三章・長い夜へ

南の天士

 クラリオからは時々手紙が届く。伝令として戻ったトークエアーズとクラウドキッカーが土産に持ち帰るのだ。

 残る二人のアイリスを捜すため遠征に出て二ヶ月――アイズは今、クラリオから最も遠い南方の国クシャニブラに滞在している。年間を通して高温多湿な環境が保たれているこの地では獣も虫も人々の生活の様相も北の大地とは全く違う。道行く人間の多くは木綿で作った通気性の良い衣服を着ており、上流階級の場合には素材が絹に変わる。肌の露出を好まないのは日差しが強いことと蚊が多いせいだろう。奴等は危険な病を運んで来る。

「副長、またお手紙ですよ」

「ああ、ありがとう」

 今しがた二時間の睡眠を終えて目覚めたばかりのアイズは、鎧下着のまま補佐役のエアーズから封筒を受け取った。天士ギミックは暑さにも寒さにも強い。しかも虫が近寄って来ないので、大陸のどこにいても平然と同じ格好で過ごせる。

 窓辺の椅子に座った彼女は手紙を取り出し、射し込む陽光でそれを照らした。そして拙い筆跡と文体で綴られた文面に優しい眼差しで目を通す。

 だが、途中で何か引っかかりを覚えたらしく、エアーズに訊ねる。

「雪遊びとはなんだ?」

「雪を使って行う遊戯全般です。たとえば雪合戦とか」

「合戦? 戦争をするのか?」

「他愛ない子供の遊びですよ。雪を丸めて作った玉をぶつけ合うのです。勝敗も特に関係無いようでした」

 口ぶりからして、部下はその『雪合戦』とやらを経験したらしい。視線から彼女の思考を察した彼は苦笑と共に頷く。

「雪遊びを全く知らない我々にリリティアが教授してくれたのです。先にアクス達が教わっていたところへ、何が起きているのかと思った私が声をかけてしまいまして……」

「つまり、お前もやったんだな」

「はい」

「そうか……」

 しばしの沈黙。気まずさを感じたエアーズが先に口を開く。

「ふ、副長に会いたがっていましたよ」

「そうか」

 ようやく口角を上げるアイズ。エアーズもホッとした。

(気難しくなられた……)

 まさかアイズに嫉妬される時が来るとは思わなかった。普段の彼女は以前とあまり変わりないのだが、リリティアが絡んだ時だけ明らかに感情が豊かになる。その事実こそ彼にとっては妬ましいのだが。

 ほどなくして手紙を読み終えたアイズは立ち上がり、甲冑を身に着け始める。エアーズは素早く手伝いに回った。これらは一人だと装着しにくい。できなくもないが協力した方が早く済む。

「今日は例の村に?」

「ああ、魔獣トーイがいるのは事実だ。この目で見た」

「了解です」

 これから移動する先は南へさらに二十キロほど進んだ地。それだけ距離があってもアイズの両目は標的の姿を捉えられる。

「基本的に日中は洞窟の中だ。夜行性のようだから到着まで新たな被害は出ないだろう。だが洞窟の内部は見通せない。どうなっているかわからんぞ」

「はい」

 例の『魔素まそ』が彼女の力に干渉している。ならば、そこにアイリスがいる可能性は高い。

 現在、大陸各地で魔獣被害が相次いでいる。北部のそれは帝国軍が兵器として飼いならしていたものの生き残りかもしれないが、彼等は南部まで侵攻できなかったので、この地域にいる分は七人のアイリスの誰かが生み出したものだと思われる。

 問題は彼女達の目的と、まだそこにアイリス自身がいるかどうかだ。最初の一人のように本気で姿を隠されてしまうとアイズでさえ発見は困難になる。

 だが勝算はあると彼女自身はそう確信していた。以前この手で倒した二人のアイリスが共に自分を標的にしていたことが、その理由。何故かわからないが彼女は錬金術により異形と化した少女達に執着されている。残り二人もそうであるなら、いずれ向こうから接触して来るはずだ。

「見つけ出して、終わらせてやろう」

「はい……」

 少女達は苦しんでいる。化け物にされ、居場所を失い、絶望して死に場所を求めている。それを与えてやるのが天士の、そして自分の使命だと今は思っている。エアーズ達もまたアイズから話を聞いたことで同じ目的意識を抱いていた。

 残り二人の名はなんだろう? 前回倒した少女の名を聞きそびれたことで、彼女は未だに悔やみ続けている。名を知って、その上で悼んでやりたかった。

 さっき読んだ手紙のことも思い出す。アイズ、アイズ、アイズ――何度も自分の名前が書かれていた。それを読むたびに、この名を呼ぶ少女の声が脳裏に蘇る。

(リリティア……)

 力を使えば、ここからでも彼女を見ることはできる。しかし、そうはしない。今すぐに帰りたくなってしまうだろうから。

 生まれて初めて大切だと思えた存在。彼女のためにも早く終わらせたい。一刻も早くクラリオへ戻って抱きしめたい。だから意識的にクラリオは見ないようにしている、使命を果たすまでは。

 身支度を整えて宿として提供された建物から外へ出ると、分隊の部下達はすでに整列して待っていた。

「おはようございます、アイズ副長!」

「おはよう」

 全員を代表して敬礼したのは天士ライトレイル。癖の強い金髪のその前髪を左右に一房ずつ垂らしており、太い眉の下には意志の強そうな眼差しを据える長身の青年。

 だが、そう見えたのは一瞬だけで、すぐにへらりと軽薄な笑みを浮かべた。

「今日もお美しいっ」

「そうか」

 地上に降臨してから一年半が経過し、天士達はそれぞれが精神的な成長を遂げて個性を獲得した。この男は生まれつきの容姿に反し、女好きで軽佻浮薄な性格になってしまったのである。

 だが戦闘ではブレイブ、アイズ、ノウブルの三大戦力に次ぐ実力。頭が切れ策士としての一面もあり、なおかつ仲間意識が強い。そのため周囲からは信頼されていて、この分隊の元々の指揮官も任されていた。アイズが合流した今は序列の関係でその座を譲っているが、そうでなければこの場で最上位の天士だと言える。

 それでもやはり軟派な性格。絶世の美女アイズが眼前に立つと理性のタガを緩めてしまうらしい。今日もまた規律を忘れてずいっと近付いて来る。

「さあ、ご命令を! その涼やかなお声で! なんなりと、この犬めにお申し付けください!」

「お前は天士だろう……?」

「犬でけっこうです! あなた様の忠犬と思っていただければ!」

「いや、天士は天士のはずだ」

「ああ~無垢でいらっしゃる! いつまでもそのままでいてほしいっ! しかし、そんなあなたをオレ色に染めたいという欲望もふつふつと……」

「いい加減にしろ!」

「この色魔!」

「ぐえっ!?」

 左右から同時に後頭部と背中を叩かれ、ライトレイルは潰れたカエルのような悲鳴を上げた。

「いってえな、何しやがる!?」

「こっちのセリフだ! 副長がドン引きしておられるとわからんのかお前!? 住民達にも白い目で見られとるだろうが!」

 と、彼を叱りつけたのは補佐役の天士フェアウェル。細い眉の下に常に眠たげな目を据えた細身の男だ。こちらは一見気だるげな容貌に反し、常に真面目で考え方も堅い。

 ちなみにライトレイルに攻撃したもう一人はエアーズである。が、そのエアーズの方は無視してフェアウェルに食ってかかる彼。

「んなこたあねえよ! ほら見ろ、あそこにいるエリィちゃん! こっち見て笑ってる! は~い、今夜どう?」

「いいよ~」

 現地民の若い女が本当に笑顔で手を振り返して来た。人間と天士が夜に二人で何をすると言うのだろう?

「見ろ! この顔はな、女の子にゃ魅力的なんだよ!」

「だからって副長にまでコナをかけるな! いいかげん首を切られても知らんぞ!」

「そんなことしませんよね副長? ねっ?」

「まあ、しないが……」

 この理解しがたい会話はいつまで続くのかと戸惑うアイズ。いいかげん出発したい。

 そんな彼女に他の天士達が次々と提案する。

「副長、もう行きましょう」

「こいつらのケンカに付き合ってると日が暮れます」

「早く魔獣を退治しないと」

「そうだな」

 その方が合理的だ。さっさと出発してしまえば二人も勝手について来るはず。そう判断した彼女は愛馬ウルジンに跨る。

 案の定、仲間達が次々に騎乗したのを見て、いがみ合っていた二人も慌てて自分の馬に乗った。

「カタブツ!」

「軟派野郎!」

 出発後も馬上で口論を続ける二人。仲が悪いようにしか見えないのに、分隊の面々いわく現在の彼等は『相棒』や『親友』と呼ぶべき関係だという。見た目だけではわからないこともこの世にはあるらしい。

「相棒……親友……」

 誰にも聞こえないほど小さな声で二つの言葉を囁いてみる彼女。

 自分とリリティアの関係はそのどちらなのだろう? どちらも近くて、それでいて少し違う気がする。もっと近しい存在ではないかと。

 あるいは、そうなりたいと願っているのかもしれない。よく晴れた空、高温多湿の国の熱帯雨林の中を進みつつ彼女はそんな思索に耽った。

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