山本の小説(2)
Side-A
オープンカーの中は、当初と打って変わって、静まり返っている。
相変わらずハンドルを握る触角も、助手席で目をぎらつかせながら何かを探すシモンも、後部座席で寝そうなIDも、座禅を組んでいるぼうさんも、口を閉ざしたままだ。
トウモロコシ畑に挟まれた一本道を進み続けてきたが、辺りは少しずつ近代的な様子に変化してきた。と言っても、所々に標識が見える程度だ。
シモンが突然、身を乗り出した。何かを見つけたのだ。
遠く前方、道の脇に白いポールが立っている。そのうえに、四角いボードが備え付けられている。
――看板だ。
屈強な男性が能天気な笑みを浮かべ、巨大なホットドッグを手に持っている。その下には何やら文字が書かれているが、おそらくは商品であるホットドッグを宣伝しているのであろう。
四人とも、姿勢を正した。
「ウェエエエエエエエエエエイ!」
「しゃおらぁーーーーーーーっ!」
「来たぁーーーーーーーーーっ!」
「喝ーーーーーーーーーーーっ!」
いきなりの大騒ぎである。まさに「ふり絞っている」という声だ。
叫びは一発で終わらず、シモンはひたすら「ヘイッヘイッヘイッヘイッヘイッヘイッ」と拳を振り上げているし、IDは「おらぁーーーーくそがぁーーーー」と罵っている。触角は「北に来たぁーーっ北はノースゥーーっ西はウェストォーーっ」と方角についてがなっているし、ぼうさんは「なんまいだっなんまいだっなんまいだっなんまいだっなんまいだっ」となんとも罰当たりな掛け声を上げている。
このバカ騒ぎは、オープンカーが看板の前を通り過ぎ、やがてそれが見えなくなるまで続いた。
「あぁ~、疲れた」
シモンがどっかりと助手席に腰を下ろす。
現在、彼らは「看板を見かけたら見えなくなるまでバカ騒ぎを続けるゲーム」の真っ最中なのだ。
「そろそろやめとくか?」
IDが言う。ちなみにこのゲームの発案者は彼だ。
「バカ騒ぎも、もうすでに5回目だ。区切りとしてはよかろう」
ぼうさんが同意する。触角も「そうだねー」と首を縦に振った。
シモンが長い襟足を指でもてあそびながら、「あーあ」とため息をつく。
「それにしたって、まだまだ先は長いぜ。イベントのないオープンワールドのゲームやってるみたいだ。さすがにネタも尽きる」
エネルギー切れを起こしかけているシモンの発言に、触角が「そうそう」とうなずく。
「みんなはオープンワールドのゲームやったことある? シナリオをどこから始めてもいいって面白いよね。別世界で別の人生を歩んでいる気に本気でなるもの。僕はやっぱりあれかな――」
触角はいくつかゲームのタイトルを挙げ、誰が聞いたわけでもないのに概要や見どころを説明し始める。会話が残念過ぎる触角ではあるが、彼の話は尽きるところを知らず、間を持たせることにかけては天才的だと言えた。三人はラジオやBGMのように彼の話を聞き流し、所々で口を挟むだけでいい。
しばらくは触角のゲーム話が続いたが、やがてそれも一区切りついてしまった。そこに、IDが口をはさむ。
「なあ、『劇場』までは後どのくらいだ?」
触角が首をひねる。
「うーん、分からないな。どこかに表示が出てくるとは思うんだけど」
「この辺の標識は全部英語だろ? 『劇場』って英語でなんて言うんだよ」
シモンが尋ねる。それに答えたのは、意外にもぼうさんだ。
「シアター」
「シアターか、そういえば映画館とかもそうだよな。じゃああれか、標識にSから始まる言葉が出てこないか見てればいいわけだな」
シモンの言葉に、IDが首を振る。
「シアターの頭文字はTだ」
「なぜT? わけわからん」
言い合っている間に、タイミングよく道路標識が現れた。緑色の下地に、いくつかの矢印が伸びている。
「シアターはあるか?」
シモンは読み取りをあきらめたようだ。降参と言うように両手を広げながら、他の三人に尋ねる。眉間にしわを寄せたぼうさんが低い声で言う。
「シアターは書かれてたが、まだ直進だな。それ以外の情報は書かれていない」
IDも首を振る。
「見通しが持てないな。この道がいつまで続くのやら」
シモンが「ひいい」と頭を抱えた。
「あと数日とか言わないよな? マジでクレイジーだ」
「安心しろ。世界でお前が一番クレイジーだ」
IDの返しも容赦がない。
ぼうさんが手を合わせた。
「進むために道はある。我らのために、道は開かれん」
そのスカスカの名言に、シモンがぼやく。
「いや、道はもう開かれてるんだよ。開かれすぎてて困ってるんだよ」
そこに触角の声が被さる。
「クレイジーと言えばね、僕のおじさんはカードやアプリの暗証番号を忘れないように手帳へメモしていたんだけど、たとえば『クレジットカードの暗証番号○○○○』と書くわけにはいかないじゃない? このご時世、誰がいつどこでその情報を目にしてしまうか分からないからね。だからおじさんは、『クレジット』をもじって、『クレイジー○○○○』ってメモしていたんだよ」
心底どうでもいい情報である。
「いや、それこそなんでお前はそれを知ってんだよ」
シモンがツッコミを入れる。触角は「ああ」と声を上げ、今気づいたという様子だ。
「あれ、本当だね。僕はママから聞いた気がするけど、そうするとママには秘密が筒抜けだったのかな。おじさんもまだまだだね」
そこへ、話を遮ったのはIDだ。
「おい、看板があるぞ」
IDの太い指が、道の先を指さしている。
「もうバカ騒ぎゲームは終わったろ?」
シモンがあきれたように言うと、IDは首を振った。
「いや、よく見るんだ」
看板が近づいてくる。全員、何の看板かと息をのむ。
そこには、眠る女性の顔がでかでかと載っていた。アジア系と思しき顔立ち、整った目鼻に、少しだけ肉感的な唇。
「ヒューッ!」
シモンが甲高い声を上げる。
「美人だな。醤油顔が恋しい」
IDが独りごちる。
ぼうさんはただひたすら「煩悩退散煩悩退散煩悩退散煩悩退散」と繰り返した。
シモンが看板に向かって大声を上げた。
「お姉さん! 俺たち、『劇場』目指してるんですよ! 長い道のりをひたすら進んでいるんですよ! どうか! どうか力を貸してください! お姉さぁーーーーんっ」
Side-B
「お姉さぁーーーーんっ」
と呼ばれた気がして、ハナは目を開けた。
いつもと変わらない、狭い部屋の、暗い天井だ。帰宅してから料理をする気が起こらず、少し休憩と思っている間にうとうとしていたらしい。
クシャクシャになったベッドシーツから身を起こす。つけっぱなしになっていたテレビを消し、出窓のカーテンを上げる。
先ほどの声は何だったのだろうか? 部屋から見える通りには、人はおろか車の姿もない。
きっとテレビの音だ、あるいは夢だと自分を納得させ、カーテンを閉める。ここは彼女の配属された西の塔にほど近い。街は四つの塔を角として高い壁で囲われており、このアパートはその壁に沿うようにして建っている。
つまり、アパートが面している通り以外の場所から声が聞こえるとなると、それは壁の向こう側しかありえないのだ。
しかし、それは不可能だと彼女は知っている。
ハナが生まれる何十年も前、世界は崩壊した。そもそもの発端は地中のバクテリアが突然変異を起こしたことだと言われているが、確かなことは誰も分からない。
中学や高校で歴史の教科書を開くと、近代のページには必ず液状化した大地の写真が掲載されている。世界規模の地盤沈下。栄えていた街が、翌日には泥に沈んでいる――人類はそんな大災害に見舞われたのだ。
短期間で地形が大幅に変わったために、気候も変動した。乱気流、突風、竜巻、河川の氾濫、挙げていくときりがない。
その中で生き残った人類は、地盤が緩んでいない数少ない土地に分散して生活し始めた。ハナの暮らす街は「エリア三十五」だ。世界中で、エリアは五十程度しかないと言われている。それぞれのエリアでどんな暮らしをしているのか、どんな技術が開発されたのか、どんな研究が成果を上げたのか、まさに情報貿易は命綱なのだ。
覚悟していたとはいえ、なかなかの激務だ。本格的な交渉や通信に携わっているわけではないが、おおよその雑務はすべてハナたち新規採用者に丸投げされる。毎日あらゆる部署を回って情報伝達に苦心したり、公文書を作成するために過去の文書データを探ったり、目の回る忙しさだ。ただ、取り立てて得意分野のないハナはまだいい方で、通信技術やプログラミングに明るい明智と夢野は気の毒なほどこき使われている。
時計が午前を回るころにくたくたになって帰宅し、今日も寝落ちしてしまっていたというわけだ。
何も食べずに眠ると、明日身体がもたない。ハナは重い足取りで冷蔵庫へ向かう。
明日は夢野や明智と一緒に、初の通信業務に挑戦するのだと言われている。もちろん重要度の低い定時連絡程度の通信だ。しかし、情報の送受信にエラーが起きたら、手順を間違えて相手エリアとの貿易が断絶したら、と気が気でない。
りんごを取り出し、キッチンですすぐ。皮もむかず、包丁で粗く切り分け、芯だけ取り除く。これでひとまず、活動に必要なビタミンくらいは摂ることができるだろう。
自分の咀嚼音を耳の奥で聞きながら、ハナは明日のスケジュールに思いを馳せる。
昼休憩が終わる頃、『塔』の食堂へ、重役を伴った篠原が現れた。すでに昼食を終えて――ほとんど喉を通らなかったのだが――重い空気で座っていたハナら三人は、その姿を認めて即座に立ち上がる。
「そろそろ出陣といこうか」
変わらぬ屈託のなさで篠原が言う。
「こちらは通信部主事の桐谷さん。皆さんの初仕事をぜひ見てみたいといらしてくださった」
通信部主事という肩書にぎょっとする。数多くの部署で構成されるITCの中でも、中核を担う部署のトップだ。雲の上の存在とも言ってよい。
桐谷は五十を超えていると見える。白髪は几帳面に切りそろえられ、高級そうな淡いグレーのスーツに、妙にマッチしている。知的な黒縁の眼鏡を掛け、優しそうに微笑んでおり、「ダンディ」とか「紳士」とはこういう人のことを言うのだろうと思わせる。
ハナは、桐谷を前に見かけたことがあった。と言っても、二年も前のことになる。エリア誕生百五十周年を記念して、塔のプロジェクションマッピングが行われた。その時、塔の展望台に立って指令を出していたのが桐谷だったのだ。
「突然ごめんなさいね。真面目な皆さんのことだから、私が顔を出すとプレッシャーになってしまうとも思ったんだけれど。でも、篠原くんが、今年は逸材ぞろいだと言うものだから、興味が湧いてしまってね」
桐谷の言葉に、明智などはまんざらでもなさそうだが、ハナは冷や汗をかくばかりだ。逸材なのは夢野と明智であって、自分は及びもつかない――そんな考えが頭を駆け巡る。
「では、いざ通信業務へ!」
威勢のいい篠原の掛け声で、三人は『塔』の通信室へと向かった。
結果から言えば、通信業務は滞りなく終わった。明智の知識と夢野の技術に救われた部分は大きいが、ハナもこれまで頭に叩き込んだマニュアルを参照しながら、そつなくこなすことができた。
新卒採用者の腕前に桐谷は大いに満足していたようだったし、篠原も三人を称賛してくれた。
「では、私は桐谷さんをお見送りしてくるから、データの処理は頼むね」
篠原がそう言って、通信室から出ていく。桐谷も、ぺこりと頭を下げ、扉の向こうに消えた。二人の足音が遠ざかっていくのを確認して、明智が深いため息をつく。
「生きた心地がしなかった」
ハナも勢いよく同意する。
「本当に。二人に助けられちゃった」
夢野が笑う。
「そんなことないよ。平山さんもさすがだったわ」
弛緩した空気が束の間流れるが、しかし篠原が戻るまでの間に受信したデータを適切に保管しなければならない。三人は改めて口を閉じ、コンピュータを操作する。
篠原はなかなか戻ってこなかった。もしかしたら桐谷にお茶にでも誘われ、二人で感想戦でもしているのかもしれなかった。
「ん?」
明智が声を上げた。夢野が「どうかしたの?」と明智のデバイスを覗き込む。
ハナも夢野に倣い、彼のコンピュータを覗き込んだ。
そこに表示されていたのは、ごみ箱――いわゆる、消去されたデータファイルだった。
「ちょっと、指示にないことしないでよ」
ハナは軽口をたたくが、明智と夢野は固唾をのんで画面を見つめている。
「どうしたの? 早くしないと、篠原さんが戻って――」
そこでハナも動きを止めた。事の重大性に気付いたのだ。
画面には、過去に消去された情報が開かれている。差出人は「エリア三十四」、西方の取引相手だ。
当然、文面は英語である。しかし、見覚えのある文字列が並んでいる。
『Operate the airport…』
「エアポート?」
夢野がつぶやく。
「空港って…どういうこと?」
世界的な地盤沈下により、乱気流が発生し、エリア間の行き来は不可能とされてきた。空、陸、海、ありとあらゆる交通手段もエリア外では意味をなさなかったはずだ。
階段を上る足音がした。明智が慌てて画面を閉じ、アクセス履歴を消去する。これで、誰が何を見たのか、特定されることはまずないだろう。
明智がぼそりとつぶやいた。
「なあ二人とも、世界は本当に崩壊したと思うか?」
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