第13話・自転車狂騒曲

──ピッピッピッ

 目覚ましの音が室内に響く。

 休暇あけの加賀が、枕もとで鳴り響く目覚ましに手を伸ばし、カチッとスヌーズボタンを押す。


──ピッピッピッ

 そして5分後、再び鳴り出した時計を止めて、ようやくベッドから体を起こす。

 シャッと窓辺のカーテンを開いて朝日を室内に届けると、そのままタオル片手にシャワー室へと向かう。

 少し熱めのシャワーを浴びて目を覚ますと、ゆっくりと着替えて身支度をする。

 そしてふと時計を見ると‥‥。 


「はうあっ、スムーズ何回なったのよ!!遅刻しそうじゃない!!」


 慌てて着替えて部屋から飛び出すと、加賀は在アルス・メリア日本大使館へと戻るために、札幌の自宅から道庁赤煉瓦庁舎までタクシーに飛び乗った。

 普段はミーディアルの一般区画にある『大使館職員寮』に住んでいるのだが、土曜日の午後は仕事が終わって日本に帰って来たのである。

 そして月曜日の朝イチでミーディアルに戻ってくる、そんなルーチンワークを続けていたのだが、この日は油断してしまった。


………

……


「はああぁぁぁぁ、間に合ったぁぁぁぁ」


 在アルス・メリア日本大使館のカウンターで、加賀はぐったりとした表情でつぶやいている。その隣では、同僚の秋冬夜がお疲れさんとばかりにスポーツ飲料を加賀に手渡した。


「いつもなら少し早めにくるのに、今日に限って遅刻ギリギリとはねぇ。昨日は彼氏と一緒?」

「ないない。土曜の夜に久しぶりに同窓会があってね、昔の友達と会ってきたのよ。それで昨日もあちこち出かけていてね……それに彼氏なんてとっくの昔に分かれてますよ。今は仕事一筋異世界一筋ですから」


 グイッとスポーツ飲料を一気に飲み干すと、加賀は自分の席に置いてある指示書を手に取って……。


「午前中は第一城塞内の各ギルド周り? ええっと、リチャードさん、これって」

「7の日前に、各ギルドにお願いしたアンケートとかいうやつの回収ですよ。午後からは入国手続きの担当でお願いします」

「はい。それではさっそくいってきます」


 勢いよく席を立つと、加賀はバッグを肩から下げてギルドから外に出て行った。


「乗合馬車で第一城塞まで向かって、商人ギルドを回ってから……」


 指示書を確認しつつ、王都内を循環している乗合馬車の待合所で待っている加賀。

 だが、いくらまっても馬車がやってくる気配がない。

 加賀のほかにも、数名の客が馬車を待っているのだが、すでに一時間も待っているのに馬車がやってくる気配は一向にない。


「あ、あの、今日は馬車が来るのが遅いですよね?」

「まあ、よくあることさ。最悪、今日は昼の鐘まで来ないかもねぇ」


 などと暢気なことをいう青年に、集まっている客もウンウンとうなずいている。

 この手の遅れは日常茶飯事、急ぐなら自分で足を用意すればいいっていうのが王都の人々の考え。

 でも、日本人の加賀はまだ、そこまで達観するほどには心が鍛えられていない。


「そんなぁ。私、午前中に仕上げないといけない仕事があるんですよ?」

「ゴゼンチュ? なんだいそれは?」


 その問いかけに、加賀はしまったという顔をする。

 在日本大使館に勤務してそこそこに時間は立っているものの、このアルス・メリアという世界は時間という概念があいまいな状態になっている。

 古代魔法王国の遺跡を発掘した際に出土した『時を告げる水晶』というもので、ある程度の時間はわかるようになっている。


 だが、それはとても高価な品物であり、錬金術師が複製したものが僅かながら貴族や教会に出回っているのみである。当然庶民には伝わっていないため、神聖教会が朝昼夕方に鐘を鳴らして、時を知らせてくれる。

 あとは日の傾き加減で代替の時刻を測ったり、大型の日時計によって時間を計測しているのみ。当然ながら、午前や午後という地球式の説明がわかるはずがない。


「では、これで失礼します」


 すぐさま停車場から駆け出すと、加賀は一目散に第一城塞めがけて走り出す。

 ジョギング程度の速度であるが、一応仕事着として制服は着用している。スーツよりはゆったりとしているが、事務職用の衣服なので若干走りずらい。


「ぬぁぁぁぁぁぁぁ。なんで今日は走りっぱなしなのよぉぉぉぉっ」


 絶叫を上げつつ走っている加賀。

 そしてなんとか第一城塞まで到着すると、あとは各ギルドの巡回作業を開始した。


 〇 〇 〇 〇 〇 

 

 翌日。

 いつものように朝一番で大使館に出勤した加賀。

 だが、その日は大きなカバンを両手で抱えてくる。


「おや、それは何ですか?」


 大荷物を持ってやってきた加賀に問いかけるリチャード。すると加賀はカバンの中から折り畳み自転車を引きずり出して組み立てていく。

──カシャカシャッ

 カリス・マレスの人々にとっては自転車など初めて見る。

 それゆえ、職員たちは集まって加賀の行動をじっと観察していた。

 そして10分すると、きれいな折り畳み式のママチャリが姿を現した。


「ああ、これが自転車というやつでしたか。片輪の馬車のような、そうでないような、難しい形をしていますね」

「はい。ここから第一城塞まで行くのに、いつも乗合馬車というのも問題があると思いまして。昨日は日本に帰って、今朝一番でこれを持って帰ってきました」

  

 すでにリチャードには持ち込みの申請はしてあり、業務で必要なものとして許可はとってある。もっともリチャードも本物を見るのは初めてであり、不思議そうな顔で、自転車を眺めていた。


「馬車が時間通りに来ないことを考えますと、やはり必要だろうと持ってきました。これですと、城塞内を自由に走ることもできるので、仕事の効率が良くなるのですが……」

「そうですねぇ。確かに、ここから第一城塞まで毎日乗合馬車というのも問題はありますか。ギルドで馬を用意して多もよかったのですが、加賀さんと……きょうは篠原さんですか、お二人は馬には乗れますか?」


 そう問いかけられて、加賀と篠原はお互いの顔を見合わせてから、ぶんぶんと頭を左右にふる。


「私たちの世界では、乗馬は上流階級のたしなむものでして。当然、馬を飼う厩舎など、私たち庶民には用意できるものではありませんので」

「はい。趣味で乗馬をしている人はいますけれど、それは本当に一握りでして。そのかわり庶民はこれ、自転車を使います」

「馬も意外とお安いですけどね。この大使館にも厩舎と厩務員はいますので、必要になったら使ってもかまいませんので」


 そう説明すると、加賀が建物の外に自転車を押していく。

 興味のある職員たちとリチャードもついていくと、加賀は自転車に跨ってぐるぐるとその辺を走って見せる。  


「へぇ。よくまあ、倒れることなく走れるものですねぇ……どういう仕掛けなのでしょうか?」


 関心するように加賀を話しかけるリチャード。

 するとテヘヘと軽く笑いながら、加賀も簡単な説明をする。


「まあ、仕事に使うのですし、特に複雑な機械というほどでもありませんか。カティーサークさんには、私から許可を貰ったと伝えてくれれば構いませんので」

「はい、ありがとうございます。では、先日の続き、行ってきます」


 本日も各種ギルド周り。

 昨日回れなかった西方一般居住区と北方開拓区画を中心に、加賀は自転車を漕いで走り抜けた。

 初めて見る謎の乗り物、それは町の人々の注目の的になる。

 時折、商人や貴族らしい人が駆け寄ってきて、それが何なのか教えてほしい、売ってくれないかと交渉を持ちかけてくるが、軽く断り続けていた。

 だが、そんな加賀を建物の陰から見ている不審な存在があったことに、加賀は気づかなかった。


………

……


「ふぁ?」


本日最後のギルド周り。中央商業地区の鍛治ギルドから出てきた加賀は、目の前に展開している『バラバラになった自転車』を呆然と見ている。


「な。な、な、何があったのですかぁぁぁぁ」


 バラバラになった自転車の近くでは、今、まさに前輪のチューブを外しにかかっている三人組のドワーフの姿がある。


「おお、この怪しげな乗り物はお嬢さんのか。すまんが、調べさせてもらっとるぞ」


 全く悪びれもせずに笑うドワーフ。

 その声に、加賀はその場にヘナヘナと座り込んでしまう。


「しかし、これは異世界の乗り物か?この材質は何じゃ?ナイフを入れたらプシューと何か抜けていったが」

「このジャラジャラとした鎖はなんじゃ?」

「この輪っかの中の細い管の材質は?こんなものでよくも車輪を抑えられるなあ」


 てんでバラバラに問いかけてくるドワーフ。

 やがて、ギルドの責任者が外に飛び出してきて、ドワーフたちを力一杯ぶっ飛ばすまで、加賀の折り畳み式自転車の解体は続けられた。


「あは……それ、買ったばかりなのに………」


 呆然とする加賀。

 仕方なく帰りは鍛冶ギルドの好意で馬車を出してもらい、大使館まで戻ってきて自転車の弁償ということで金貨10枚を握らされた。

 遅くなった事情については、鍛治ギルドのマスターがリチャードに説明したため難を逃れたものの、明日以降の通勤について加賀は今一度考え直す必要があると思った……。


 そして。

 次の日、加賀は馬に乗ってやってきた。

 先日、仕事が終わってすぐに厩舎に向かい、おとなしい馬を一頭、購入してきたのである。


「あんた、昨日あんな目にあったと思ったら、今度は馬って……懲りないわねぇ」

「だって。一度でも楽を覚えるともう。それに、弁償してもらったおかげで、こんなにきれいな馬に乗ることができたのですよ?」


 嬉しそうに栗毛の馬の頭をなでる加賀。

 簡単に乗りこなしているように見えるが、先日は日が暮れるまでずっと厩舎外にある運動場で馬の扱いについて学んでいたのである。

 そしてようやく乗りこなせるようになって、加賀としてはかなり楽しい異世界ライフが始まったのである。

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