山本の小説(1)

『エレクトロニック・カルテット』 山本文太

Side-A

「来たぜーーーーーーー」

 アホ丸出しの雄たけびと共に、うなりを上げてオープンカーが走り出した。

 助手席の男――汚らしく伸ばした顎髭、硬そうなドレッドヘア、前後逆に被った帽子、どこをどう見ても陽気でやんちゃな男だ――が、助手席から身を乗り出すようにして叫ぶ。

「ア!」

 次にハンドルを握る男――ホストのように前髪で触角を作った、十人の人間とすれ違ったら十人全員が振り返るほどの超絶美形だ――が爽やかに声を上げる。

「メ!」

 後部座席で風を浴びている男――熊のような巨体に、眼鏡の奥で温厚な目が輝いている、まともそうな男だ――が拳を突き上げる。

「リ!」

 熊のような男の隣に座る男――袈裟を着て手を合わせ、頭は見事な丸坊主、見事なほどに場違いな坊さんだ――が、鬼気迫る表情を見せる。

「カーーーーーッ!」

 声はどこまでも散っていく。広大なトウモロコシ畑、延々と続く道、ガソリンスタンドやモーテルどころかカフェも民家も見えないアメリカを背景に、4人の乗ったオープンカーは右車線を飛ばしていく。


「風が気持ちいい! アメリカ! アメリカ!」

 ドレッドヘアの男が、ちょっと心配になるくらいのテンションではしゃいでいる。

「ずっとシモンは来たがってたからなぁ」

 熊みたいな男が言う。ドレッドヘアの男は仲間内でシモンと呼ばれているのだ。本名ではない。ちなみに、彼が飲みの席で下ネタしか話さないことに由来している。

「そう! マジ憧れの土地! オープンカーで走れるなんて最高!」

 シモンはそう返すと、「うひゃあーーーーーーー」と歓喜の声を上げて手を打ち鳴らし始めた。

 ホストのような男が、ハンドルを握りながらシモンをちらりと見やった。

「シンバルを鳴らしてるみたいだ。そういえばさぁ、僕小さいころにシンバルを持った猿のおもちゃを持っていて、それがねじ巻きで動くんだけど、このねじが固くて、いつもお母さんが巻いてくれてたんだけど、ある日お母さんが仕事でいない日にどうしてもこの猿で遊びたくなってさぁ……」

 突然のマシンガントークである。しかも早口で唾を飛ばし、せっかくの美形が台無しだ。

「触角、もっとアメリカを味わえよ。今くらいは思い出話を封印しろ」

 ホストのような男の呼び名は、「触角」である。前髪が触角のようだという安直なネーミングだ。

「確かに、猿の話はこの場面には不適切だったかも。でも、その猿のおもちゃは実はアメリカ製でね、もちろん僕は今までアメリカになんて行ったことがなかったんだけども、輸入とか輸出とか、世の中便利になったもんだね。スマホのクリック一つで海外から荷物が届く時代だよ」

 会話の飛び方が酔っ払いレベルであり、真面目に聞いていると不安になる。触角はとんでもない美貌を持ちながら、おしゃべりが残念過ぎる人間なのだ。

「まあまあ、これが触角なりのはしゃぎ方なんだな。逆にシモンのテンションが怖い」

 熊のような男がのんびりとした声でたしなめる。過去にこのメンバーで合コンをしたときに、彼は女の子たちから「4人組の良心」と呼ばれていた。

「IDは気分上がらないのかー? お前もはしゃげよ!」

 シモンがあおる。

 熊のような男の愛称はIDである。彼は「それもそうだな」と頷くと、おもむろに座席の上に立ち上がった。

「じゃあ今からアクション映画ごっこするわ」

 言うが早いか、後部座席のドア部分を乗り越えた。「走っている車にしがみつくスパイ」シーンの完成である。

「おおぉ! 思ったよりもイケるけど、怖っ」

 IDは言いながら笑っているが、車体は彼の重みでやや傾いている。その姿に、シモンも再び手を鳴らして爆笑し始めた。

 IDという呼び名は、「アイディア」から来ている。4人組の良心と見せかけ、悪ふざけや悪だくみの根本は、この男の案から生み出されることも多い。

「面白いね、この前観た映画でもこういうシーンがあったよ。刑事が犯人を追う途中で車にしがみつくことになるんだけど、犯人が車をこうやって蛇行させて、結構ハラハラして、あれってどうやって撮ってるんだろうね? スタントマンはたとえば命綱とかを付けているんだろうか? すごい迫力だったから、めちゃくちゃかっこよかったんだけどね」

 触角がべらべらと話し出し、内容に合わせて車を大きく蛇行させた。車線をはみ出しながら、オープンカーがぐわんぐわんと揺れる。

「うおおおおお! これはマジで危ねえええ」

 振り落とされないようにIDは必死の形相でしがみつき、その腕を後部座席の坊主男がつかんだ。

「ぼうさん! 離さないで! 離さないで!」

 シモンがキャーキャーうるさい。

 ぼうさんと呼ばれた坊主男はIDの身体に両腕を回し、引き上げようと力を込める。

「ぬ、ぬうん」

 巨漢のIDを引き上げるのはさすがに難しいと見えるが、それでも袈裟を来た坊主が支えているだけでなかなかの頼もしさである。ちなみに、触角はまだ事態のやばさをいまいち認識していない。

 ぼうさんは深く息を吸ったかと思うと、「南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏」と念仏を唱え始めた。

「ぼうさん、今は念仏やめてあげて! IDの顔が真っ青だよ!」

 シモンが悲鳴を上げる。

 結局、触角の蛇行運転がひと段落したところで、IDは無事に座席へ転がり込むことができた。

 先ほどまでなかなかの危険にさらされていたにも関わらず、4人組はげらげらと笑い転げている。

「久々に触角のサイコな部分が出てきたな、最高だわ」

 シモンは涙を流して笑っている。

「お前、あのタイミングで念仏はないわ。完全に走馬灯が見えた」

 IDは笑って汗をぬぐいながら、ぼうさんに文句を言う。

「念仏を唱える者は救われる」

「いや、じゃあお前が唱えたら意味ないじゃん」

 ぼうさんの「いいことを言ってそうで実は空っぽな発言」にIDがツッコミを入れる。

「映画の撮影技術は、結構アナログなやり方も使われているんだよね。今はCGが主流ではあるけれど、やっぱりアナログの方が生々しさが違うというか……」

 触角はひたすらしゃべり続けている。

 オープンカーはアメリカの大地をひた走る。トウモロコシ畑に囲まれた道はまだまだ続き、それ以外のものはまだ見えない。

 触角がラジオを付けた。聞いたことのない陽気なジャズが流れ出す。コメディ映画の幕開けのようだ。

「お、いいね! アメリカ横断ツアー、スタートだぜ!」

 シモンが口笛を吹く。

 その途端、雨が降り始めた。触角が屋根の作動スイッチを探すが、どこにあるのかが分からない。またたく間に4人は全身ずぶ濡れになった。

 シモンが「あー、マジかよ」とつぶやいた。


Side-B

「改めて、ハナ、就職おめでとう」

「ありがとう」

 やや格式の高そうなレストランの一角で、2人の女性がグラスを合わせる。

「でも、ハナから電話をもらったときはびっくりしちゃった。なんたって天下のITCに採用だもんね」

 一方の女性が、はきはきとした調子で言う。桃色のワンピ―スに淡い黄色のカーディガンを合わせ、華やかな印象だ。ウェーブのかかった茶髪が、彼女がしゃべるたびに跳ねる。

 ハナと呼ばれた方の女性は、対照的に大人しい雰囲気だ。ベージュのスカートに紺のシャツを合わせ、真っ黒なショートヘアを片側だけ耳にかけている。

「きっとたまたまだよ。今だって、なんで私が採用されたか分からないもん。記念受験のつもりだったんだけどなぁ」

「うわ、勝者の余裕だ」

「なんでよ」

 ひとしきり笑い合ったところで、メイン料理が運ばれてくる。長い名前をした魚のムニエルだそうだ。

「ナツコも希望通りのところに就職でしょ? 本当にお疲れ様だね」

「そう、テレビ局。マスコミ関係をずっと希望してたから、やっと夢が叶った感じ。面接でしゃべりすぎちゃって評価は最悪だろうなと思ってたけど、なんとか食い込めたみたい」

 ナツコは大きくうなずきながら、ムニエルの塊を口に放り込む。

「でも、ここからが正念場よね。報道って、精神的にタフじゃないとやっていけないって言うし。ハナも、いくら公務員と言えど、ITCは激務で有名でしょう?」

「そうなの。実際どんな仕事をしているかもよく分からないし」

 情報貿易センター(Information Trade Center)、通称ITCは、その名の通り情報の売買を行う公的機関だ。

「う~、緊張してきた」

 眉間にしわを寄せるハナに、ナツコが「だよねぇ」とため息をつく。

「お互い明日から初出社だもんね。おいしいものを食べて、ちゃんと寝て、シャキッと目覚めて…と思ってたけど、こりゃ2人とも寝不足かもねぇ」

「今晩1人で過ごすとか無理すぎ。絶対寝られないよ」

「私も不安。さすがに、お酒の力を借りるのは怖いし」

 2人の不安トークは、メインディッシュを平らげ、デザートと食後のコーヒーが空になるまで続いた。


 翌日の昼頃、平山ハナはITCの施設内を案内されていた。

 結局ほとんど眠ることができず、新規採用者向けの要項やら、初出勤の案内やらを繰り返し見直して夜を明かした。朝になっても不安は消えず、指定された時間の三十分前には到着してしまい、周辺を歩いて時間をつぶすはめになった。

 ハナの前を、案内役の職員が歩いていく。篠原という若い男だった。元ラガーマンとのことで、情報貿易の名に似合わぬ肩幅と胸板をもっている。午前中に一通りの業務説明を受けたが、愛想がいいうえに話に無駄がなく、相当なやり手であることがうかがえた。

 ハナの後ろにも、新規採用者が2人ほどついてきている。1人は眼鏡の大人しそうな女性だ。博士号を有しているそうで、年齢はハナよりだいぶ上だ。プログラミング関係で何かの賞を取ったことがあると話していた。もう1人も、パソコン関係に強そうな男性だ。業務説明の折に、ソフトやアプリの専門用語を多用して質問していた。それにもぎょっとしたが、質問すべてにさらりと答えてのける篠原にもぎょっとした。

 廊下の向こうから、何人もの職員がよどみない足取りで現れ、すれ違っていく。全員がスーツスタイルで、たいていは小脇にタブレットや書類をはさんでいた。自分がそんなふうにして働いていることなど、ハナにはまだ想像すらできなかった。

 廊下の壁面はすべてガラス張りになっている。今ハナが歩いているのは最上階の十階であり、近隣のビルや住宅が一望できた。外から見たITCは、ガラス張りで背が高く、ともすれば大手の銀行に見えなくもない外観だったことを思い出す。

「この建物の案内は以上です。何か質問は?」

 ハナの後ろでさっと手が上がる。

「はい、明智くん」

「こちらの方で、情報の売買がなされているとお伺いしましたが、見たところ、どの部署にあるデバイスもすべてアウトプットあるいは会計業務にかかわるものだけでした。情報のインプットあるいはネゴシエーションはどちらで行うのでしょうか?」

 なんとも彼らしい、横文字だらけの発言だ。篠原は笑いながら答えた。

「要は、情報の受信や、売買にかかわる交渉をどこでやっているかという質問かと思います。それはもう皆さん、ご存じかと思いますが?」

 確かに、それはハナでさえ推測できている。明智も本気で聞いているわけではなかろう。遠回しなやり方で、早くそこへ連れて行けと催促しているのだ。

 篠原は顎に手を当てた。

「本当は昼食をとってからじっくりお見せしようと思っていたのですが、スケジュールも幾分巻きで進んでいます。では、昼食前に一度行ってみますか?」

 篠原の目が光った気がした。

「――『塔』へ」


 ビルを出て、篠原は足早に街のはずれへと歩を進める。ハナたちも遅れないように小走りでついていく。

「お分かりかと思いますが、『塔』は全部で四つ、この街の四隅に建っています。今から向かうのは西の『塔』。西方とは円滑な関係を築けており、ややこしい交渉や通信技術も必要ありません。仮採用の一年間は、皆さんの配属もおそらくそちらになると思います」

「うれしいです。『塔』に入ることを夢に見てました」

 眼鏡の女性が、弾んだ声を上げる。篠原は目を細めた。

「夢野さんは、確か通信の圧縮技術がご専門でしたね。今年一年間は業務の流れを把握することが最優先ですが、来年以降になれば、それを生かして通信技術の領域にも寄与していただけると思います」

「『塔』の通信プログラムを覗けるなんて――」

 夢野は目を輝かせている。ハナにはよく分からない分野の話だ。そもそも、ハナの専門は社会学であり、行く先に困って公務員試験を片っ端から受けたようなものなのだ。

 篠原が突然振り向いた。いつの間にか四人とも建物の陰に入っていたようだ。暗すぎて、誰の顔もよく見えない。

「この『塔』が、我々情報貿易に携わる人間の中枢となります。これそのものが巨大な受信アンテナであり、情報を売買する際の交渉もここの通信機器を介して行われるわけです」

 篠原の向こうには、真っ黒な『塔』がそびえたっている。中世を思わせるような堅剛な造りで、所々から鋭い枝を思わせる突起が突き出している。『塔』の先端は雲に呑まれ、下からでは視認できない。

 最後に、篠原は笑みを含んだ声で言った。

「この職務に誇りをもってください。情報貿易は最重要とも言える任務です――世界が崩壊した現在となってはね」

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