二章

ツインテールの天使

 玄関ホールで悠月先輩と別れて、下駄箱で上履きに履き替えて廊下を歩く。


「はぁ」


 思わず溜息が漏れてしまう。

 昨日の悠月先輩との話し合いを思い出したからだ。


「あの日は夜に会う約束をしていたの。だって付き合って二週間も経つのに、遥君……手すら繋いで来なかったでしょう?」


 俺は自分の手を握り込んでから、また開いた。

 手を繋ぐか……

 俺がもっと彼氏らしく出来ていたらよかったのだろうか?

 いや、そもそも俺は誰かと付き合うのが初めてだった。

 もっと悠月先輩の事を知ってから、手を繋いだり、こうハグって言うんですか……そういうのを順番通りにして行くのだと思っていた。

 

「はあ」


 そこまで考えて言い訳ばかりだなと反省する。


「私もそんなに遥君のこと真剣じゃなかったもの」


 二週間前、悠月先輩から告白された時、不覚にも俺はちょっと泣きそうになった。

 悠月先輩はジムで頑張っている俺の姿を見て好きになったと言ってくれたから。

 こんな俺でも真面目に生きていたら、誰かが見てくれていて、それだけではなく好きになってくれた。

 まるで奇跡が起こったみたいで、すげー嬉しかった。

 だから、先輩の言葉を聞いた時は胸が抉られた気分だった。


 開いた手を見つめたまま足が止まってしまう。


 遊園地デートを楽しみにしている先輩。

 梅ちゃんや天と笑っている先輩。

 今朝の屈托のない笑顔を見せる先輩。


 俺は……どれが本当の悠月先輩か分からなくなっていた。


 ネガティブな思考に支配されそうになったので、打ち消すように首を左右に振った。

 そして、ポケットからスマホを取り出す。


『急用のため、クラスの打ち上げに参加出来なくなりました』


『りょ。また明日話そ』


 昨日の久遠さんとのやり取りを見直して気持ちを上げていく。


『また明日話そ』

『また明日話そ』

『また明日話そ』


 脳内で繰り返し再生されていく『また明日話そ』という文字に反応してしまう。

 数多の苦々しい経験からこれが社交辞令だってわかっているけど……嬉しい。

 これって友達とのやり取りみたいだ。

 うん、友達がいたことがないから知らんけど。

 ただ、気持ちが上向きなる。

 少しだけ悠月先輩との事を忘れて、再び歩き始めた時だった。


「ねーそこの陰キャ!ちょっと顔貸しなさいよ」


 俺は意外な人物から呼び止められた。


「春川さん?えっと……俺?」


 返事をしてみたけれど、春川さんとは今まで全く接点がなかったので不安に思い、俺でいいのか確かめる。


「そう、あんたに話があるの!」


 梅ちゃんのようなドスの効いた声。

 普段、ふわふわの綿菓子みたいな声を出している春川さんからは想像が出来ない声だった。

 

「聞こえてんの、陰キャ。美雨ミウを無視すんなし!」

「いや、もうすぐ朝のHRが始まるけど」

「いいから、黙って付いてきなさい!」


 圧倒的、理不尽……

 そう思っていると、春川さんが近寄って来て足をゲシゲシと蹴って来る。

 

「は・や・く!!」

「…………」


 こうして……

 俺は春川美雨に強制的に連行されるのだった。



 ◆



 保健室の窓から、心地良い風が入って来る。

 白いカーテンが膨らんでは、まるで呼吸をするように風を押し返していた。

 いつもはむせ返るような薬品の香りも薄まっている。

 春川さんは保健室のベッドに座って足をブラブラさせていた。

 俺は立ったまま保健室を見渡していると……


「保険医の先生なら来ないわよ。金曜の一限目は会議でいつもいないから。サボってる所は誰にも見られないから安心しなさいよ」

「……わかった。それで俺に用って?」

「そうよ!あんた、あの女をどうにかしなさいよ」

「あの女?」

「志倉絹!あの女、あんたの彼女でしょ?」

「はあ?」

「はあ?じゃないわよ。いつも仲良いじゃない?」


 俺は開いた口が塞がらなかった。

 間抜けな顔で春川さんを見ると、彼女は心底呆れたような顔をしていた。


「嘘でしょ……あれで付き合ってないとか、マジで信じられないんだけど?」

「いやいや、俺達は幼馴染だから仲良く見えるだけだって」

「ふーん。あの女はそんな感じじゃないっぽいけど」


 爪を噛む仕草をしながら、春川さんはブツブツ何かを言っている。


 小さな体と細い首筋。

 上向きにカールされた睫毛。

 西洋人形のような目鼻立ちがくっきりした容姿。

 やや赤みがかったツインテールは、光の加減でオレンジ色にも見えた。

 まるで赤毛の猫みたいだ。

 

「どうでもいいけど、あんたにお願いがあるの」


 急に丁寧な態度になってお辞儀をする春川さんに驚いてしまう。


「お願い?」

「そう、お願い。志倉絹をトム君に近づけないで欲しいの!あの女……カラオケで……トム君の視線を独り占めして……キィぃぃ、許さないんだから!」


 ハンカチがあったら噛み締めているだろう態度に苦笑しながら、絹ちゃんと戸村君の組み合わせを想像してみるが違和感しかない。


「あー信じてないって顔ね。いーい?これを見なさいよ」


 そう言って、春川さんはスマホを取り出すとカラオケでの様子を撮影した写真を見せてくれた。

 

「あの……戸村君ばっかりなんだけど……」

「う、うっさいわね」


 真っ赤になりながら、写真をスクロールしていく。

 お目当ての写真を見つけたのか、春川さんがタップするとお揃いの服を着た絹ちゃんと久遠さんが写っていた。


 トップのざっくりしたスウェットは絹ちゃんが白で久遠さんが黒。

 スキニーとローファーは完全にお揃いだった。

 小物として、絹ちゃんはハットを久遠さんはキャップを被っていた。

 クールなボーイッシュスタイルだけど、二人とも透明感のあるメイクをしていて、男の俺から見ても相当可愛いかった。

 それにしても、絹ちゃんのメイクをしている姿を見るのは兄貴の結婚式以来だ。

 

「嵐ちゃんが、一度家に帰るって言うから何でだろうって思ってたら、二人で双子コーデして現れるし!ねぇ、陰キャ、見た?クッソ可愛いでしょ?めっちゃ尊いでしょ?あー本当に眼福なのよ。何?ハットはこの女の為だけに存在するのって思うでしょ?」


 すげー絹ちゃん、めっちゃ褒められてるけど。


「だから、ずっと……トム君、私じゃなくてあの女見てるし。15分くらい二人で居なくなるし。尾行したのに巻かれるし。私のトム君が……あの女に盗られちゃうじゃん!どうして……陰キャ……あんた打ち上げ来なかったのよ?うわーん!」

 

 突然、ガチ泣きし始めた春川さんの涙にオロオロしながら、持っていたスポーツタオルで涙を拭いていく。


「汗くさーい!」

「ごめん……」

「でも、ありがと……」


 さっきまでの圧倒的、理不尽は鳴りを潜めて、俺の目の前にはただの小学生女子がいた。

 そして、俺は困り果てながら、春川さんが泣き止むまで宥め続けたのだった。



 ◆



 沢山の応援ありがとうございます!

 二章「クラス編」始まりました。

 続きの気になる方は引き続き応援頂けますと、頑張れます。

 どうぞよろしくお願いします。

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