もういいよ(2)

 地中を走った光。アイズにだけそれが見えた。

「後方にも警戒しろ!」

「えっ!?」

 言うが早いか背後からも魔獣が大量に出現する。地中を伸びる植物の根から根へと伝わり背後へ回り込んだ最初の粘液型魔獣がまたしても木々を魔獣化させたのだ。

 前方に敵、後方にも敵。ブレイブ達と連携して挟撃するつもりが、逆に孤立した状態で挟まれる形になってしまった。しかも粘液型はさらに別の方向へ移動しようとしている。今度こそ見咎めたアイズは素早く指示を出した。

「インパクト! 右後方の地面を叩け!」

「! はいっ!」

 理由は知らずとも、アイズが言うなら意味はある。そう信じた彼が命令通り地面に衝撃波を叩き込むと、その場所から粘液がわずかに噴き出した。

「そこだ!」

 素早く走り込み、ひび割れた地面に剣を突き立てるアイズ。インパクトの攻撃でダメージを受け一時的に動けなくなっていた粘液型魔獣の核を破壊し、活動を停止させた。これで今以上に魔獣が増える心配は無い。

 そして今度こそ追撃を再開する。

「陣形を組み直せ! 私が先頭に立つ、遅れずについて来い! エアーズ達と合流するぞ!」

 鬼気迫る表情で敵を蹴散らし突き進むアイズ。そのままどんどん加速していく。あまりの速さに追いかける部下達が置いて行かれそうだ。

「副長! 先行しすぎです!」

「少しペースを落として! クラリオはまだ遠いんですよ!」

「出来ん!」

 急げば間に合うかもしれない。クラリオに辿り着かれてしまう前に追いつき、捕捉することさえできれば街に被害を出さずに済むのだ。シエナの時のようなことは二度とさせてはならない。

(そうだ、クラリオはまだ無事か?)

 もしや、もう攻撃を受けているのでは――そう危惧したアイズがクラリオの方向を透視しようと試みた瞬間、またしても大量の魔獣が前方に出現する。

「なっ……!」

 粘液型だ。さっき倒したのと同じものが周囲に数体。地中を素早く動き回っていて簡単には捉えられそうにない。

 しかも、さらに予想外の攻撃が彼女の頭上に振り注ぐ。聴力に優れた天士ソナーが最初にそれに気が付き警告した。


「上から来ます! 回避を!」

「なん、だと――」


 落ちて来る。巨大な構造物の一部が、クラリオまでまだ数十キロあるこの場所に。

 見上げた彼女は、それがなんなのかすぐに理解した。

 いつも見上げていた、あの尖塔の一部だと。




 ――それはアイズ達が偽りの『アイリス』に追いつく直前のこと。クラリオの中心に位置する城で少女が一人、熱心に食堂のテーブルを磨いていた。いつも彼女と友人が一緒に食事をしていた席である。

「お嬢、今日も熱心だな」

 声をかけたのはウォールアクス。天遣騎士団で一・二を争う巨漢。

 少女は彼を見上げ、ニッと嬉しそうな笑みを浮かべた。

「アイズが帰って来たら、ピカピカのテーブルでごはんを食べて欲しいもん」

「はは、副長が聞いたら喜ぶぞ」

「うん!」

 だから毎日こうして磨き続けている。

「三月だし、もうすぐ帰って来るんだよね?」

「ああ、そう聞いてる」

 すでにすぐ近くまで来ているとアクスは知っていたが、そこまでは教えない。アイリスを追って来た結果だと知られれば余計な不安を与えてしまう。もちろん他の市民にも秘密のまま。

 心苦しくはある。特にこの少女と、妻となるのが決まった女性にまで嘘をつくのは。だとしてもやはり言うべきではないと思う。命令に逆らうことにもなる以上、なおさら。

「アイズが帰って来たら、アクスとフィノアさんも結婚できるね」

「そうだな、まさか本当に許可してもらえるとは……だんだん実感が湧いて来たぜ」

「結婚すると天士じゃなくなるんだっけ?」

「ああ、神から賜った加護を失う代わり人間にしてもらえるらしい。驚いたけど、ちゃんと前例もあるんだってよ」

「ゼンレイ?」

「前にも同じことがあったってことだ。ほら、天士と人間の恋物語とかあるだろ。団長曰く一部は実話なんだそうだ」

「ふむふむ、だったら安心だね」

「はは、安心させるのは俺の方さ。人間になってもバリバリ働いて女房に苦労かけねえようにせんとな」

「そのうち子供もできるだろうしね」

「い、いや、そういうのはまだはええって。たしかに、いつかは欲しいけどよ……」

「がんばってアクス」

「そうする、ありがとなお嬢。まあ、その前にもう一頑張りするかもしれんが……」

「?」

 口を滑らせた彼は慌てて目を逸らし、踵を返す。

「なんでもねえ。さて、そろそろフィノアさんとこに行ってくる」

「見回り?」

「違うが、もうすぐ夜だろ。心配だから家まで送るのさ」

 なるほどと頷いて見送るリリティア。そして、夕飯まではまだ時間があるし自分達の部屋も掃除しておこうとモップとバケツを手に持った。


 長い螺旋階段を上がり、重い鉄の扉の前で足を止める。

 そこでふと、あれと首を傾げる彼女。


(私、部屋に戻ろうとしてたんじゃなかった?)

 なのに何故、団長執務室の前にいるのだろう? よくわからないまま勝手に手が動き、重い鉄の扉をノックしてしまう。

(また記憶障害かも……ほとんど治ったと思ってたのに。皆に心配かけちゃうし、早く良くなってくれないかな……)

 落ち込みつつドアをノック。すぐに反応が帰って来た。部屋の主は在室中。

『なんだ?』

「団長さん、リリティアです」

『リリティア? 一人で来たのか?』

「はい」

『どうした? ちょっと待ってろ、今開けてやる』

 扉の向こうで立ち上がる気配。

 けれどリリティアは――


 自力で扉を開いた。


「!」

「……ふふ」

 大きく口角を持ち上げ、三日月のような形に笑みを作る少女。

 リリティアの時間と意識は、ここで再び途切れた。




 そう、もうおしまい。人形遊びは一旦終わり。

 ここからは自分の時間。少女は凄絶な憎悪と愉悦が入り混じった目で男を見据える。

 まだ机の向こうにいる彼は、その一瞬で何が起きたか把握した。

「アイ、リス……」

「その通り、私が最後の七人目。けれど本当の名――あッ!?」

 名乗ろうとした瞬間、喉に投げナイフが突き刺さった。はじめから投擲用に作られたそれは有無を言わさず彼女の言葉を遮る。

 しかも、それで終わりでは無かった。さらに大きな机が宙を舞って彼女に襲いかかる。反射的に殴り飛ばして粉々に粉砕。見た目にそぐわぬその怪力を確認するまでもなく、砕けた机の陰から刃振り下ろすブレイブ。

「すまん!」

「ぐうっ!?」

 一刀両断。長剣はものの見事に少女の肉体を袈裟斬りにした。鉄の刃が心臓を捉え、その内部にある魔素結晶をも切断したのである。


 いや、したはずだった。


 だが倒れない。少女はその場に立ったまま憐れみの目をブレイブに向ける。

 喉からナイフを引き抜くと、そこには傷一つ付いていなかった。

「無駄よ」

 直前までリリティア・ナストラージェだったはずの彼女は、全く別人にしか見えない表情で天士の無力を嘲る。そして言い放った。

「深度が足りない」

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