シフトレジスタ
[深瀬蒼視点]
中学一年の体育祭、最終種目の男女混合リレー。
第二走者がバトンを落として、他の組から大きく遅れをとっていた三年C組の第三走者は、バトンを受け取ると凄い速さで四人抜きをして、最後はトップにまで詰め寄っていた。
秋晴れの空の下、暴行事件の後、再び学校へ通い出した遥兄を励ますために、滅多に本気を出さない人が本気で走っていた。
走り終わった後、周囲が騒然となる中、その人が俺に向かって手を振っている。
違う…………
俺の隣にいる遥兄に手を振っていた。
その、はにかむ笑顔が眩しくて……
俺は生まれて初めて、何かを欲しいって思った。
それは、一年経った今でも変わらなくて……
数式を解いていると、絹ちゃんがノートを覗き込んでくる。
シャーペンが綺麗な円を描く。
記された箇所が間違えているのだ。
俺は手を止めて考えてみる。
暫くすると答えが見えて来る。
正解の数字に書き換えると、絹ちゃんが微笑んだ。
その後、スマホで時間を確認してから、遥兄の部屋から持ち出した漫画へと視線を落としていた。
その時、美しい黒髪が頬に掛かる。
石鹸の優しい香りがした。
遥兄が帰って来るのを待っているのだろうか?
ずっと、変わらない。
ずっと、この人は綺麗で。
ずっと、俺の手に入らない。
本当に欲しいものは、この手を擦り抜けてしまう。
どうでもいいものは嫌というほど寄って来るのに。
昔から……女子はうるさいくらい構ってくる。
「蒼君、カッコいいよね」
「私、もっと仲良くなりたいな」
「ねぇーねぇーどっか遊びに行こうよー」
「付き合ってよ」
「私ね、蒼君のことが好きなんだけど」
授業中や部活中、休憩時間や具合が悪くて寝ていてもお構いなしで話し掛けてくる。
俺のことを本当に好きな人はこんなことをしない。
心の中でそう思いながら、適当に接して、深く関わらないようにしていた。
それでも、中学一年の夏。
小学校から仲の良かった友達の彼女から告白を受けた。
「はじめて会った時から、ずっと蒼君のことが好きだったの。私と付き合ってよ」
「アイツのことはいいの?」
「私が好きなのは蒼君だから……」
正直、その人の表情や言葉が気持ち悪くて吐きそうになった。
「アンタのことは死んでも嫌かも」
「酷いよ、そんな言い方しなくていいじゃん……蒼君って、冷たいよね。それに何考えてるのか分からないよ」
「言いたいことはそれだけ?じゃあ、俺行くね」
あれから、その子は友達に俺から迫られたと嘘を吐いた。
どうでもよかったから黙っていたら、今でも別れずに付き合っている。
そのまま友達とは話さなくなった。
苦笑するしかない。
「蒼、また間違えてるぞ」
絹ちゃんの声に反応して顔を上げた。
濡れたような瞳に吸い込まれそうになる。
「集中力が切れたかも」
「そうか、少し休むか?」
「そうして貰えると助かります」
「わかった」
静かにそう言うと、絹ちゃんがまた時間を確認する。
「遥兄、遅いね。気になる?」
「そうだな。教室を出たのは深瀬の方が先だったはずだからな」
「深瀬」か……
俺や天、
昔から遥兄だけは呼び方が違う。
きっとそれは、絹ちゃんの中で遥兄が特別だからだと思う。
「彼女といるかもしれないね」
自分でも嫌な奴だと思う。
「そうか……そうかもしれないな」
艶やかな黒髪を耳へと掛けて、絹ちゃんは小さな溜息を溢した。
その僅かに見えた隙に。
気づけば、体が勝手に動いていた。
手首を掴んで床へ押し倒す。
「絹ちゃん……」
「蒼?」
「…………俺にしなよ」
「蒼……離せ……」
「絶対、大切にする」
「…………」
「遥兄じゃなくて俺を見て欲しい」
「…………」
生まれて初めて、心の底から欲しいと思ったから。
だけど……
絹ちゃんの目を見ただけで分かった。
唇を結んだまま、美しい瞳が伏せられる。
ずっと、変わらない。
ずっと、この人は綺麗で。
そして……
部屋の扉をノックする音が聞こえて、遥兄が入ってくる。
ずっと、俺の手に入らない。
「深瀬……」
ずっと、俺以外の人を見てる。
◆
お読みいただきありがとうございます!
これからの展開を深掘りする意味を込めて、一話追加しました。
楽しんでいただければ幸いです。
評価や応援ありがとうございます。
がんばれます(^^)
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