小春日和

 暗い過去の記憶を打ち消すように、授業中は兄貴から教えてもらった、トップアスリートがイメージトレーニングの時に使用する副交感神経を優位にする呼吸方法を繰り返していた。

 その結果、モヤモヤしていた気持ちが凪いで行くのがわかった。


ハルカ……怒りをコントロールしろよ……。いいか?お前はあんな奴と同じ場所へ落ちるな。お前には才能がある。俺はお前が末恐ろしいよ。だから、その才能を絶対に無駄にするなよ!」


 俺が中学二年の時……三年の先輩と暴力沙汰を起こして停学処分を受けた時に兄貴から言われた言葉だった。

 絹ちゃんを執拗に付け回していた先輩でMMA総合格闘技のジムに通っていると言っていたから……俺も手を出してしまった。

 でも、気付いたら先輩を一方的に殴り倒していた。

 結果、兄貴やコーチの信頼を裏切って、そして……絹ちゃんを悲しませてしまった。

 

 顔を上げて、絹ちゃんの背中を見つめる。


 すると……なぜか……

 絹ちゃんの延長上線にいる春川さんと目が合ってしまった。

 春川さんは口パクで「陰キャ、受け取りなさいよ」と言いながら、サッカー選手がサイドチェンジするような鋭いロングパス並の消しゴムが飛んでくる。

 しかし、それは隣席の村正君の机にダイブした。

「村正君に失礼だろ!」と俺が口パクで伝えると春川さんは「ごめんなさい」とシュンとしながら村正君に両手を合わせて謝っていた。

 とは言え、村正君は「最近、深瀬君宛の手紙多いね」と絵本に出てくる白ヤギさんみたいに微笑んでくれた。


 神……


 俺は心がぽかぽか温まるのを感じながら、消しゴムから手紙を取り出す。

 その手紙には春川さんのメッセージアドレスが書かれていた。

 春川さんはドヤ顔をしていたが、俺は見えないように消しゴムへそっと手紙を挟み直すのだった。



 ◆

 


 昼休み、教室の中央では戸村君達の陽キャグループが中間考査の勉強会を誰の家でするかで盛り上がっていた。

 グループの中心には戸村君がいて、爽やかな笑顔を振りまいている。

 本当にさっきの戸村君は俺の夢じゃないのかと思えてきた。

 戸村君の隣では、俺にドヤ顔をしていた春川さんが健気に相槌を打っている。

 しかし、その中に、なぜか久遠さんに腕を組まれた絹ちゃんが渋々参加していた。

 絹ちゃん……

 本当に久遠さんから懐かれてるな、と二人の様子を見ていると和んだ。

 これは村正君効果ヒールエフェクトかもしれない。

 ただ、絹ちゃんは片手に新作ラノベを持っているので話半分で聞いているとは思うけど……

 いや、ほとんど聞いていないかもしれない。

 俺は絹ちゃんの態度に苦笑しながら、財布を持って購買でパンでも買うかと椅子から立ち上がった。

 その時だった。


「深瀬君も購買へ行くの?」


 ちょうど村正君と談笑していた山川さんに声を掛けられる。


 器用に編み込まれた髪。

 銀色フレームの眼鏡は優しい印象の瞳を、知的に見せていた。

 几帳面に着こなしている制服からは一分の隙も見当たらない。

 でも、小学生の時から変わらないポヨポヨとした話し方に癒されてしまう。

 

「今日は朝早かったから弁当無くて。それより、もう体調はいいの?」

「一日休んだから、もう万全だよ。心配してくれてありがとう」

「絹ちゃんも心配してたから」

「そうなの。絹ちゃんたら、クラスの打ち上げを途中で切り上げて私の家に来てくれたんだよ。それに……」

「プリンと桃のゼリー」

「ふふふ、深瀬君も貰った事あるんだ?」

「「熱が出て辛いだろうから」って」

「うん、「これなら食べ易いから」って」


 二人で絹ちゃんの真似をしながら、俺と山川さんは笑い合った。

 村正君はそんな俺達を見て、穏やかに微笑んでいる。

 

「深瀬君、もし良かったら一緒に購買へ行かない?私ね、あまり購買に行った事がなくて……。今は絹ちゃんも手が離せないみたいだし」

「勿論、俺でよければ」

「ありがとう〜」


 山川さんは鞄から財布を取り出すと、村正君に手を振りながら、俺と一緒に教室を出て行く。

 俺は廊下を歩きながら、ふと疑問に思った事を口にした。


「村正君とはよく話すの?」

「ふふっ、深瀬君は絹ちゃんから聞いてない?」

「えっと……何をだろう?」

「小五郎君とは中学の時からお付き合いをしているの。でもクラスの人達には内緒にしておいてね」

 

 そう言って、桜色に頬を染める山川さんは、まるでライトノベルに出てくるヒロインのように綺麗だった。


 しかし、村正君……やっぱり神……

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