第16話 私はあなたにとってどんな存在?

 うずくまっているから、大事な部分は見えていないとはいえ、男に見せるような格好ではなかった。


 信一はちらりと真帆乃を見てしまう。


 改めて、信一は真帆乃がスタイル抜群であることを実感した。膝に当たって両胸がつぶれているのに、その状態でも、かなりの大きさだとわかる。


 お尻も大きくて、けれど腹や手足には無駄な肉は一切ない。


 真帆乃は恥ずかしそうに信一を上目遣いに見た。


「し、信一のエッチ……あ、あまり見ないで」


「ご、ごめん……すぐ出ていくよ」


 信一は慌てて浴室から出て、扉をガシャンと閉める。


(しまった……)


 見とれていたのが、バレてしまった。見とれていたというより、性的な目で見ていたという方が正しいかもしれない。


(真帆乃に嫌われたかな……)


 思春期の男子みたいな行動を取ってしまい、信一は後悔する。そして、真帆乃に嫌われたくないと思っている自分に気づいて、驚く。


 高校で縁を切った時、真帆乃への執着は絶ったはずなのに。


 さて、これでルームシェアの話はなくなるだろうか? 


 ところが、扉越しに真帆乃が信一に声をかける。


「あ、あのね。私、気にしていないから」


「へ?」


「信一は私を助けに来てくれたんでしょ? ありがとう」


「虫を追い払っただけだよ」


「でも、私は嬉しかったの。だから、裸を見られたぐらい、平気」


「平気ってことはないんじゃない?」


「は、恥ずかしかったけどね。大人になってから、裸なんて誰にも見せたことないんだよ?」


 そのセリフはなかなか破壊力があった。

 彼氏がいたことないわけで、当然といえば当然なのだけれど……。


「信一がわたしの初めてってわけ」


「その言い方だと、誤解しそうだな……」


「わざと言ってるの。でも、実際、信一がいつも私の初めてだったもの。ずっと一緒にいたから、初めて友達になったのも、信一だったし」


「まあ、俺も真帆乃が初めての友達だったね」


「そっか……」


 真帆乃の声は、ちょっと幸せそうだった。

 なんとなく照れてしまう。


「初めて裸を見られたのも、信一ってわけ」


 真帆乃がいたずらっぽい、甘えるような声で言った。

 信一は動揺してしまう。そう。真帆乃の裸を見てしまった。同居すれば、こんな事故もまた起こるかもしれない……。


「信一、照れているでしょう?」


 内心を見透かしたように真帆乃は言い、くすくすっと笑う。


「扉を開けて、信一の赤い顔を見てみたいな。照れてる表情、絶対に可愛いと思うし」


「26歳の男に『可愛い』はないんじゃない?」


「あら、私だって26歳だもの。いいんじゃない? ね、扉ちょっと開けてみよっか?」


「扉を開けたら困るのは真帆乃じゃない?」


「私は困らないわ。だって、信一なら見られても平気だって、さっき言ったでしょう?」


「そうやって挑発して、本当に俺が開けたらどうするのさ?」


「だから、いいって言っているでしょう? むしろ……嬉しいぐらいだし……」


「へ?」


 真帆乃がガチャっと浴室の半透明の扉を開ける。信一は慌てた。心の準備が出来ていない。

 けれど、扉は途中で止まった。そして、半開きの扉から、ひょこっと真帆乃が顔を覗かせた。


 にやっと真帆乃が笑う。


「私の裸が見られると思った? 残念でした」


「見たいとは言ってないよ」


「さっきはエッチな目で私のこと、見ていたくせに。正直に言いなさいよ」


「じゃあ、正直に言うけど、その姿でも十分にエロいからね?」


「へっ!? で、でも、身体のほとんどは隠れているし……」


 真帆乃がびっくりしたように目を開く。どうやら無自覚らしい。

 信一はため息をついた。


「肩も胸元も見えているし、濡れた髪もエロいし……」


「そ、そんなこと……」


「そんなことあるんだよ」


 真帆乃は急に恥ずかしくなってきたのか、顔を引っ込めてしまう。


(本当に男慣れしていないんだな……)


 信一は微笑ましく思って、くすりと笑う。


「こうしていると、真帆乃が俺よりずっと偉い警視様だなんて、思えないな」


 冗談のつもりだったのだが、真帆乃は黙ってしまった。心配になるぐらい、間を置いたあと、真帆乃が口を開く。

 

「……実際、私は偉くなんかないわ。仕事していなければ、肩書がなければ、あなたと同い年の普通の女よ」


「でも、真帆乃は努力してきた。東大に入って、人気官庁の警察庁の面接に受かるなんて、誰にでもできることじゃない」


「そうかしら? 他に優秀な人はたくさんいる。官僚はね、いくらでも代わりのいる存在なの」


「現場の刑事だって同じだ」


「ううん、それは違うと思うの。目の前の困っている人間を救えるのは、あなたたち刑事だけ。今日だって、信一は私を助けてくれた」


 真帆乃が柔らかい声で言う。

 その言葉に、信一は少し動揺する。真帆乃より、信一に価値があるなんて、そんなわけない。


 道行く十人に聞けば、十人が真帆乃を高く評価し、信一を下に見るだろう。 

 だけど、真帆乃は違うと言う。


「ねえ、信一。ここにいてくれる?」


「え?」


「虫がまた出たら怖いから。ダメ?」


 甘えるように言われて、信一は「わかったよ」と自然に返す。

 すると、真帆乃がふふっと嬉しそうに笑う声が、扉越しに聞こえた。


 信一は、風呂場の扉にもたれかかり、その場に座り込む。

 いったい、自分は何をやっているのだろうか?


 さっさとこの場を離れ、この家を立ち去ることもできた。あるいは風呂場の扉を開けて、裸の真帆乃を抱きしめることだって、やろうと思えばできたはずだ。


 だけど、そのどちらも信一は選べず、膝をかかえていた。

 真帆乃は警視庁捜査一課の管理官。普段は優秀で颯爽とした雰囲気で、年上の部下に命令を出している。


 そんな真帆乃がこんなふうに甘えるのは、自分だけだ。

 そのことは、信一には麻薬のような魅力があった。


 真帆乃にとって自分はどんな存在なのだろう? あるいは、信一にとって真帆乃はどんな意味を持つのだろう?


 それがわからないから、信一はここで座っている。


 真帆乃のシャワーの音が、信一の思考を中断させた。正直に言えば、さっきまでは真帆乃の裸を見て、平静な心ではいられなかった。


 でも、今は少し冷静になって……。


(仕事で疲れて、帰り道で真帆乃と会って……少し眠いな)


 もう時計の針は十二時半を回ってる。明日は休日だし、焦ることはない。

 ただ、眠いのは眠いのだ。


 そして、眠いだけではなくて、不思議な充実感があって、安心したような心地よい感覚を覚える。

 それは、きっと幼馴染の真帆乃が近くにいるからだ。


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