221002

今日、ぼくは村上春樹の長い小説『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだ。とても面白く読めた作品だった。実を言うと、前にも書いたかもしれないけれどぼくは村上春樹の作品と十代の頃に出会って、それ以来エッセイは時折逃してしまうこともあるけれど小説はまめに読んできたつもりだ(すべて、ではないかもしれないけれど)。でも、この年齢になって読み返した『世界の終り~』はまた心に沁みた。十代の頃、まだ何もわかっていなかった頃に読んだのとは違うタッチを感じたんだ。これはぼくが成長したという証なんだろうか。


小説のことはまた別のところで書くかもしれない。こんな風に小説を読めるシラフな状態にいられるということ、それがぼくは嬉しいと思う。40の頃までぼくはずっと酒に溺れていて、小説を読むどころではなかったからだ。毎朝思うことと言えばただ、「今日もまた生きなければいけないのか」という嘆きであり「もう死にたい」という絶望だった。酒を呑み始めたのは就職活動をしていてうまくいかなかったという、そんな事情からなのだけれどいつの頃からかそれは「自殺願望を飼い慣らすため」という目的にすり替わってしまった。


アルコールを断つことにして、一日断酒を続ける。そんな日々を続けるうちにぼくの中の価値観も少しずつ変わってきたのだと思う。ぼくは今、グループホームで食べるご飯が美味しいことに喜びを感じる。あるいは今日みたいに好きな小説を腰を据えて読めることにもだ。好きなことに夢中になったり、日々の新鮮な材料に驚きを感じたりすることができている時、ぼくは幸せだなと思う。今はぼくは自殺願望を感じることはない。47歳というともう人生も後半戦の最中というところだろうけれど、もしかしたらこれから自分の人生は始まるのかもしれない、とさえ思えてくる。もちろん、それはそれで恥ずかしいのだが。


自殺願望を感じる原因の大本には、多分にぼくが生きづらい少年時代を送ったからというのもあるのだけれど、それもまた別の機会にしたい。今、ぼくは自分が酒に溺れてロクに青春を過ごせなかったことで誰かを恨んだりすることはない。恨んでもカネは入ってこない。それより、今こうして信頼できる仲間がいること、そして自分が本や音楽、ジャーナリズムやアカデミズムから得た知識がいろんな人を喜ばせられることに喜びを感じる。それは多分にぼくの性分なのだろう。ぼくは元来、喧嘩したり論争したりすることに向いていないのだと思う。Twitterもやめてしまうかもしれない。

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undercooled 踊る猫 @throbbingdiscocat

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