キャンプ前日
早朝、まだ明けきっていない空は暗く、ジム内を蛍光灯の薄いブルーの光が照らしていた。
俺は今、日向ジムの先輩である早川さんの最終調整に付き合っている。
コーチに内緒で週三日行われていた実戦形式での調整も今日で最後。
明日から、俺がオリエンテーションキャンプへ行っている間に早川さんの大事な試合が行われる。
早川さんには絶対勝って日本タイトルの挑戦権を掴んで欲しい。
俺も気合いを入れてスパーリングパートナーを務めていた。
「シッ!シッシッ!!」
既に第四ラウンド終盤。
ラウンド毎に調子を上げて来る早川さんの攻撃を足を使ってかわしながら死角へ回り込む。
堅固なガードの隙間を抉るように左ボディー、右ショートフックを繰り出した。
その後、高速の左フックが早川さんの顔面を捉えた所でラウンド終了のブザー音が鳴り響いた。
「遥、お疲れ!それからありがとな!」
「いえ、俺も勉強させていただきました!!あと試合の応援に行けなくて残念です。でも、早川さんなら絶対勝つと思っているので!」
「ハハッ!遥に期待されてるなら、絶対勝たなきゃだよな。それよりお前、また強くなったんじゃないか?最後の左フックとか狙いがドンピシャだったんだが……高校生が小技織り混ぜて、本気でプロを倒しにくんじゃねぇよ!マジで焦ったわ」
早川さんはそう言うと俺の肩をポンッと叩いた。
「左フックくらいで倒せる相手ならよかったんですけど」
「おいっ!やっぱり俺を倒す気だったんじゃねぇか!一応、俺は試合前だぞ?この可愛くない後輩めっ」
俺の頭をグリグリ撫で回しながら、早川さんは言葉とは裏腹に楽しそうに笑っていた。
だけど、目の瞳孔が開いている。
こ、怖ぇぇぇぇ。
俺の登校時間が迫っていなければ「もう一ラウンドやるぞ!」とか言い出しそうな雰囲気だった。
バトルジャンキーだな、と思う。
まあ、日向ジムの人達は大体そうだけど。
「それよりあの赤ジャージ、ついに来なくなったわ」
「えっ?じゃあ会長は?」
「すげー怒ってたわ。なんだかんだで可愛がってたからな。毎回ボコボコにしてたけど……」
「あれは会長の愛情表現っすからね」
「違いない」
そんな会話をしながらシャワーを浴びて制服に着替える。
早川さんとはジムで別れて、俺は駅までの道を歩きながら悠月先輩の青白い横顔を思い出していた。
佐久間がジムへ来なくなったのと悠月先輩が新しい彼氏と付き合い始めた日は近かった。
何か関係はあったりするのだろうか?
今更、俺が心配しても仕方ないのかもしれないけど、なぜか心に留まり続けた。
◇
[春川美雨視点]
キャンプ前日、ダンスレッスンの合間にスマホを開くとE班のグループトークが盛り上がっていた。
美加理ちゃん:ねー自由行動は結局どーすんの?
村正君:そう言えばまだ決めていなかったね。鶴田さんは希望があるのかな?
美加理ちゃん:アタシはみんなでやる系がいーかも。具体的にはなくてごめん〜( ˘ω˘ )
五十嵐さん:ないんかーい。
美加理ちゃん:ナイナイ。いがっちは?
五十嵐さん:…………
美加理ちゃん:メッセージで……を打つ人初めて見たわ。スルーする気満々じゃん。
五十嵐さん:ボッチ女子舐めんな〜自由行動とか一人でいるための免罪符だったから、誰かと一緒に行動するなんて考えられないわよ。
美加理ちゃん:めんざいふ?
五十嵐さん:言い換えると大手を振って孤独を満喫出来たのよ。
長谷君:それわかる。俺は自由行動中、マンガを読むつもり。
美加理ちゃん:…………
五十嵐さん:あなた……早速、使ってるじゃない。
美加理ちゃん:スルーしたい時、マジ使えるわ〜。長谷!アンタがもしもマンガを持って来たら没収するから!みんなで遊ぶの!いーい?おけ?」
長谷君:…………
美加理ちゃん:あっ、長谷がガチで引きこもった。
五十嵐さん:…………
美加理ちゃん:あっ、こっちもじゃん!
陰キャ:お疲れ!今メッセージ読んだよ。
美加理ちゃん:深瀬ぇぇぇぇぇぇ(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾
陰キャ:鶴田さん、大丈夫?
村正君:深瀬君、お疲れさま。深瀬君は何か良い案あるかな?
陰キャ:ここのキャンプ場内にアスレチック施設があるみたいで行きたいなと思ってたんだよ。どうかな?
村正君:僕も周辺マップを確認した時に気になっていた施設だ。あそこなら屋根付きの休憩所もあるから、みんな自由に出来ると思う。
美加理ちゃん:いーじゃん!そこ!行こ♡
長谷君:僕も休憩所があるなら行ってもいいかな。
五十嵐さん:みんなが良いなら、私は合わせるわ。
陰キャ:あとは春川さん待ちだね。
そのメッセージを読んで、自然と頬が緩んだ。
私はソッコーで『おけだよ〜。楽しみ♡』と返事を返す。
美加理ちゃんのハートマークに対抗したわけじゃないけど……なんとなく送ってしまってた。
また頬が緩む。
だけど、
「俺……好きな人がいるんだ」
ふいに、陰キャがこの前ファミレスで言っていたことを思い出した。
きっと、志倉絹のことだよね?
そう思いながら、ため息が溢れた。
なに、落ちこんでるんだろう……
自分でも、どうしていいのかわからない気持ちを考えても仕方がないのに。
パシンと両頬を軽く叩いて気持ちをリセットする。
その時だった。
突然、私の所属している芸能プロダクションから電話が掛かってくる。
「春川さんですか?私はDFプロダクションの統括マネージャーをしてる
「は、はい!」
「どうか驚かないで聞いて下さいね。実は以前、表紙を飾っていただいた雑誌を白澤監督が偶然ご覧になりまして、次の作品に是非春川さんを抜擢したいとオファーがありました。しかも正式にです」
「ふぇ?あ、あの私……演技なんかしたことないですけど……」
「大丈夫です。その作品というのが……」
その後も東上さんは話を続けていたけど、私は電話の内容に驚きすぎて……しばらく呆然としてしまったのだった。
◇
いつもお読みいただきありがとうございます。
キャンプ前日のお話を追加しました。
今回は稀なほど筆が乗りました(^-^)
次話は美雨さんの切ない恋がついに決着というような展開です。
またご覧いただけますと幸いです。
無題(旧ヤリカノ) まかろに @panyorigohan8
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