Case2 ヴィジランテの場合
スティーヴン・セガールに、憧れていた。
俺の父親は日本の古武道の道場主で、俺は幼いころから修行の日々を過ごしていた。
父親は、大正から昭和初期という軍国の時代が造り上げた日本文化の体現者とも言うべき、典型的に厳格な人間だった。
そんな父親への反発からか、俺はむしろ、洋画など海外の文化にどんどんとのめり込んでいった。
俺がまだ学生のとき、あの当時のアメリカのアクション映画といえば、シルベスター・スタローンやアーノルド・シュワルツェネッガーに代表されるマッチョブームが落ち着き、本物の格闘家の参入が相次いでいたころだった。
レンタルビデオも全盛期で、当時出たてだったスティーヴン・セガールやジャン=クロード・ヴァン・ダムの活躍に、俺は胸を躍らせた。
特にスティーヴン・セガールは合気道の有段者で、俺がそれまで鍛えてきた、父の流派の戦い方に近いものがあった。
日本で発達した武術というものは、無駄な動きを極力排除するためにしなやかな筋肉が求められる。そのためいくら鍛えても、基本的にスライやシュワちゃんのようにマッチョになることはない。
そのせいでなかなか映画の中のスター達を身近に感じることができなかったが、そのぶんセガールが出てきたときの衝撃は大きかった。
セガールはそれまでのアクションスターのように自らの筋肉量に頼ることは一切なかった。
その身体はとにかくスリムで、ただ鍛えた自らの技のみを頼りに、他の大人気スターに匹敵する人気と知名度を得ていく。そのカタルシスに、俺は夢中になった。
セガールは、1988年にデビューした。主演だった。群雄割拠のハリウッドにおいて、主演でデビューすることなど異例のことだ。その常識外れのコネクションから、彼のデビュー時、CIA出身だという噂が立った。
後にその噂は本人により否定されたが、仮に本当でも嘘だと言うであろう。俺は、その話を未だに信じていた。
***
そして俺は、スティーヴン・セガールに憧れて日本を飛び出した。映画スターになりたいというわけではなく、ただ鍛えた自分自身の技のみで、世界で勝負したかったのだ。
CIAエージェントのなり方はよく分からなかったが、セガールのデビュー作『刑事ニコ 法の死角』の冒頭で、後に刑事になるセガール演じるCIAエージェント、ニコ・トスカーニはアメリカの街中ではなくベトナム戦争中の、戦場の真っ只中にいた。
その記憶を頼りに、その当時アメリカが参戦していた紛争地域に飛び込んだら、あれよあれよという間にCIAではなく民間の傭兵になっていた。
幼少のころから過酷な修行生活を送ってきた俺には、傭兵という職業は性に合っていたらしい。身につけた体幹や所作、呼吸法は射撃の訓練にも有効だった。
めきめきと戦績を挙げた俺は声をかけられるままに転戦し、要人の警護や金品輸送の護衛、犯罪組織の制圧任務にも従事した。
それから、約三十五年。
憧れていた映画で見るような世界は大抵体験したが、映画のようにどこかで大団円を迎えることのない、終幕のない戦いに俺はうんざりしてしまった。
それでもこれだけの長い年数続けてきたということは、心底嫌というわけではなかったのかもしれないが。
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