2章 予測不能の1vs1

第8話 開幕AFK

「う~ん……」


 深い所まで沈んでいったシオンの記憶を、アラームの甲高い音が引き上げた。

 シオンが時計を見れば時刻は11時──早起きだ。


 早起き、というのは別に皮肉でも何でもない。

 プロゲーマーやコーチの朝は遅いのだ。

 練習開始は昼過ぎからだから、二度寝する余裕もある。

 

 だがシオンは到底二度寝する気にはなれなかった。


「結局思い出せなかったな……」


 昨夜のことである。

 あおいから会ったことがある──と聞かされたシオンは必死に薄れゆく記憶の中、朧げな過去の記憶の中にあおいの姿を探していた。

 浮かんでは消えていく過去の記憶の中から、一度会ったきりの相手の姿を探す──そんな途方もない作業を繰り返すうちに、いつの間にか眠ってしまったのだった。


「今日は練習初日なんだ……いきなり無様な姿は見せられないよな」


 シオンは頬を叩いて、はっきりとしない体に覚醒を促した。


 初っ端から眠そうに気怠そうにしているコーチがいたとすれば、そのコーチの第一印象は限りなく悪いものとなる。

 選手とコーチ、信頼関係が重要な間柄。

 仕事にも差し支えてくる。

 シオンはそれを良しとするような人間ではなかった。


 顔を洗い、身支度を整えたシオンは一度練習室に向かった。

 練習が始まる前に自分のPCをセッティングしておく必要があったからだ。

 念のため一度ノックをしてから練習室に足を踏み入れれば、カチカチと規則的なクリック音が響いていた。

 音のする方を見れば、リリーがひとりで練習をしているようだった。


「おはよう。リリーが一番乗りか。早いんだな」

「……おはようございます」


 リリーはシオンに一瞥だけくれると、再びモニターを視線を戻した。

 リリーはどうやら、シューティングゲームでは準備運動とも言えるボット撃ちをしているらしい。

 まるでモグラ叩きのように、画面に表示されていく的を次々と破壊していた。


 さすがプロ、と言った所だろうか。

 その機械的に精密なエイム力にシオンは感心の声を漏らした。

 

「……気が散るんですが」

「ああ、悪い。少し聞きたいことがあったんだ」

「何ですか?」

「練習開始は13時から──まだ1時間以上もあるんだが……もう準備してるのか?」

「これはただの日課です。練習とは関係ないのでお気になさらず」

「そうか……まあ、ほどほどにな」


 リリーの手が再び動き始めた。

 画面に表示された的を撃ち抜くべく、右へ左へ上へ下へ……。

 その様はまるで本物の機械のようだった。



★ ★ ★



 練習時間が近づくにつれ選手たちが次々と練習室へとやってくる。

 Tシャツとショートパンツ、驚くほどラフな格好のあおい。

 逆にフリルとリボンがあしらわれた甘い服装に、ばっちりと化粧を施したマロン。

 そして変わらず練習に没頭し続けるリリー。

 この辺りの過ごし方を見るだけでも、各人の性格が窺い知れた。


 そして気付けば13時。

 そろそろ練習前のMTGを始める時間だが、選手がひとりいない。


「ロッキーはどうした?」

「多分……まだ寝てるんじゃ……」

「あーでも、起きてるとは思うよ。さっき部屋から音が聞こえてたし」

「なら俺が呼んでくるか……二階の角部屋だよな?」


 シオンは選手たちの部屋の場所なら、なぎさから教わっていた。


「いや……ここは私が……」

「皆はエイム練習でもしててくれ、すぐに戻るから」

「いや……あの……」

「いいじゃん、マロン。それじゃコーチ、任せたから」

「あいよ」


 この程度の雑事はシオンにとって何ともないことだった。


 ゲーマーは夜型が多い。

 ゲームの止め時を見失って気が付いたら朝になり、翌日遅刻してしまうなんてことはゲーミングハウスでは日常茶飯事だ。

 シーズン期間中ならともかく、今はオフシーズン。

 遅刻は良くないことだが、別に責めるほどのことではない。

 シオンはかるーく一言反省を促して、それで終わるつもりでいた。


 二階の角部屋、ロッキーの部屋の前に立ち、二度三度とドアを叩く。


「ふぁ~い」


 あおいの言う通り、起きてはいるらしくすぐに返事が返ってきた。

 間もなくしてドアが開かれ、ロッキーが顔を出してきたのだが──


「っ──!」


 シオンの目に飛び込んできたのは、あられもない姿。

 ノースリーブのキャミソールは片側の肩紐がずり落ちて、胸元が大胆に露出してしまっていた。

 慌てて視線を下げると、次にシオンの目に映ったのは黒いレースの布、もとい下着。


「あ、そっか。コーチいるんだった」


 間の抜けた声でロッキーが言う。

 恥ずかしがる素振りも見せず、ましてや慌てる様子もなかった。

 寝ぼけているのか、羞恥心が欠如しているのか──シオンに分からなかったが、この状況を他の人に見られるのは非常に不味いだろうことは理解していた。

 

「いいからはよドアを閉める!」


 呑気なロッキーに一喝。

 ドアが閉まったのを確認してから、シオンはゆっくりとため息をついた。


「ごめんね~、いつも起きてすぐはこんな感じだから」

「いや、俺の注意不足だ。今後は気を付ける……」


 シオンは猛省した。

 少なくともドアを叩いた段階で自らが、異性が訪れたことを告げるべきだったと。

 トラップはゲーミングハウスの中にはいくらでも潜んでいる。

 慣れるまで気を抜かないように、シオンは己に言い聞かせた。


「アタシ的には今の感じが一番楽なんだよね~。日本の夏って暑いし」

「分からんこともない」

「う~ん、どうしよう? アタシはできればこのままがいいから、コーチにこの姿に慣れてもらうって言うのは──」

「ダメに決まってるだろ。寝言は寝て言え」

「ちぇ~」


 ドアが開かれて、再びロッキーが姿を現す。

 今度は薄着ではあるがしっかりシャツとズボンを履いていた。


「これでいい?」

「まぁ、これなら……」


 大丈夫、と言おうと思ったところで、シオンの脳裏に先ほどの油断しきったロッキーの姿がリフレイン。

 目に毒とはこのことを言うらしい。


(座禅でも始めようかな……)



 

 

 

 

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