第41話 エルフの血は甘露の味

 柔らかい布団の感触に体を委ね、微睡みの中で多幸感に包まれる。少し温い風に吹かれながらも、起きろと催促する日差しに眉を寄せた。


「……ん」


 事後処理やら騎士団からの事情聴取を受けていたら、あっという間に1週間が経った。昨夜は漸く諸々から解放され、惰眠を貪っていた所である。


 


 寝ぼけ眼のまま、もぞもぞと真っ白な掛け布団の中から這い出す。窓の外を見れば、太陽はとうに高く昇りきっていた。しかし、連戦の疲れはそう取れるものでもなく、まだ倦怠感が残っている。筋肉痛とかじゃないが、とにかく怠い。


「やっと起きたのね、お寝坊さん」


「……そふぃあ、おはよ」


 そこで漸く、向かいのベッドの縁にソフィアが座っている事に気付いた。彼女は呆れたように立ち上がり、こちらへやって来ると、今度は私のベッドに腰を下ろす。


「あなた、寝起きは結構ふにゃふにゃなのね」


「……誰だってそうだろ」


 寝癖は酷いし呂律も回っておらず、到底人に見せられる成りじゃない。そう気付くとちょっと恥ずかしいので、布団に顔の下半分を隠す。というかソフィアはもしかして、寝てる間ずっと私のことを見ていたのか?


「まあ、後始末とか事情聴取とか忙しかったから疲れるのも仕方ないわ」


「……そゆこと」


「特にあなたは戦ってたもの。クラインとかいう騎士、相当強そうだったわよ」


「……雑魚過ぎて話にならなかった、レーベルハイトのが100倍強い」


 自分でレベル70とか言ってたからな。レーベルハイトはキッチリカンストの200だったから、それはもう比べ物にならない。


 あ、クラインと言えば、アイツをぶっ飛ばした後は襲ってきた黒教も全滅。カジノ産のメガポーションのお陰で全快した斥候ロメオの話によると、もう一人幹部クラスらしき奴がいたらしいが、どうやら逃げられた様子だった。


 そこからは、普段どおり死んだ人間の処理やら周辺住民の鎮静。騎士団からの事情聴取を受け、直接戦ったメンツは毎日深夜まで拘束される羽目になった。


 騎士団もクラインの手によって半数が殺されたため、本部から応援が来ることになったらしい。内部事情を詳しく知るわけではないが、隊長代理が裏切り者だったことを知ってとんでもない騒ぎになるだろう。


 まあすったもんだあって、流石にダンジョン攻略と事情聴取の精神的疲労は大きく、久しぶりに睡眠という人らしい行為を取ったわけである。


「ごめんなさいね」


「……なにが?」


「あたしのせいで面倒な事に巻き込まれたでしょ。本当は領主の気合が空回りしてるとか、山にトロルとかが出たとか、そういうちょっとしたハプニングで終わると思ってたのよ。それがまさか、黒教の襲撃だなんて思わなくて……」


「……別に」


 謝るくらいなら部屋から出ていってもう少し寝かせて欲しい。


「お詫びと言っては何だけど、何かしてあげられることはある? なんだか疲れてるみたいだし、お茶でも淹れましょうか?」


「……あ、そうだ」


 してあげられること、と聞かれてふと思い出す。私は徐に起き上がり、ソフィアへと『あるお願い』を耳打ちをした。


「え?」


「別に無理なら無理で良いよ、他の人当たるし」


「あ、いや別に無理ってわけじゃないわ。ただ、ちょっと驚いただけ。そういえばあなた吸血鬼だったわね。うん……良いわよ、色々と世話になってるし」


「そっか、ありがとう」


 ソフィアはそう言うと、少し視線を彷徨わせてからベッドの上へと乗る。そして服の襟を持ち、白い首筋を曝け出した。


「ほら」


 線の細くて華奢な肩、緊張と恥じらいで赤く染まった頬。少し浮き出た血管は、何故か凄まじい色香を放っている。思わず喉が鳴り、涎が溢れて来た。


 これは食欲だ。『血を吸わせて欲しい』というお願いをしたのだから当然だが、今私はソフィアに対して吸血欲求を抱いている。


「じゃあ、えっと……失礼します」


 上掛けから出て近づき、手を両肩に添える。石鹸のいい匂いと、薄っすらと香る芳醇な血の香りが混ざって、心臓が高鳴った。やばい、息が荒くなってきた。


「はむっ……」


「んっ……」


 恐る恐る、瑞々しくてハリのある肌に牙を添え、その柔らかい肉を刺し貫く。ぷくり、と生まれた血の玉が舌先に触れると――今まで味わったことの無いような衝撃が脳へと伝った。


 それは表現し難い味だった。まるでジューシーな肉汁のような、熟した桃の果汁のような、芳醇なワインのような……この世のものとは思えない、正しく甘露のような味わい。


「あっ……」


 1度味わえばそこからはもう流されるまま、自ら作り出したその傷口から血を啜った。喉を鳴らして嚥下する度に、失われていた活力が戻る感覚がする。同時に全身へ熱が広がり、下腹部の辺りが疼き出した。


「ふっ……ん、じゅる……じゅっ……」


「ちょ、これ、なんか変な感じ……いっ……」


 熱っぽい吐息が耳を擽り、ゾクゾクと背筋が震える。伸ばされたソフィアの手が私の手に当たり、恋人のように指を絡めて握られた。


「フ、ランッ、お、美味しい……?」


「ん……腰抜けそうなくらいおいしい……」


 吸血がこんな快感を伴うものだとは知らなかった。頭が茹だって、溶け出してしまいそうだ。


「ふふっ……あたし、エルフの血継いでるから、そのせいかもねっ……あっ……」


「ひょっか……ん……」


 それから暫く吸い続けソフィアが『もう無理』と背中をタップし、首筋から牙を抜く。溢れて肌に伝った血が勿体なくて、舌で舐め取ると耳元で少し高い声が漏れた。それを聞いて、またジクジクとへその下辺りが疼くのを感じる。


「ごめん、ちょっと吸いすぎたかも」


「分かってるならもう少し早く止めなさいよね……あぁ、何かちょっとフラフラする……」


 オークや魔獣の血と違い、人の――それもエルフの血は格別に美味い。98円の素麺と、揖保乃糸の最高等級である三神ぐらい差がある。これはちょっと最初に吸う相手を間違えたかもしれん。多分他の人の血で満足できなくなった。


「あ、痛く無かった……?」

 

「はぁ……それはあなたが1番知ってるでしょ、吸血鬼が血を吸う時は、相手に抵抗されないよう、その……気持ちよくなる特別な唾液が出るって……」


 少し尖った耳まで真っ赤にして答える姿に、私も思わず顔を紅潮させる。成程、何かえっちな感じだったのはそのせいか。


「……これからも、欲しくなったら言いなさい。今日の半分くらいなら、吸わせてあげるから」


「良いのか?」


「勘違いしないでよ。これはあなたが他人の血を勝手に吸わないための措置よ。街中で知らない人に『血を吸わせてください』なんて言ったら普通に通報されるからね? 食事の扱いとしては、サキュバスと同等と思っときなさい」


「アッハイ」


 駄目なんだ、へぇ……駄目なんだ。


 吸血鬼ってやっぱりマイナー種族だから、人間としてはあんまり馴染みが無いんだなぁ。クローズドアルファ特典の追加種族だし、NPCとしてもそんなに出てる数は多くないから当然と言えば当然か。


「えっと、取り敢えずごちそうさまでした……」


「はいはいお粗末様。ま、今回のことはこれでチャラね。あたしは下に行ってケインたちにあなたが起きたことを伝えてくるから、出かける準備しときなさい」


「ほーい……って、準備?」


 今日なんかそんな用事あったっけ? と私が首を傾げるのを見て、ソフィアが溜息を吐いた。


「昨日寝る前に言ったでしょ、今日の夕方から領主様の館で行われる夜会に招待されたって」


「あ、あぁ~……? あっ、ああ、はいはいはいはい」


 少し考えてから、そう言えば昨日あんまり話す時間が無かった中で、リアから「黒教撃退の礼も兼ねた打ち上げに参加して欲しい」と言われたのを思い出す。


 これは民間人の死傷者が出なかったことが大きいだろうな。もしも被害が甚大だったら打ち上げなんてしている場合ではない。


 今回の依頼を受けた冒険者の5人が殺され、解散を余儀なくされたパーティーもあった。その彼らが参加する中、無傷の私が断るというのはちょっと流石に空気が読めなさすぎるので了承したんだった。


「ドレスコードもあるから、選んであげた服をちゃんと着るのよ?」


「わーってるよ」


 この前のショッピングで、フォーマルな黒いドレスを買ってある。まさかこんなに早く袖を通すことになるとは思っても見なかったが、他の服より露出は少ない。


 夜会と言うことは美味しいものも食べられるだろうし、ちょっと気合を入れておめかししますか。








◇TIPS


[吸血]


吸血鬼が人から血を吸う際には

抵抗を許さぬように魅了と

媚薬の効力のある唾液によって身動きを封じる。


吸血に慣れていない個体は

自ら分泌した媚薬で発情することがままある。

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