第51話
「あっ、あのっ!」
弾かれたように放つその声に、私は俯いていた視線を声の主に向けた。するとお店の入り口に立っていたマリーゴールドが私の元に駆けてくる様子が目に入る。
輝く蜂蜜のように艶やかな髪を靡かせ、背の低いマリーゴールドが跳ねるようにして駆ける様子は、それだけで可愛らしく思える。
レオンは今、彼女をどんな表情で見つめているのか。それを確かめる勇気がない私は、マリーゴールドだけをひたすら見つめる。
「私、マリーゴールド・エマ・クレイマスと申します。昨夜は助けていただき、ありがとうございました」
マリーゴールドは丁寧にお辞儀をし、愛らしい笑顔を向けた。
さすがはこの世界の女主人公。可愛さの格が違う。レオンもそうだけど、やっぱり別格だ……って、私がそう描いたのだけど。
こうしてレオンとマリーゴールドが隣り合わせで並ぶと、やっぱりすごくお似合いだ。リーチェも可愛く描いたつもりだけど、次元が違う。
ショップのショーウィンドウに映る自分の姿を見て、二人と並んでみる。
主張するような真っ赤な髪とキラリと輝く金色の瞳。ドレスだってマルコフが私の見た目にお金を注ぎ込み出したおかげで、以前よりも上質なものを身に纏っているというのに、マリーゴールドに勝てる気がしない。むしろどこかみすぼらしく思えてしまうのは、滲み出る主人公の品格の違いだろうか。
「こちらこそ挨拶が遅れてしまいました、リーチェ・ロセ・トリニダードと申します。クレイマス伯爵令嬢様、走れているところを見ると足の怪我は心配しなくてもよさそうですね」
マリーゴールドと同じように、ドレスを掴んで挨拶を交わす。にっこりと笑顔を取り繕って見たが、ちゃんと笑えてるだろうか。
本来なら、生のマリーゴールドを見れた幸せでテンション爆上がりしてもおかしくない状況なのに、心はスンと静まり返っている。それがなんだか寂しくもあり、申し訳ない気持ちにもなる。
「マリーと呼んで下さいませ! はい、あの後すぐに治療をしてもらったおかげでこの通りです!」
マリーゴールドは恥ずかしげもなくドレスの裾を少し持ち上げ、足首をプラプラさせて見せる。伯爵令嬢らしからぬ振る舞いだが、マリーゴールドがするとなんだか愛らしさすら感じてしまう。
そしてキラキラとした瞳で、私に愛称で呼んでというマリーゴールド……めちゃくちゃ可愛い。と同時に、ドロドロとした気持ちで見てる自分がとても恥ずかしく思える。
「では私のことはリーチェと呼んで下さいませ、マリー様。怪我が大したことがなくて良かったです」
「そういうリーチェ様こそ、打たれた頬は大丈夫なんでしょうか……? あの時、一人あの場に残してしまった事をすごく後悔しておりました」
マリーゴールドはそう言って眉毛を八の字に変えながら、申し訳なさそうに頭を下げた。
「助けていただいたというのにあんな形であの場を去ってしまい、本当に申し訳ございませんでした」
ああ、マリーゴールドは本当に、私が生み出したヒロインだ。上位貴族に当たるのに、腰が低く、その上屈託ない無邪気な愛らしさ。彼女が今本心から後悔と謝罪の言葉を述べていることがひしひしと伝わる。
「マリー様、頭を上げてください。頬はすっかり治りました。それと昨日の件に関しては、マリー様が謝る必要はないのです。悪いのは全て、あの公爵様ですから」
私がそう言った瞬間、マリーゴールドは唇をへの字に変えながら顔を上げた。
「そうです! あのクズ男め!」
小鳥がさえずるような可愛い声と、ぷっくりと膨らんだその小さな唇が紡ぐクズ男という言葉の威力たるや……。思わず耳の穴をかっぽじってしまった。
隣に立つレオンですらビックリしたのであろう事が、彼の肩の揺らぎで伝わる。
「えっと……?」
「ああ、失礼いたしました! 昨日リーチェ様がそうおっしゃっていたので、つい……!」
マリーゴールドは両手をマシュマロのような頬に当てて、しまったといった様子を見せたけれど、その直後にペロリと舌を出しておどけて見せる。
確かに私は昨日、マリーゴールドにそう耳打ちしたけれど……小さくて誰もが守ってあげたいと思う容姿をした天使がもし、無邪気に口汚くクズ男子を罵ったらーー最高じゃない⁉︎ なんて思った前世の私の性癖よ……。
どうか神よ、こんなに愛らしい人物の性格に私の闇部分を詰め込んだことを、お許し下さいませ。アーメン。
別にクリスチャンでもないくせに、私は胸の前で十字を切って神に懺悔していたその時ーー。
「はっ!」
私の耳に飛び込んできたその声に、思わず顔を上げた。
「バービリオン侯爵様、そんなに笑わなくったっていいではないですか?」
口元を手の甲で隠しながらも笑っているレオン。そんなレオンに向けて、下唇を尖らせて恨めしい表情を見せるマリーゴールド。けれどその後すぐに、マリーゴールドもレオンと同じようにクスクスと声を立てて笑った。
……けれどこの場で、私だけが笑うことができなかった。
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