第49話

「がっはっはっは」


 愉快そうに笑うマルコフの声が、朝食の場に響き渡る。鶏の鳴き声よりもやかましいと感じるのは私が寝不足だからではないはずだ。

 昨日は結局一睡もできなかった。家に帰って来たのがほぼ早朝だったからというのが理由でもあるが、それよりも私の脳内で反芻し続ける映像のせい。

 レオンとマリーゴールドが出会ってしまった。それも予想とは早い段階で。私の知るシチュエーションとは違った状態で。

 それなのに二人は、惹かれ合っていた。

 見つめ合う二人のあの光景が、どうしても頭から離れない。

 そんな私の負ともいえるループから引き剥がしてくれたのは、皮肉なことにマルコフの声だった。


「バービリオン侯爵とコーデリア公爵がお前を巡って決闘をするとは、いやはや我が娘ながら素晴らしいぞ! おいっ、今日は一番良いスパークリングワインを持ってこい」


 いやいや、今何時だと思ってんの? 朝の七時よ? 徹夜明け状態な私はまだしも、マルコフにとっては朝でしょ。早朝からワインってどんな生活習慣したらそんなもの飲めるのだろうか。


「パパ、先ほども言いましたが、コーデリア公爵様に決闘を申し込んだのはレオン様ではなく私です。そして私の代わりにレオン様が決闘に出てくださるのです。決して私を巡って決闘が執り行われる訳ではありません」


 しかしマルコフもキールとは少し違った意味で、脳内お花畑だ。自分の良いように物事を解釈しようとする。

 ……いいや、マルコフの場合は良いように解釈しようとしているのではなく、そういう風に話を撒き散らし、自分にとって良い方向に持っていこうとするのだからタチが悪い。


 さらに言えば、実際にそうなるように手回しも抜かりないのだ。だから私は常に彼の言動を潰しにかからねばならない。

 人の口に戸は立てられない、なんてことわざが前世であったけど、まさにだ。どうせ私が訂正と否定を繰り返しても、私のいないところでもそういう言動をしているのだろうから暖簾に腕押しとはこの事だ。

 だからといって、無視して野放しにできないのも私の性分である。


「まぁまぁどちらでも結構ではないか。そんなもの小さな違いだ」

「小さい違いではございません。昨夜着ていた私のドレスをご覧になったでしょう? 胸元のレースが裂けていたのはコーデリア公爵様による所業です。嫁入り前、婚姻前である令嬢にする態度ではないと思いませんか?」


 もちろんマルコフはあの場にいなかったわけだから、どうやってドレスが裂けたのかまで知る由がない。けれど私は今朝あのドレスを持って、マルコフに事細かく説明をしておいた。


 昨日の事でレオンやキールから手紙が届くかもしれない。そもそもあの場には数多くの貴族が集まっていた。そこからの噂がマルコフの耳に届くまで、星の速さだ。

 そう思って先手を打ったつもりだったのだけど……相変わらずマルコフにとっては、真実よりも利益となりうる事実のみが重要なようだ。


「ところで侯爵との婚姻はいつ結ぶつもりだ? 聞いたところによれば皇帝からの許可を得たコーデリア公爵との婚姻を、あの堅物侯爵の手によって跳ねのけたそうじゃないか」


 やっぱり情報が早い。もうその話を知ってるんだ。

 マルコフは再び愉快そうに笑い、従者が持ってきたシャンパンを本当に朝から飲み始めた。

 私の席にもシャンパングラスが置かれたが、注がれるのは拒否しておいた。私はこれからやる事がある。朝っぱらから飲んでるわけにはいかないのだ。


「パパ、何事も順序というものがあるとは思いませんか? 私とレオン様は結婚の前に婚約を先に結ぶ予定です。それに先日伝えたかと思いますが、物事は焦らずゆっくりと進めていくつもりです」

「なぜ焦らす? コーデリア公爵がわざわざ皇帝から得た婚姻許可証をわざわざ撥ね退けたということは、バービリオン侯爵にはその気があるという事だ。たとえ準備ができていなくとも、人は時に選択をしなければならない時がある。チャンスと掴むとはそういう事なのだぞ、リーチェ」

「ええ、それは十分に分かっています」


 私は食事もそこそこそに、席を立った。


「これからやる事がありますので、私は先に失礼いたします。パパは朝食を楽しんで下さいませ」


 ドレスの裾をつまみ、お辞儀をしてから部屋を立ち去る。マルコフがまだ何か言いたそうだったが、それを無視して立ち去った。

 あれ以上あの場にいれば、私はきっとキレてしまいそうだった。

 私だって、別にレオンと婚約したくないわけじゃない。それができないってだけだ。だけどそれを説明することはできないし、説明できたとしてもマルコフなら私が婚約どころか結婚することを押し通すだろう。彼はそういう男だ。


 もしも、私がこの世界に悪役令嬢として君臨していたのなら、私はきっと無理にでも彼と結婚を進めていたと思う。その上私がこの世界の進むべきストーリーを知っていたのなら、さっさと彼と結婚まで取り付けてしまい、その後レオンが苦悩しようが何しようがこの感情を優先させただろう。

 たとえその末路が断罪だろうが、死だろうが、無骨で愚直に、自分の事しか考えない利己的に。

 ……むしろそうできたなら、一層のこと清々しいのかもしれない。

 だけどレオンもマリーゴールドも私の推しで、自分が描いたマンガのキャラとは自分が産み出した子供のようなもの。


「できるわけ、ないじゃない」


 運命に抗えないのなら、自分の感情に抗うしかない。

 そう思って私は、グッと奥歯を噛んで顔を上げた。

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