第71話 バカラ・ソーランド宰相

「バカラ・ソーランド、そなたが宰相である」



 宰相はバーミヤン公爵家の現当主ゲス・バーミヤンだった。

 しかし、先のバハラ商会の一連の問題への放言とその責任、さらに王女カトリーナの隣国カラルド国の第一王子クラウドとの婚約は、第一王子派の勢力を大きくそぎ落とすことに成功し、宰相を追いやることができた。

 第一王子派は第二王子派や中立派に流れていった。


 といっても、ゲス・バーミヤンが自らその職を辞したのではなく、これは国王の一存で決まった。


 最初は何の冗談かと思ったが、多くの者たちが集まった会合で国王から有無を言わさぬ鶴の一声が挙がった。


 この時ばかりは国王の威厳が感じられたというか、私も含めた一同の者たちが口を挟む余地は全くなかった。王命であると言われたら、ははーと従うしかないのである。

 事前に通知もなくよほどのショックだったのだろう、ゲス・バーミヤンは口をパクパクとさせていた。この男はそういう衝撃をこれまで多くの人間に与えてきたことを知るべきである。


 ただ例外として、これに異議を唱えたのはあの第一王子キリルとその生母の王妃カルメラだった。どこまでも人をいらつかせる者たちである。

 通常は政治に関わりのない者は外れるのだが、今回の会合は王家も参列している。これも王の意向だった。


「お待ちください、いくら父上といえども何の功績もない公爵を宰相にするなど横暴です!」


「そうです、キリルの言う通りです。いかなる功績がございますか、再考なさってください!」


 二人はわざわざ汚い唾を飛ばして、さらに私を「こんなやつ」とでも言うかのように指さした。どの口が言うものかとこっそりモグラの力で泥まみれにでもするか、床に出っ張りを作ってかせてやればよかった。


 仮にも公の場なのだから、「王」とか「キリル王子殿下」とか、そういう言葉を使うべきだろう。その配慮が元からないのか、それほどまでに混乱していたのか、わからない。


 しかし、二人の反対の声に対しては王は全く揺るぐところがなかった。


「カルメラ、そしてキリルよ、そなたらはバカラ・ソーランドに何の功績もないと言ったな。それはまことか? つまり、私の言葉が間違っている、そう言いたいのだな?」


「そ、それは……」


 ちょうど40歳くらいだと思われる王だが、その容貌はまだ二十代でも十分に通じる。

 若作りではなく若い。しかし、その瞳には貫禄を思わせる。だから途端に二人は口ごもる。


「よいだろう」


 王は続けて私がこれまでやってきたことを逐一挙げていった。王はしっかり調査をしていた。


 食文化や環境衛生の刷新、日用品の開発ならびに改良、ソーランド公爵領の魔物の被害の減少、死亡率の低下ならびに領民の増加、学校建設による庶民の一般教育の付与、さらに直近の安価なポーション開発、他国との太いパイプ作り、それらの事実を淡々と述べていった。


「此度のバカラ・ソーランドの功績により、我がバラード王国もこの大陸で今一番に注目されておる。それゆえに私はバカラ・ソーランドをこの国の宰相とする決断をした。そなたらは違う見解なのだな? しかし、これでも何の功績もないというのなら、いったいどこの、誰が、功績のある者だと言えるのか? そなたらがここ数年食べているもの、身につけているもの、使用しているもの、それらはバカラ・ソーランドとは一切関係ないのだな? さあ、答えてみよ!」


「…………」


 ぐうの音もないほどである。

 二人の顔は最初は興奮で紅潮していたが、今は青ざめている。

 おそらくこの二人は本当に私には何の功績もないと思っていたんじゃないか?


「答えられぬか? だが許さぬ。王家の人間ともあろう者の言葉は慎重であるべきであり、一度身体から出た汗が元に戻らないように、二言はないのだ。そなたらの言葉がこの国を貶めていることがわからぬのか、下がれ!」


 その言葉を聞いた時、私はまさかと思った。


 「綸言りんげんあせごとし」「天子てんし二言にごんなし」という表現がある。「綸言」は天子の言葉の意味である。


 これはあの『人を動かす珠玉の言葉たち』、つまり有名な言葉を丸パクりして集めてカメラ・メメントというペンネームで出版したあの自己啓発本の一節が今の王の発した言葉には踏まえられていた。

 あのカラルド国のクラウド王子、宰相ボーリアルが絶賛して暗記までしていた本である。


 これは地球の古典の表現だから、この世界にはおそらくない表現である。もしかしたらゲームの中にも出てきた可能性はあるが、どうだろう。


 だから、王が今言った言葉から判断すれば、王はあの本を読んでいたことになる。確かに自己啓発本ではあるが、帝王学についても触れていたのでその可能性は高い。

 ちなみに、今は6巻まで刊行されて、増刷に加えて他国へも翻訳も引き続き行われて絶賛発売中である。



 こうしてカルメラとキリルの二人の反論は見事にくじかれた。

 そして、第一王子キリルはうなだれながらも私の方をきっとにらんでくる。小物の睨みなど何の痛痒つうようも感じない。

 あの時のアリーシャはこの程度の悔しさなどではない。まだまだぎゃふんと言わせ足りない。


 キリルは底なしのれ者であるが、このカルメラも相当である。

 一時期マリア王妃にも嫌がらせが続いていたが、どうやらこのカルメラの指示によるものらしい。

 長い間、夜伽よとぎもなくその苛立ちを王ではなくマリア王妃にぶつけたのである。マリア王妃以外にも側近にも八つ当たりをしていると聞いている。マリア王妃にも夜伽はないようなのだが、同列に並ぶ者同士、目につくのだろう。幼稚な王妃である。

 ただ、キリルとは違い、今のカルメラは憤りや怒りというより、うちひしがれているだけのように見える。なんというか、哀れな姿である。


 なお、この王の言葉は第二王子を持ち上げるものではないが、第一王子を抑えつけることを意味する。相対的に第二王子が次期王として優勢になったとその場の者たちは感じただろう。


 二人のすぐ近くにはアベル王子とマリア王妃も参列していたが、王子が二人を恐ろしいほどに冷徹な目で見ていたのがとても印象的だった。あの目はアリーシャやカーティス、私に見せる目ではない。


 ゲス・バーミヤンは最後まで正気に戻らなかったが、こうして正式に私が承認され、この国の宰相となった。

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