第95話 全ロネ連です!

 冬の浅草の冷たい風が窓から吹き込み黒乃の肌を冷やした。黒乃はボロアパートの部屋の床に座り込み股割りをしていた。


「よいしょよいしょ。だいぶ絞れてきたな」


 黒乃山から黒乃へと遷移している過程である。パツンパツンにはち切れそうだった白ティーが風になびく程度の余裕ができてきている。

 黒乃は立ち上がり窓の外を眺めた。朝から出かけたきり昼を過ぎてもメル子は帰ってこない。そっと窓を閉めた。その瞬間玄関の扉が開いたので黒乃はビクンと震えた。


「ただいま戻りました、ご主人様」

「おかえり。長かったね。お腹減ったよ」


 メル子はニヤニヤしながら部屋に上がってきた。手には単行本サイズのケースのようなものを持っている。早速紅茶を淹れる準備を始めた。それを見て黒乃はテーブルについた。


「どしたのメル子? なんか嬉しい事でもあったの?」

「わかりますか!」メル子は茶葉をティーポットにサラサラと流し込む。

「わかるよそりゃ」


 メル子は懐から一枚のカードを取り出し机の上に置いた。黒乃はそれを取りまじまじと見つめた。


「『全日本ロボット猫連合協会 会員資格証』? なにこれ?」

「ようやく『全ロネ連』の資格が取れたのですよ!」

「全ロ……え!?」


 メル子は自慢げに腰に手を当て威張った。


「全ロネ連の会員資格は中々取得できない事で有名なのですよ」

「全ネロ……あれ!?」

「資格試験の定員が少ないから受験受付も予約制ですし、合格してからも交付までにとても時間がかかります」

「じぇんロネ……なんで!?」

「全国のロボット憧れの資格なのです。頑張って勉強した甲斐がありました」

「全りょれ……うそ!?」


 メル子は机をバンと叩いた。


「ちょっとご主人様! 聞いていますか!」

「うわあ! びっくりした」

「何をブツブツと言っていますか」

「いやだって、これ言えなくて」

「全ロネ連の事ですか?」

 

 メル子は訝しい顔で黒乃を見た。


「それそれ、全ロレネン……あれ? よくそんなスムーズに言えるね。十回言ってみて」

「全ロネ連、全ロネ連、全ロネ連、全ロネ連、全ロネ連、全ロネ連、全ロネ連、全ロネ連、全ロネ連、全ロネ連」

「ええ!? すご。これロボットにしか発音できない単語だったりしない? 人間には言えない言葉なのでは」

「声優さんなら余裕ですよ。そんな事はどうでもいいのですよ!」


 メル子は再び机を叩いた。


「お昼を食べたら早速行きますよ」

「行くってどこへ行くのさ」

「ロボット猫ちゃんを探しにですよ!」

「ええ?」


 

 黒乃とメル子は浅草の町を歩いている。冬の乾いた風が二人を煽る。コートを着込んだ人々が黒乃達とすれ違った。その中で黒乃は白ティーにペラペラのパーカーを羽織っているだけだ。まだ脂肪が多いので寒くないようだ。

 メル子はいつも通りの緑の和風メイド服だ。


「んで、なんでロボット猫を探すのさ」

「それが全ロネ連のお仕事だからです」


 全日本ロボット猫連合協会はロボット猫の管理をする組織である。ロボット猫のデータベース作成や保護が主な活動である。

 近年起きたロボット猫ブームの影響で捨てロボット猫が大量に発生してしまった。彼らを保護、管理するのが会員の役目だ。


「浅草にもたくさん野良ロボット猫ちゃんがいますので、今日は彼らを探してデータベースに登録します」

「ほえー、捕まえなくていいの?」

「安全に暮らしているのなら捕まえません。ロボット猫は繁殖をしませんので社会に与える影響は少ないのです」


 二人は隅田川沿いに来た。大抵橋の下にロボット猫がいる事が多い。見ると早速ロボット猫を発見した。小さな体で足が短いマンチカンという品種だ。二匹のペアでいる。


「ではご主人様。捕まえてください」

「捕まえるの!? なんで!?」

「IDをスキャンして全ロネ連のデータベースに登録をしますので」


 新ロボット法では全てのロボットにユニークIDが振られている。そのIDを政府のデータベースに照会し、野良ロボット猫として全ロネ連のデータベースに登録し直すのだ。

 

「よっしよっし、任せとけ。浅草場所準優勝の怒涛の追い込みを見せてやる」


 黒乃は全力で走り回ってロボット猫達を追いかけ回した。しかし足の短さには似合わない運動性能で逃げられ、捕まえる事はできなかった。


「もきゅー! もきゅー! おかしいでふ、こんなはじゅでは、もきゅー!」

「仕方がないですね。餌で釣りましょう」


 メル子はスティック状の袋の封を切った。その瞬間二匹のロボット猫達が飛びつくようにメル子に群がった。


「何それ!?」

「ロボチュールのナノマシン入りマグロ味です。ロボット猫ちゃんはロボチュールが大好物なのですよ」

「じゃあ最初から使って!」

「中毒性が高いのでおいそれとは使えません」


 メル子はロボチュールをペロペロと舐めるロボット猫を抱き上げると首の後ろにあるIDをスキャンした。目で見るだけでスキャンが可能だ。


「これで登録は完了です。故障がないか検査をしましょう」


 腰に下げたポーチから単行本サイズのケースのようなものを取り出した。そこから生えているプラグを伸ばし、ロボット猫の首の後ろのソケットに差し込んだ。


「あ、それメンテナンスキットなんだ」

「そうです。ロボット猫ちゃん用のものです」


 ケースの表面はディスプレイになっていて検査結果が表示されている。全てA判定だ。


「問題なさそうですね」

「良かった〜」


 メル子はロボット猫を優しく撫でた。その手をペロペロと舐め返してくる。


「ピピピー! コラコラコラー! そこで何をしているかー! ピピピー!」

「やべ! ロボマッポだ!」

「猫を追いかけ回している不審者がいるとの通報があったー! 君たちかー!?」


 メル子は全ロネ連の会員証を高々と掲げた。太陽の光を受けてカードが光り輝いている。


「ハッ! そのカードは!? お勤めご苦労様です! 失礼しましたー!」ロボマッポは敬礼をして帰って行った。


「やった! 初めてロボマッポに勝った!」

「別に戦いではないです」


 二人はそのまま隅田川を遡った。やはり橋の下付近に猫が集まっている事が多いようだ。


「ここは……ロボット猫ちゃんが二匹と生猫なまねこちゃんが二匹の大所帯ですね」

「ロボットと生で仲良く暮らしているのか」


 先程と同じようにロボチュールを使いロボット猫をおびき寄せて登録と検査を終えた。


「ねえ、メル子。こっちの生猫はどうするのさ」

「……どうもしません」


 メル子は生猫を抱っこして毛皮を撫でた。


「全ロネ連の管轄はロボット猫ちゃんだけです。生猫ちゃんはまた別の組織が管理をしています。だから手出しをしない方がいいのです」

「そうなんだ。なんでわざわざ組織を分けてるんだろうね?」

「……なぜでしょうね」


 二人は隅田川を更に遡り隅田公園までやってきた。公園内には野良猫があちこちに隠れている。

 グレーの毛並みの大きいロボット猫がベンチで昼寝をしていた。


「お、チャーリーだ。おーい! チャーリー!」


 名前を呼ばれるとチャーリーは顔を上げてキョロキョロした。黒乃達を見つけると眠そうな足取りで近づいてきた。黒乃はチャーリーを掴んで持ち上げた。


「おいチャーリー、大人しくしろよ。データベースに登録するからな。こいつは呼べば来るからロボチュールいらないな」


 チャーリーは爪で黒乃の手を引っ掻いた。


「イテッ! チャーリー貴様ーッ! こいつ全然懐かないな」


 チャーリーはメル子の方にすり寄ると「ニャー」と甘い声で甘えた。

 メル子はチャーリーを抱きかかえてプラグを差し込んだ。


「ハァハァ、いつか月面に送り返してやるから覚悟しろよ」

「結果が出ました。判定Cが一つありますね。体内のナノマシンが不足しているようです」

「しょうがないな。ほらチャーリー、ロボチュール食え!」


 黒乃はロボチュールの封を切った。しゃがんでチャーリーの前に差し出す。しかしチャーリーは黒乃の手に頭突きをするばかりだ。


「何をしているのでしょう?」

「んん? なになに? 勝手に食うから地面に置け?」

「ニャー」

「貴様ーッ! 私から直に食うのは嫌だというかーッ!」

「ご主人様、落ち着いてください」


 黒乃達は隅田公園を探し回り、一通りの登録を済ませた。


「ふいー、疲れた〜。日も落ちてきたし今日はそろそろ帰ろうか?」

「そうですね」


 その時チャーリーがニャーニャーと騒がしく鳴き出した。


「どしたチャーリー?」


 チャーリーは隅田公園の真ん中に架かっている言問橋ことといばしに向かって走り出した。


「何かあるのでしょうか?」

「行ってみよう」


 橋の上に登ると一匹の小さい猫がいた。かなり汚れており、やつれているようにも見える。歩道をよたよたと歩いている。雑種のようだ。


「この子は生猫ちゃんですね」メル子はしゃがんで子猫を抱き上げた。子猫はニャーニャーとか細い声で鳴いている。


「メル子、その子どうするの?」黒乃は心配そうに聞いた。

「……どうもしませんよ。生猫ちゃんなので」メル子は悲しそうな顔で答えた。

「動物の保護って名目なら生猫でも助けていいんじゃない?」

「保護したとしてもうちでは飼えませんし、施設に預けるのが幸せかどうかもわかりません。それにこういう子は他にもたくさんいますので、きりがないです」

 

 黒乃もしゃがむとメル子の頭を撫でた。メル子が黒乃に注意を向けた瞬間急に子猫が暴れてメル子の腕からすり抜けた。ガードレールの下を潜り車道に出てしまった。


「猫ちゃん!」

「危ない!」


 そこにロボットタクシーが迫ってきた。二人は咄嗟の事に硬直してしまった。しかしチャーリーが素早く動いた。ガードレールの上を飛び越えて車道に着地した。子猫を口に咥えてブンと頭を振って歩道に向けて投げ飛ばした。


「チャーリー!」

「チャーリー!」


 そしてチャーリーは車道の上に倒れた。黒乃とメル子はその様子をスローモーションのように眺めるしかなかった。

 ロボットタクシーはかもしれない運転を実践しており、猫が車道に飛び出してくるかもしれない事を予測していたので徐行運転をしていた。その為ロボットタクシーは普通にチャーリーの手前でピタリと止まった。


「あ、すんません」黒乃は倒れたチャーリーを持ち上げ歩道に戻してロボットタクシーに礼を言った。

 

「こらチャーリー、死んでないから起きろ」黒乃はチャーリーのほっぺをペシペシ叩いた。チャーリーはむくりと起き上がると手を頭の上に置いてぺろっと舌を出した。


「テヘッ、じゃないわ!」


 子猫は言問橋を降りて隅田公園の茂みの中に走っていった。


「あの子は大丈夫そうですね。でもチャーリー、カッコよかったですよ!」


 メル子はチャーリーの頭を撫でた。

 

「ロボット猫が生猫を助けるなんてなあ。偉いぞ」


 黒乃も頭を撫でようとしたが尻尾でペシっとはたかれた。


「チャーリー、貴様ーッ!」

「うふふ」

「どした?」

「チャーリーにとってはロボットも生も関係がないのですね」

「んん? まあそうね」

「うふふ」


 白ティーおさげ丸メガネのお姉さんと金髪メイドロボとでかいロボット猫は言問橋の上から沈む夕日を眺めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る