第四界—1 『執事ノ鎧』
——深く、暗い、碧の暗闇の中
荒ぶる波が俺を飲み込んでいた。
その波により俺の肉体は通勤ラッシュの人混みに押し潰され、流される様な感覚に陥らされる。
そして波は俺の口へ、喉へと……電車へとなだれ込む群衆の如く入り込み、体内を満たす。
だが俺は慌てない、苦しみの中で身を揉みくちゃにされながらも一切の焦りを覚える事は無かった。
何故ならこれは夢だから、消えた意識の中で俺の脳が作り出した虚像の情景と感覚なのだから何も恐れる必要は無い……
……おかしい、何かがおかしい、これは夢のはずなのに、俺は夢だと理解しているはずのに……だというのに感覚が現実の物としか感じられない……目の前に広がる光景は明らかに偽りなのに、水が口内を満たし喉を押し広げ体内へ流れる感覚だけは本物である、そう考える事しか出来なかった。
夢を終わらせる為、この苦痛を無くす為に目を瞑り……そして俺は現実の世界で目を開く……
「ごぼっ……ぼぼぼぼぶぉが!?」
「あっ起きた」
目を覚ますと俺は現実でも溺れていた。
溺れる……と言っても川や海の中で並に囚われているわけではなく、眠っている状態で……抵抗の出来ない状態で水を流し込まれ続けるという一歩間違えば死んでしまいかねない様な拷問を受けていた。
「はぐぁッ……オボゥっ……ぅぁ……」
「うわっ……吐かないでよ汚いからさ……」
起き上がり、下を向いて体内を満たし圧迫する水を一斉に、決壊したダムの様に、豪華な、御屋敷の一室と思われる空間の床、白いカーペットへと放出する。
その様子を見た誰か……声の感じからして女と思われる誰かは犬の糞でも踏んでしまったかの様な不快感を露わにして呟いた。
「はぁっ……君は……」
水を吐き終えて1度息を吸いその誰かに視線を向けてみると、その誰かは髪が黒く膝まで届いていて、そして白と金色に近い麦の様な色彩のゴスロリ服……とまでは行かなくともとにかくお金持ちのお嬢様であると1目で理解出来る様な服装を纏った少女だった。
「……いい」
思わず呟いてしまう。
一切のハネが無く、艶やかな黒髪ロングで、更にこの下等生物の死骸でも見る様な冷ややかな目線……凄く良い……一言で言ってしまえば俺の好み、タイプにドストライクのS系女子を目の当たりにしてついつい言葉を零してしまった。
「……? いいって私貴方に何かしたっけ」
「いや別に何も……じゃない! お前俺が寝てる間にそのペットボトルの水を飲ませて溺死させようとしただろ!?」
立ち上がり、少女の右手に握られたペットボトルを指先して言い、問い詰める……というか2Lじゃねぇか、しかも3分の2くらいは無くなってるし。
「えっ……いや寝てる時凄い汗かいてたから飲ませた方が良いかなって思って……」
「いいや嘘だ! 流石に善意でそんな量を寝てる人の口に流し込んだりなんてする訳がッ……」
「……ごめんなさい」
「っ!?」
俺の叫びに込められた敵意に怯えたのか少女は俯き、小さく、微かに震えながら謝罪の言葉を呟く。
俺はSっ気のある子が好きだ……そしてそういう子が怖がったり、罪悪感を覚えたりする様子も好き……ではあるのだが、実際目の当たりにしてみると可哀想に、哀れに思えてしまった。
「……まぁいっか、信じるよ、ほんとに殺す気なら溺死なんてさせなくても寝てる奴なんて簡単に殺せるもんな」
「そう……信じてくれるんだ」
「信じられた方がそっちも気分がいいだろ」
「まぁ……そりゃあね」
少女はほんの少し口角を上げ、さっきよりも少しだけ大きな、活力の感じられる声で返事をする。
「……でも迷惑かけちゃったみたいだし……」
少女は悩んだ様に顎に指を当て、辺りを見渡し……思い付いた様に呟くと俺の目の前、少女の息が聞こえる所まで近寄ってきて……そして
「ん……え……んんんッ!?」
ポケットから取り出した淡い黄色のハンカチで、俺の口周りに付着した水や胃液などの吐瀉物を拭き取った。
突然の事に困惑してしばらく思考回路を停止させた後、状況を理解し反射的に絶叫してしまう。
「よし……それじゃあ取引を始めましょうか」
「取引……?」
「と言ってもちょっとした交換条件があるただの約束だけどね……っと」
少女は口を拭いた方を内側にしてハンカチを折りたたみポケットにしまい、そして部屋の中央に置かれたやたら高そうな小さな椅子にゆっくりと腰掛ける。
「……早く座ってくれない? 上から見下ろされるの嫌いだからさ」
すぐに謝ったり、ハンカチで初対面の相手のゲロを拭いてくれたりする様子から意外とSっ娘ではないのかと思ったがSとまでは行かなくともちゃんとお嬢様的な考えを持っているらしい……基本的には人より上に立とうとしながらも所々で本来の優しさが出てしまう……素晴らしいな。
「ッ……早く座って! ……あとあんまりジロジロ見ないでよ……気持ち悪いからさ……」
「悪い……少し考え事してた」
—
「よっ……と、おぉ……結構座り心地いいな」
「そりゃあ私の椅子だし」
少女は自慢げに、機嫌良さそうに微笑を浮かべる。
俺が褒めたのは椅子であって少女の方ではないのだが自分の所有物を褒められてあたかも自分が偉いかの様に感じ、誇らしげにするのはお嬢様キャラにありがちで……そして何より俺がそういうのを好きなので問題無い。
「……で、取引ってなんだ?」
思考に陥り、また黙って少女の事を見続けてしまい何か言われる前に話題を、俺の意識を本題に持っていく。
「取引の内容……の前に自己紹介をした方がいいかもしれないね」
「そういえばお互い名乗ってなかったな……君の名前は?」
「貴方が先に名乗って、情報とか何かを交換する時に自分から先にするのは嫌いでね」
交換条件は相手から……これはお嬢様思考……なのかは微妙だがまぁ顔良いし、先に名前を言っても損は無いから別に良いか。
「じゃあ何から……いや名前だけでいいのか……俺の名前は朝日 昇流、のぼるは上昇の昇と流星の流だな」
「へぇ……少しキラキラネームっぽいね」
「あー……確かに」
言われてみれば少し……というか割とガッツリキラキラネームだった。
流石に騎士と書いてナイトって読ませたりする様な次元では無いが少女の言う通りキラキラネームではある。
「昇流か……よし、じゃあ私の番だね」
「そうだな……」
頼む! めちゃくちゃお嬢様らしい名前で……高貴な感じか、それか童話のお姫様でも想像させる様な可愛らしい感じの名前であってくれ……!
この見た目と話し方でめちゃくちゃ厳つい名前だったらショック……いや待てよ?
もし厳つい名前だったとして、その名前をコンプレックスに感じていたとしたらそれはそれで……
「私の名前は
少女は、黒姫はそのある意味、苗字までもが派手な事でキラキラネームよりもインパクトのあり、そしてお嬢様らしく……どこかで聞いた事のある様な名を名乗った……が、そんな情報も一瞬で消してしまう様な言葉を、黒姫は次の瞬間言い放つ。
「バトラーの主人、アーマードバトラーの変身者だよ」
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