山本の小説(3)

Side-A

 途方もない距離を走り続けた先、四人の目は確かに巨大な建物を捉えた。

 辺りはすっかり暗くなっている。それでも、ライトアップされている『劇場』の全貌はよく見て取れた。

 つつましい装飾が施された壁面には窓が規則正しく並び、ホテルと見紛うほどだ。エントランスには輝く重厚な看板が据えられ、『Theater』の文字がぎらぎらと輝いている。

 オープンカーは少し手前で停車した。周囲にはまだトウモロコシ畑が広がっている。『劇場』はどう見てもこの土地に不似合いだった。

「ついに着いたよぉ」

 さすがにくたびれたのか、触角が弱弱しい声を上げる。

「そして、予想通り、という感じかな。第一関門だ」

 IDが前方を指さす。

『劇場』の周囲は、有刺鉄線のようなもので囲まれていたのだ。もしかしたら、電流も通っているかもしれない。もちろん出入りするための門はあるのだが、そこは固く閉ざされ、同じ鉄線でぐるぐると巻かれている。

「誰か触ってみるか? きっとしびれるぜ」

 半笑いのシモンが言う。

 それを聞いたIDが首を振った。

「馬鹿言え。あれは絶対やばい。それでぼうさん、どうしたらいいかな」

 突然話を振られたぼうさんだが、落ち着いた様子で手を合わせた。

「心頭滅却すれば、電流もまた涼し」

「うーん、なんか違う」

 シモンが笑いながら眉を寄せた。

「でもまあ、ぼうさんの言う通りだな。やっちまおうぜ」

 それを聞き、触角が「りょうかーい」と間の抜けた声を出す。

 オープンカーがうなりを上げ始めた。全員が足を踏ん張り、姿勢を低くする。

「じゃあ行くよ。覚悟はいい?」

 触角がオープンカーを躊躇なく発進させる。またたく間に相当なスピードへと達した車は、一直線に鉄線の巻かれた柵へと向かう。

「これこそアクション映画だね。一回やってみたかったと言うとそれは嘘になるけれど、でもこうやっているとテンションは上がるものだね。ビデオカメラを用意してこの様子を撮影して後から自分で見てみるときっとすごくぅぉおおおおおおおおおお」

 すさまじい衝撃音を鳴らし、鉄線を突き破った傷だらけの車体は、エントランスの手前で急停止した。鉄線の当たった正面側から煙が上がっている。やはり強烈な電流が流れていたようだ。

 四人とも身を起こし、オープンカーから降り立つ。

 エントランスの扉は閉ざされている。扉の脇に、パスワードを入力すると思しきタッチパネルがあった。

「次が第二関門。これは楽勝だな」

 IDが胸ポケットからメモ用紙を取り出し、シモンに渡す。

「さすがID。下調べは完璧ってか」

 メモ用紙には8桁の数字とアルファベットの羅列が書かれている。どうやら、IDは事前にパスワードを入手していたようだ。

「じゃあ、ちょっくら入力してくるわ」

 シモンがタッチパネルへと駆ける。画面に触れると、想像通り数字とアルファベットのキーが現れた。

「えーと何々、2、4、S…」

 口に出しながら入力を進めるシモン。これがクレジットカードなら、確実に不正利用の餌食だ。

 入力を終えたシモンが指を離すと、扉付近からブーという音が響いた。開錠の合図かと合点したシモンが扉を引くが、びくともしない。

 そのうちゆっくりと、扉の上方から重厚な鉄のシャッターが下り始めた。

「え? なんで? なんで?」

 慌てるシモンのもとへ、他の三人も駆け寄る。

「ああ! 俺バカだ! 最後の6G9が9G6になってやがんの!」

 パネルを覗いたシモンが叫び、入力を再試行し始めた。その間にもシャッターは入り口を狭めていく。

 再びブーという音と共に、今度こそ錠の外れる音が響いた。触角が押してみると、扉が開く。しかし、シャッターは止まらない。すでに腰の高さまで下がっている。

「早く、早く入れ!」

 IDの怒号で、触角とぼうさんが転がり込む。体格のいいIDも、後に続いて何とか身体を押し込んだ。

「ひいいい! 一人だけ入れないのはいやだ!」

 叫びながら、シモンが這いつくばって隙間に上半身を滑り込ませる。蜘蛛のように手足を動かし、腰が入り、太ももが入り、そしてやっと下半身全てがすり抜けるのとシャッターが閉まり切るのが同時だった。

 ズズン…という重い音を聞き、一息ついたのもつかの間、IDが「全員動いちゃだめだ」と言う。柔らかいカーペットの上で、四人は動きを止めた。

 『劇場』の内部は暗い。四人の前方には、広間へと続くであろう階段が見える。その先がどうなっているかは視認できない。右手には「Ticket」の看板と、受付らしきカウンターが見える。左手には、お手洗いなのか給湯室なのか、狭いスペースがあるようだ。

「たぶん、このカーペットを踏み越えたあたりで、防犯用の警報が鳴るはずだ。鳴り始めてから三十秒以内に解除しないと、やべえやつらが来るか、『劇場』ごと吹き飛ばされるかのどっちかだ」

 IDの説明にシモンが身を震わせる。

「怖えな。もちろん、解除方法はあるんだろ?」

「もちろん。パパーン、電磁波ジャミング装置! これを警報器に向けて照射すれば強制解除できるという優れもの」

 IDが取り出したのは、スタンガンによく似た小型の道具だった。

「それで、警報器はどこにあるの?」

 珍しく触角がまともなことを聞く。IDは先ほどと打って変わって渋い顔を作り、無言で首を振った。

 ぼうさんが険しい表情を浮かべる。

「警報器の場所が分からないとなると、探すしかあるまい。しかし、正面の階段、チケット売り場、左手のスペース、この三か所を三十秒で確認するのは不可能だ」

「その通りだ。可能性が一番高いのはチケット売り場だろう。しかし、そこがフェイクということも十分ありうる」

 IDが腕組みをする。そこへ、にやけ面のシモンが割って入った。

「おい、俺いいこと考え付いちゃった」


「準備はいいか? 行くぞ。3、2、1…」

 シモンの合図で、三人が全力ダッシュをかました。ぼうさんはチケット売り場へ。IDは正面の階段へ、触角は左手のスペースへ。アラームがけたたましく鳴り始める。

 シモンは電磁波ジャミング装置を携え、ちょうど三人の真ん中になるよう、ホールに立つ。

 チケット売り場にたどり着いたぼうさんが、ものすごい勢いで辺りを探索し、手で大きくバツ印を作った。

 シモンのアイディアとは、三人が手分けして警報器を探し、見つけたやつへシモンが装置を投げる、という野蛮極まりないものだった。しかし、背に腹は代えられない。

 IDも荒い息を吐きながらバツ印を作る。残るは触角だ。

 触角はおどおどと周囲を見回してから、満面の笑みで丸印を作った。

「よっしゃぁーーー、しっかり受け取れよぉーーー」

 シモンが大きく振りかぶって、装置を投げた。装置は弧を描いて左手へ飛び、触角の腕すらかすめることなく、見当違いな方向の壁に当たって落ちた。

「おおおおおおい、どこ投げてんだよ!」

 IDが頭を抱えて怒鳴る。

 しかし、シモンの切り替えは早かった。装置を拾っていては間に合わないが、もしかしたら警報器を手動で解除できまいか――そう判断し、触角のもとへ猛ダッシュしていたのである。

 触角も触角で警報器を操作できないか悪戦苦闘しているが、動きが初めてスマホを目にしたおじいちゃんのそれだ。

 残り時間はどのくらいだろうか。シモンが触角のそばにたどり着き、警報器を覗き込む。

「お前、これ、給湯パネルじゃねえか!」

 絞り出すようなツッコミがホール中に響いた。

 四人とも警報器探しに必死で気づいていないが、アラームはすでに止んでいる。シモンの投げた電磁波ジャミング装置は、壁にぶつかり、その衝撃でスイッチが入った。奇跡的にもその近くには、死角と暗がりで四人からは全く見えなかった警報器がある。そう、電磁波は無事に警報器を直撃し、意図せずジャミングは成功していたのである。


Side-B

「どうだみんな、収穫はあったか?」

 明智が言う。偉そうなのは相変わらずだが、他意はないのだとここしばらく一緒に働く中で分かってきた。

 ハナは首を振る。

「全然。諸帳簿をそれとなく見返してみたけど、飛行場のひの字もなし」

 夢野も「私も」と困り顔だ。

「本当は『空港』とか『飛行場』とか、サーバー全体に検索をかけたいくらいなんだけど、それをやると足がつくからね。現時点では一つ一つのフォルダごとにチェックしていくくらいしか方法がないよ。んで、今のところは全く収穫なし」

 明智は「そうか」とつぶやき、背もたれに身体を預けた。

 ここは明智の暮らしているアパートだ。毎週木曜に社外の研修が設定されており、三人は午後からITCを離れ、市役所へ向かう。研修終了後は帰社せずの帰宅が認められているため、近くにある明智の部屋に集まって話すのが常となっていた。

「実は俺、外に出て確かめてみようとしたんだ」

 ハナと夢野は「えっ」と声を上げ、明智の顔を見る。

「外って、塀の向こう側ってこと?」

 夢野の問いかけに、明智は「うん」とうなずく。

「ばれたら懲戒免職どころじゃないわよ。法に触れる行為なんだから」

 大規模な地盤沈下以降、環境が急変したため、大気中の成分、生息する動植物、細菌に至るまで情報は不足している。たとえば塀の外に出て未知の病原菌でも持ち込もうものなら、エリアの滅亡は必至だ。塀の外へ出る行為は厳しく禁じられている。

「もちろん出ることは不可能だったよ。見張りが立っているし、カメラだってある。それを出し抜いたところで、外へ出るための足場もない。結局塀の回りを散歩して終わりって感じだったな」

「それ、あんまり続けると変な目で見られるから気を付けた方がいいわよ」

 ハナは明智を心配する。ただでさえ、ITC内では態度が高慢だと顰蹙を買い始めているのだ。

「大丈夫、もうしない。でも、それで思いついたんだ。逆に、監視カメラの映像を見ればいいんじゃないかって」

「ああ、なるほど」

 夢野が顎に手を当てる。

「たしかに監視カメラの位置からして、外の様子は映り込んでいるはずだね。そもそも外の様子をモニターし続けるのは情報貿易の観点からも重要だから、外専用の映像があってもおかしくないくらい。それを確認できれば――」

「そう、世界が本当に崩壊したのかどうか、確認できるわけだ」

 明智がにやりと笑った。

 しかしハナは冗談じゃないとばかりに首を振る。

「監視カメラのデータは安対課の管轄でしょ? 私たちじゃアクセスすらできないわよ」

「何も、過去のデータを探ろうっていうんじゃない」

 明智は棚の引き出しを開けてごそごそとやり始めた。

「監視カメラから直接映像を拝借できればいいわけだ」

「監視カメラに直接アクセスするってこと? それこそ、電波がつながった時点で警報器が反応して、三人とも逮捕、さよならだよ」

 安全策をとりたいと主張するハナの目の前に、黒いスタンガンのようなものが差し出された。

 明智が傲慢な口調で言った。

「これ、大学の先輩たちの置き土産なんだ。その名を電磁波ジャミング装置」


 決行は塔の業務終了後と決まった。塔は公的機関だけあって、終業時間を迎えるとほとんどの人間が即退勤する。二部制をとっている安全対策課だけが塔と周辺の管理を任されるのだ。

 三人とも篠原らに挨拶を終え、塔の外へと出る。

 アクセスに使う媒体は、明智のスマートフォンに決まった。まさか外でパソコンを開くわけにもいかない。加えて、万一アクセスが露呈した場合、夢野とハナに迷惑がかからないように、という明智なりの配慮もあった。

 三人は塀に沿って伸びる道を、世間話をしているように装って歩く。横目で監視カメラを確認すると、塀の上に二台並んでいるのが見えた。一台は外部の様子を確認するためのものらしく、塀の外へ向けられている。もう一台は塀を越える者がいないかを監視するためのものだろう、塀の内側へ向けられている。おそらく広画角であるだろうから、こちらにも外の様子はある程度写り込んでいるはずだ。

 明智がさりげなく電磁波ジャミング装置を取り出し、カメラに向かって二度放った。

 小さくバチリという音が響き、カメラの周囲にモアレのようなもやが広がった。

「よし、命中した」

 明智はそのままスマホでカメラへのアクセスを開始する。ハナにはよく分からないコードが打ち込まれていく。

「これって、安対課の方では異常が感知されたりしないの?」

 ハナは夢野に耳打ちする。

「大丈夫だと思う。あのジャミング装置、ちゃちいけどものすごく完成度が高くてね。安対課では、ノイズすら入ることなく、監視カメラの映像を確認できているはずだよ」

 明智が「行けた」とつぶやいた。塀沿いを歩き続けていると怪しまれるかもしれない。そのまま三人で脇道に入る。

「見てみて。こんな感じ」

 夢野とハナはスマホを覗き込み、「おぉー」と声を上げる。傍目には、写真か何かを見せ合っている新社会人にしか見えないはずだ。

 スマホに映し出された映像は、塀の内側に向いているカメラのものだろう。一般的なカメラと同じく、塀の周囲が広角レンズで撮影されている。肝心の外側はと言うと、チカチカとした縞模様がかかってしまい、よく見えない。

「これって、さっき見えたモアレだよね。電磁波が効きすぎてるのかな?」

 夢野がつぶやく。

「外側のカメラを見てみよう」

 明智が言って、画面をフリックした。

 三人で息をのむ。

 地面は赤黒かった。地面は溶けたように窪み、底が見えない。剥き出しになった赤土と、極端な凹凸による陰影で、どこかグロテスクな印象すら与える。

 木もなく、生き物の生存すら絶望的に思えるその風景に、ハナは何も言えない。

「やっぱり、世界は滅びていたんだ……」

 明智が呆然としている。かすかに震える唇は、かさかさに乾いていた。

 夢野が口に手を当てる。

「でも、そしたらあの『飛行場』は何?」

 戸惑う三人の足元に、突然二つの影が差した。

 全員、慌てて顔を上げる。

「やあ、みんな。ちょっと話したいから、来てくれるかな。そこに映されているものについて、ね」

 篠原と桐谷が、笑顔で立っていた。

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