方なんでしょう!

 わたくしのために、わたくしの欲しい言葉を選んでおっしゃってくださるなんて。


 うれしくてうれしくて、ゆるみそうになる顔を必死でこらえながら、わたくしは答えました。


「……わたくし、あまり頼る事はしたくないのですが、他ならぬおじさまのお言葉ですもの、お約束させていただきますわ」


 あれ、なんだか素直に言葉が出て来ませんでした。

 おじさまのステキさに言葉が混乱してしまったのかもしれません。


 するとおじさまは、さきほどと同じように、どこか困ったようにかすかに微笑まれました。


「絶対に、違えてはいけないよ」

「はい!」


 念を押すように優しくおっしゃるおじさまに、わたくしは満面の笑顔で、元気に返事を返したのでした。












 この日を境に、この世界の歴史は、少しずつではあるが、確実に変わり始める。


 何故なら、本来のオーギュスト・ヴェルシュタインの場合での歴史とは違うからだ。


 本来、今日、この日、この場所では。


 王族との婚約の話が来た、という少女の言葉に激昂し、裏切者と罵りながら、彼は姪である筈の少女に乱暴を働いてしまう。


 自分の為に用意された調度品や内装に囲まれながら、信頼し、敬愛していた叔父に乱暴されたショックで、少女は心に深い闇を抱える事になる。

 その事件以降、少女は、自分は誰からも愛されないと絶望し、その後、以前の謝罪を求めやって来た王子に何故か優しくされた結果、その王子に依存してしまうヤンデレと化してしまうのだ。


 クリスティア・ローライスト伯爵令嬢、ゲームの時間軸では、17歳。

 金髪の腰まであるストレートを靡かせた、死んだような薄緑の目をした大きな吊り目の美少女。

 恋愛モードに突入した際、主人公が少年なら攻略対象として、少女なら王子を攻略する際のライバル令嬢としても登場するキャラクターである。


 だが、この世界はゲームではない。


 ゲーム本来のストーリーからは逸脱しようとしているが、ゲームではないので修正力など働かない。


 つまり、世界はこのまま、時を重ねていくのだ。


 全てを眺めながら、神は笑う。


 なんかめっちゃ面白くなりそう、と。




 

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