Case1―Scene3 性格
その日、大学のとある授業の期末レポートをまとめていると、毎日この時間にすぐ外の道を通る、暴走族のうるさいエンジン音が聞こえてこないことに気がついた。
滅びればよいと毎日願っていた、この呪いが通じたのだろうか。
大体毎日毎日、よくもあんなに飽きもせず、バイクに乗り続けているものだ。中学時代から今に至るまで、勉強に集中できずに苦労させられた。警察は取り締まろうともしない。
人に迷惑をかけることをいとわずに、何でやつらはあんなに自由に生きていられるのだ。こっちはこんなに自分を押し殺して、猫を被って生きているのに。
いくらこの世に神はいないといっても、この世には本当に最低限、守るべきルールがあると思う。
人に迷惑をかけるのは仕方がないが、お礼とお詫びは必ず口に出す。差別心を持っても、それを決して表に出すべきではない。陰口をたたくときは、絶対に相手の耳に入らないようにする。
相手を本当に思いやっている必要はない。ただ、この世界をつつがなく回していくために必要なのだ。礼儀とも言う。
だが、この世界にはこれさえできていない人間が多すぎる。だから世界はこんなに傷つけ合い、多くの怒りと誤解を生むのだ。
今までこれらのことを侵さないように、細心の注意を払って生きてきた。小学生のころは、聖人君子だともてはやされたこともある。
だが、周りの子どもにそんな感覚が身についているはずもなく、多くの人に傷つけられることになった。
大人になったら、同じような感覚を持つ人間ばかりだと思っていた。だが、結局は同じだった。出来ている奴は出来ているが、出来ていない奴は徹底的に出来ない。
そんな人間を多く見るたびに、自分はもっと評価されるべき人間だということに気が付いた。確かにまだまだ自分は不完全で欠陥のある人間だと思うが、それでもそんなやつらよりはよっぽどマシなはずだ。
***
部屋をノックする音が聞こえた。こっちが返事をする前に扉が開く。父が立っていた。
「達明、お前最近大学に行っていないそうだな。どうしたんだ」
責めているような口調ではない。あくまで冷静で、ただ単純に疑問として訊いている、そんな感じだった。
「え、何で知ってるの?」
両親とも働いていて昼間は家を不在にしている。大学は、授業に出ていないことを家族に通知してくれるような親切なところではないはずだ。
「今まで言っていなかったが、お前が通っている学部の教員に一人知り合いがいる。その人が教えてくれたんだ」
「ずっと監視してたってこと?」
あまりの驚愕に、表情には出さないように細心の注意を払ったが、つい声に怒気がこもってしまう。
「いや、そうじゃない。私もついこの前、そいつもその大学に勤めていることを初めて知ったんだ。彼は入学書類を見たときから、私達が親子であるということを気付いていたらしいが」
父の方に動揺は見えない。
「彼が言うには、入学して一ヶ月くらいしてからはほとんど授業に出ていないそうじゃないか。なぜなんだ」
「大した理由はないよ。大丈夫、ちゃんとレポートは書いているし、出席必須の授業にはたまに出てるから。ちゃんと単位はとるよ」
「そういう問題じゃない。大学は単位をとるところじゃなく、教えを受け、自分の学びを探求するところだ。教員は全員その道の専門家で、小中高の授業とはそもそも違う貴重なものなんだぞ」
また始まった。父の正論だ。
「ごめんよ。これからはちゃんと行くから」
「お前の気持ちもわかる。大学ほど自由なところはないからな。周りは遊んでいる人間も多いだろう。確かに授業に出ていなくてもうまくやれば単位はとれるし、相当のことがない限り卒業までこぎつけることはできる。お前もそれを感じ取ったんだろう」
「いや、そんなことないよ。受験が終わっても手続きが多くてずっとノンストップだったからちょっと疲れちゃっただけなんだ」
「学費がもったいないから大学に行けなんて、俗っぽいことを言うつもりはない。だが、せっかくお前が選んで入った大学なんだから、しっかり堪能してほしいと思っているだけだ」
父のこういうところにはいつも辟易とする。こっちがどう言って取り繕おうとしても、言いたいことを言い終わるまでは解放してくれない。
「私が大学生の時も、お前みたいなやつは多かった。だが、気をつけろよ。一度大学に行かない癖がついてしまうと、そこからペースを取り戻すのは相当難しいんだ」
父はそこまで言うと、ようやく去って行った。
父は優秀な指導者だと思う。感情的に、頭ごなしに怒ることはせず、必ずこちらの言葉を聞くようにしてくれる。その指摘は的確で、常に正論だ。
だが、いくら父親が理にかなった正しいことを言ってこようが、昔からそれを素直に聞き入れることができなかった。
これは自分自身の欠陥だ。いかなる場合であれ自分のやり方を否定されると、本能的に怒りと殺意がこみ上げてくる。
大学にしたって、行かなくなったのも、その専門家とやらの授業に大した意味を見出せなくなったからだ。他にもっと価値のあることを見つけることができた。
大学がただの就職への踏み台になったって良いじゃないか。僕には時間が必要だった。
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