第39話 己が絶対であると思い込んだ男


 昔から、絶対的な力というものに憧れていた。


 5歳の時、道の真ん中を進む蟻の行列を踏み潰しながら、自分の振るう理不尽な暴力に、自分より弱い者は抵抗すら出来ないことを知って快感を覚えた。


 村の子供たちのグループの中で、1人だけを仲間外れにして石を投げたり、川に突き落としたりして、それが人間にも当て嵌まることを知った。


 いつもおどおどして、声を掛けただけで半べそを掻くその少年、ルカをいじめるのは、この上無いほどにクラインの自尊心を満たす行為だった。


 そしていつも酒浸りで禄に働かず、目が合っただけで殴りつけてくる最低の父親に逆らえないこと。それは自分が父より弱いからであり、また力のある者は何をしても許されるからであると悟った。


 ――――強いということは、正義である。


 心の中にそんな歪な価値観が生まれていた。


 10歳の時、酔っていた父親を階段から突き落とし、事故を装って殺した。自分の手によって死んだ実の父の顔を見た時、精通を体験した。


 殺すことに快楽を覚えたのではない。今まで正義であった父親に代わって、自分がこの場で最も正しい人間になったことに愉悦を感じたのだ。


 それからより強さを求めて国で1番力を持つ秩序の騎士になるべく、騎士見習いとして学校に通うようになると、より一層クラインの正義感は暴走していった。


 同時期に入学した見習いの中に、ルカがいたのだ。


 昔のことなど無かったかのように気さくな様子で声を掛けると、ルカはあからさまに恐れを抱いた表情を浮かべた。それを見てクラインは勃起した。


 過去の自分の行いによって少年の自己同一性は歪み、非常に消極的で臆病な性格になってしまった。そう――彼の人生に多大なる影響を与え、この先もずっとそうであり続けることが、堪らなく嬉しかった。


 だから、騎士学校でも同じことをした。食事に雑巾を浸し、防具を隠し、剣を捨てた。訓練と称して公衆の面前で痛めつけ、精神的にも肉体的にも追いやっていった。


 しかしながら、子供の時と違ったのは――彼を支える者がいたことだ。騎士学校の同期にいたニーナという、赤毛で可愛らしい少女。彼女によってルカは悲惨ないじめにも耐え、またクラインが何かする度に2人は距離を縮めて行った。


 自分という正しい人間の行いが、間違っている弱者に否定された気分だった。故に、その希望すらも摘み取ることにした。


 クラインはニーナの実家が騎士学校の学費を払うために、少し危ない橋を渡っていることを調べ、そしてそのネタを使って彼女を脅した。「騎士学校にまだ居たいのなら、言うことを聞け」と。


 ニーナにはルカが『彼女に性的嫌がらせを行っている』という報告を教官にさせた。当然嘘であり、被疑者は否定したが事前に根回しをして証人を何人も用意しているクラインに疑われる余地はない。


 それは、教官も例外ではなかった。虚偽の報告であることを知っていながら、教官はルカを糾弾した。


 成績優秀で騎士としての将来を期待されたクラインと、真面目だが気が弱く、しかもクラインによる印象操作により、周囲の人々から疎まれていたルカ。何か口実を作って、彼を追い出したいと思っていたのは1人だけではなかった。


 結果としてルカは信じていた少女に裏切られ、学校中で犯罪者と後ろ指を指されるようになる。しかも、ニーナは自身の手で想いを寄せていた少年を陥れたことを悔み、失踪した。


 支えてくれる人も失い、日に日にやつれていき、ついに彼は騎士学校を自ら去った。


 その最後の日、ルカはクラインの元を訪ねて来た。『何故今までこんなことをしたのか』『どうして自分だったのか』そんな問い掛けに対し、


「特に理由はない」


 ただそう答えた。


 何か特別な深い訳はない。ただ、クラインにとってはルカが虐げられて然るべき存在だったからだ。強いて挙げるならば、『お前は何をしてもいい相手だと思った』であること。そう付け足した。


 答えが返って来たルカの表情は、クラインが肥大化しきった自尊心を満たすに十分な絶望を含んでいた。


 正規の騎士になった今でも稀に思い出す、この世の全てに絶望しきった表情で騎士学校を去る少年の後ろ姿。それを想起する度、クラインは興奮を抑えるのが大変だった。


 弱者が自分の思う通りに破滅していく快感は、至上の愉悦だった。


 ただ、クラインが学校を卒業してラトニアへ派遣されたことで、それは終わりを告げる。剣技も座学もトップだった彼を以てしても超えられない壁がそこにはいた。


 即ち、第4番隊隊長、レーベルハイトの存在だ。


 現在部隊が第1から第21まである中で、第4番隊はレーナリア教が行政の一環として立ち上げた警察組織――秩序の騎士団の前身となる組織の時点から存在している。


 レーベルハイトはクラインと同い年の頃から隊長を務めており、現在56歳という老齢ながらその肉体は衰えを知らない。どころか年々剣技は熟達して冴え渡り、晩年が全盛期と言える程の実力を保ち続けていた。


 クラインは自分より強い存在がいることに不満を覚えながらも、正面から挑んで勝ち目は無いことを知っていたが故に付き従う他なかった。


 隊長クラスのみが授かる特別な加護『再誕の加護』により、レーベルハイトは日に1度のみ、死亡した直後に無傷の状態で蘇生するという馬鹿げた能力を有する。


 仮に正面からではなく、闇に乗じて命を取ったとて、蘇ったレーベルハイトに殺されるのも分かりきっていた。


 だから待った。虎視眈々と、その時が来るのを待ち続け――そして機会は訪れた。


 クラインが正規の騎士となってから6年。その実力を認められて副隊長にまで上り詰めたある年のこと。世界に数多いる英雄級の冒険者たちが忽然と姿を消した。


 それまで村を騒がせるゴブリンから凶悪な邪竜、復活を目論む魔王などと対峙していた彼らがいなくなったことで、世の秩序は乱れた。息を潜めていた混沌、邪悪な勢力は活気づき、野望の為に驀進を始めたのだ。


 黒き神の教団も例外ではなく、かの信徒たちはラトニアを襲った。襲撃を指揮する、当時最も危険視されていた大主教『斑蜘蛛』とレーベルハイトが対峙し、そして両者共に致命傷を負って1度目の勝負は引き分けと相成った。


 瀕死のレーベルハイトはクラインに担がれながら騎士団の駐屯地へと戻ったが、途中で力尽きて加護を消費した上に、建物まで斑蜘蛛が追撃を仕掛けて来た。


 そこがクラインにとっての分水嶺だった。


 未だ自らを味方と信じているレーベルハイトは背を向け、正面の大主教と対峙している。既に加護を消費し、如何に団長とて次に致命傷を負えば死は免れない。


 この状況で、クラインは自らの団の長を背後から刺した。


 無防備な背中から胸を貫通して伸びる刃に血が滴り、驚愕と絶望に彩られた顔が自分を見ている。クラインは死に向かい青褪めていく男の顔を見ながら、初めて人を――父親を殺した時のことを思い出した。


 やはり自分こそが正しい。


 死んでしまったレーベルハイトは間違っていた。信頼などという脆弱で何の役にも立たない物を大事にしたばかりに、間違えてしまったのだ、と。


 そして今最も正しい行いは、騎士団を裏切り黒教へと寝返ること。斑蜘蛛――黒教はクラインと同じ思想を持っている。


 正しい者は力あるもの、力あるものが正しさを決める。そういった既存の秩序の破壊を主とする黒き神の教えは、裏切りの騎士にとって実に甘美だった。こうしてクラインは隊長の首を手土産に黒教へと入信した。


 それと同時に加護を失い、レーナリア教会本部を誤魔化すのも一苦労ではあったが、たかだか地方に派遣された騎士の1人に審問官が目を付けるわけもなく。


 のうのうと騎士隊長代理の座に着き、裏では密かに再度ラトニア襲撃の計画を進め続けた。


 クラインにとって計画とは、立案した時点で100%成功するものだと思っている。全てを自分の思い通りにして生きてきたと思い込んだ男にとって、挫折は縁遠い言葉だからだ。


 なにせ圧倒的な格上と、まともに正面から対峙したことが殆ど無いからである。クラインは知らない。世界には怪物と言う言葉ですら生温い、想像を絶する強さを持つ者たちがいることを。


 そしてその1人の力をこれから目の当たりにすることなど――彼には想像も出来なかった。








◇TIPS


[騎士学校]


騎士の素養を見出す場。


秩序の騎士の養成学校では

4年間に渡り徐々に女神の加護を

体へ馴染ませながら施す場でもある。

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