初恋

 一限目の終わりを告げるチャイムが鳴った。

 春川さんは泣き腫らした目を指先で隠している。


「最悪なんだけど。今、美雨ミウめっちゃブスでしょ?」


 何を言っても角が立つと思い、言われるまま黙って頷いた。

 

「むきぃぃぃ!陰キャ、そこは『そんなことないよ』でしょ!トム君なら……絶対そう言ってくれるのにー」

「あーはいはい。大丈夫?」


 また泣き出しそうだったので、小さい子供に接するように目線を合わせて頭を撫でる。

 母さんが亡くなってから梅ちゃんが来るまで、働いている兄貴の代わりに蒼や天の面倒を見ていたから自然とそうしてしまった。


「にゃ、何するのよ……陰キャのくせに……」


 春川さんは前髪を整えながら真っ赤になっている。


「み、美雨の全てはトム君に取ってあるんだから……」

「はいはい、わかったから。涙拭こうね」

「むぅー」


 頬を膨らませながらも、目を閉じて顔だけ向けて来る。

 上向きにカールされた睫毛が震える。

 化粧なんてしなくてもいい赤ちゃんのような肌が陽に透けていた。

 バニラとキャラメルを混ぜたような甘い香りがする。

 

「ありがと……」

「腫れは冷やしたらマシになるから。俺も殴られて腫れが引かない時はそうする」

「はあ?殴られたって、あんた誰かにイジメでも受けてんの?誰よ?美雨が怒ってあげるから」


 小さいのに良い子だなと思って、再び頭を撫でる。

 

「あんた……絶対、美雨のことバカにしてるでしょ?もう、いいわよ。ところでスマホを貸しなさいよ」

「いや、普通に嫌だけど」

「はあ?いいから、美雨の連絡先を入れてあげるから貸しなさいよ!」

「いや、いい」


 絶対、ややこしい事に巻き込まれる予感しかしない。

 春川さんの圧倒的、理不尽に必死で抵抗を続けていた、その時だった。


「美雨、大丈夫かっ?貧血で倒れたって嵐から聞いて!」


 保健室のドアを開けて戸村君が入って来た。


「トムきゅん!」


 先程のドスの効いた声から綿菓子のような声に変わる。

 戸村君は心配そうな表情で春川さんに駆け寄った。

 だけど、一瞬……

 こちらに鋭い視線を向けられた気がした。


「確か深瀬君だよね?君が美雨を助けてくれたの?」

「いや、強制的に……痛っ!」


 そこまで言いかけて、春川さんに脛を蹴られた。

 そして、戸村君に見えないように「ヨケイナコトハシャベルナ!」と身振り手振りで訴えかけて来る。

 

 俺が戸村君の質問に黙って頷くと「ありがとう」と眩しいイケメンスマイルを向けられる。

 嘘、でしょ。

 同じイケメン属性でも佐久間とは雲泥の差が有り過ぎる。

 圧倒的な主人公感。

 キラキラが半端ない。

 俺が目をやられていると、戸村君から「あとでちょっといいかな?」と耳打ちされる。

 そのまま春川さんに会釈してから、保健室を出て廊下で待っていると……


「深瀬君、待たせてごめん」


 爽やかイケメンスマイルをまた浴びてしまう。

 

「歩きながら話そうか」

「わかった」


 ゆっくりと歩き出した戸村君に続いて、俺も歩き出した。


「さっきは美雨が巻き込んじゃってごめん!」

「言っている意味がわからないけど」

「そうかな?深瀬君……何か美雨に頼まれたんじゃない?内容はそうだな、俺と志倉さんのことだったりするのかな?」

「…………」

「図星かな?


 急に戸村君の声色が下がって、背中にぞくりと悪寒が走る。


「俺が初恋らしいよ。でも、全然タイプじゃないんだよね。美雨、我儘だし胸もないしさ」


 何の感情もこもっていない声で続けられた言葉に、


 心配していた素振りは嘘だったのかよ……


 春川さんの事が気の毒になって、思わず拳を握り込んだ。


「ところでさ、深瀬君は志倉さんと幼馴染なんだよね?」

「そうだけど」

「そっか、俺と美雨みたいな感じだよね?」


 コイツは何が言いたいのだろう?

 戸村君は立ち止まると、先程までの爽やかさが嘘のように俺を睨みつけて来る。


「本当に美雨って恵まれてるよね。俺と幼馴染なんてさ。だから俺ね、志倉さんが可哀想で仕方がないんだよね。こんな陰キャが幼馴染とか」

「…………」

「それでさ。君、潰すから覚悟しといてね」


 耳打ちされた後に見えた横顔は、クラスで人気者の戸村君からは想像出来ない程、他人を見下したような冷めた表情だった。



 ◆



 教室に戻って自席に着いた。

 絹ちゃんと目が合ったけれど、今は誰とも話したくなくて机の上に突っ伏した。

 すぐに授業が始まったので、教科書を開いて授業に集中する。

 何も考えたくなかった。


 悠月先輩……

 藤間先輩……

 戸村君……


 使い分けた顔を立て続けに見てしまった所為で、俺は酷く混乱していた。


 自分の欲望に正直な……

 佐久間の方がマシに思えて来た。


 手の平に痛みを感じて確認すると、爪が皮膚に食い込んだ痕がある。

 僅かに流れた血が黒く酸化を始めていた。

 爪の手入れをしていなかった俺が悪い。

 

 だけど……


「俺が初恋らしいよ。でも、全然タイプじゃないんだよね。美雨、我儘だし胸もないしさ」


 まるで宝物を眺めるみたいに写真をスクロールしている姿を見たことがあるのだろうか。

 初対面の俺なんかに嫉妬やみっともなく泣き喚いた姿を見られても、真っ直ぐに「好き」を押し通していた姿を見たことがあるのだろうか。

 

 タイプじゃないのはいい。

 好きになれないのならそれでもいいと思う。

 それは個人の自由だから。

 

 ただ……


「美雨、大丈夫かっ?貧血で倒れたって嵐から聞いて!」


 あの時、王子様を見るような純粋な瞳を向けられて……罪悪感を感じなかったのだろうか。


「君、潰すから覚悟しといてね」


 それに……俺はいい……


 でも、もしも……絹ちゃんに……


 そこまで考えて俺は首を左右に振った。

 

 中学の頃、同じような事があった。

 絹ちゃんを執拗に追いかけ回していたタチが悪い先輩を、あの頃の俺は怒りのまま……


 俺は手の平を見つめた。

 

 あの時、泣きながら俺を止める絹ちゃんの姿を思い出した。


「深瀬、やめて!!トオルさんの代わりにプロになって、世界を目指すのが深瀬の夢だろう?……」



 絹ちゃん……



 絹ちゃん……



 君に何かあったら……俺は……


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