第48話
「きゃっ!」
突然のお姫様抱っこ。
「あっ、あの……⁉︎」
「好きにするといい。これ以上外にいてはリーチェの傷に触るから、俺達はここで失礼する」
レオンは身を翻し、私を抱いたまま歩き出した。
「リーチェ、長らくお待たせしてしまいましたね」
さっきまでの怒りの表情はどこへやら。レオンは再び私に敬語を使い、尖っていた瞳をほんのり丸く角を落とす。
「おろして下さいません……よね?」
恐る恐るそう言うと、レオンが珍しくにっこりと微笑みを向けた。
「はい、おろしません」
笑顔とは裏腹に、言葉は私の意見を拒否した。
「あなたの足は傷だらけです。すぐに冷やさなかったせいで、頬もこんなに腫れているではありませんか」
そう言って、レオンはすかさず私の腫れた頬にチュッとキスをした。抱っこされているせいで、レオンとの距離が近い。彼の美しい顔もすぐそばにある。そのせいでキスを避けそこねてしまった。
私は声にならない声を上げ、腫れた頬に手を当てる。熱を帯びた頬。だけどこれはきっと叩かれたものとは違う熱な気がして、レオンは私の怪我を心配してくれているのか、本当は苦しめたいと思っているのかが疑問になる。
「歩けないほどの怪我ではないのですよ? それでもおろしてくださらないのですか?」
「先ほど私は、リーチェの願いを聞き入れました。ですから今度はリーチェが私の願いを聞き入れてくださる番だとは思いませんか?」
私の願い……マリーゴールドを安全な場所に連れて行ってと言った、あの事だろう。
強いて言うならば、それは私の本心ではないのだけど……それを口にするほど私は愚かではない。私は一度開いた口を閉じることはせず、話題を変えた。
「ところで、あのご令嬢は大丈夫なのでしょうか?」
マリーゴールドのことを話題にした瞬間、一瞬だけ私を抱えているレオンの腕がピクリと揺らいだ。
「彼女は無事です。きちんと処置を受けたところまで見届けました」
「では、彼女はまだこの屋敷に? それは危険かと思うのですが」
ここはキールの屋敷。キールのテリトリーだ。いわばマリーゴールドは鳥籠の中の鳥状態。逃げ場がないのに、キールが報復しに行くことも考えられる。
「大丈夫です。彼女の従者には声をかけておきました。治療を終えてすぐ馬車に乗って帰ると言っていましたので」
レオンの視線は真っ直ぐ前を見つめている。レオンの向かう先には馬車が待機している屋敷の入り口だ。
けれどレオンの瞳は、屋敷の入り口を見つめているのか、それともーーそこまで想像を働かせたところで、レオンが再び口を開いた。
「彼女はリーチェ、あなたに感謝していました。そして同時に、あの場に一人残したあなたの事を心から心配していましたよ」
ーーだから私はなるべく早く、あなたの元に戻ってきたのです。あなたの為ではなく、彼女を安心させるために。
……そんな言葉の続きが、聞こえた気がした。
レオンの言葉に、そんな続きは存在しない。彼は私を抱き抱えながら、寡黙に歩いている。ただ一点を見つめながら。
マリーゴールドの話題をすると、レオンの中でスイッチでも入ったみたい。さっきとはまるで違って見えるその表情に、私の胸の奥でとぐろが渦巻く。
……だから言ったのに。後悔するって。
レオンが恋する相手は、私じゃない。レオンの運命の相手は、モブであるはずがない。
レオンはこの世界の男主人公。普段は冷徹で他人に対しては興味を示さない。
けれど一度でも彼の懐に入った人間に関しては深い愛情を与え、心を許し続け、決して裏切らない。
そして、レオンをそんな性格に設定してしまったのは私。だからこそ私には彼が考えてるだろう事が想像できる。
きっと今、彼が悩み苦しんでいるであろうことが。
「……レオン様。彼女を一目見た時、どう思いましたか?」
何か感じるものがありましたか? 自分の片割れとでも思うような、運命を感じましたか?
レオンの瞳はどこか虚ろに見えた。けれど私の声を聞いて、この世界に戻ってきたかのように、瞳に正気が宿った気がした。
そんな青い瞳に映る私は、どこか滑稽に見えた。
「リーチェ、何か言いましたか?」
「……今後は、挨拶の場以外で口づけするのを控えてくださいとお願いしたのです」
「嫌、でしたか?」
その瞳に映る自分を見つめているのに耐えかねて、私はレオンから顔を逸らした。そのせいで彼が今、どういった顔をしてそんな風に言葉を紡いだのか確認できなかった。
「私たちは現在、仮初の間柄です。今後この関係がどうなるか分からないので、控えていただきたいと思ったまでです」
「今後どうなるか……」
ボソリとつぶやいたレオンの声。レオンが何を考えているのか読み取れないようなその言い方に、私は顔を上げてレオンを見やった。
けれどその時レオンは、顔を天へと向けていて、やっぱり私は彼がどういう表情をしているのかを見る事ができなかったーー。
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