夕暮れる前に

 上履きからスニーカーに履き変えて、玄関ホールへと向かう。

 悠月先輩の姿が見えて駆け寄った。

 

「お待たせしました」

「そんなに待ってないよ」

「それならよかったです」

「うん……」


 あれ……?

 

 違和感を感じて、つい二度見をしてしまう。

 何故なら、いつものエフェクト掛かった笑顔が消えていたからだ。


「どうしたの?」

「い、いえ」

「そっ。じゃあ、帰ろっか」


 傘を差して並んで歩きながら、俺は悠月先輩の横顔を見つめていた。

 顔半分が傘に隠れて表情はよく分からない。


「何?」


 雨の降る音に混じって、悠月先輩らしくない低い声が聞こえてきた。

 

「今日、藤間先輩に話し掛けられました」

「ふ〜ん」

「佐久間にも会いました」

「そう」


 素っ気ない反応だった。


「それで、遥君は私に何を言いたいの?」


 立ち止まって、こちらを向く悠月先輩の表情は冷たくて……見た事もない表情に喉の奥がヒリついた。


「もう佐久間とは……」


 そう言いかけて口籠もってしまう。

 肝心な時に情けないと思いながら、じっと悠月先輩を見つめた。


「イライラするわね。言いたい事があるならはっきり言いなさいよ!」

 

 悠月先輩の大きな声に、下校途中だった生徒の何人かが振り返っていた。

 普段の優しい悠月先輩を知っている人なら尚更だろう。

 驚いたように、何度も何度も振り返って悠月先輩を見ていた。

 容姿端麗、頭脳明晰、スポーツ万能。

 そんな三拍子揃った悠月先輩の事を憧れている生徒も多かった。


「先輩、落ち着いて……」

「何よ……何よ……」

「人に見られてますから」

「どうでもいいわよ」

「はぁ……」


 最悪だ……

 そう思いながらも藤間先輩と佐久間のダブルヘッダーを経て、いよいよ俺の感覚も麻痺してきているのかもしれない。

 悠月先輩の険悪な態度もすんなりと受け入れてしまう。

 それに多分、この感じが悠月先輩のノーマルモードなはずだ。

 うん、俺……完全にバグって来たかも。

 こうやって人は大人になって行くのかもしれない。

 

「ここでも話せるわ」

「はぁ、俺は嫌です。あの……悠月先輩は自分が目立つ存在だという自覚はありますか?もしも無いなら、今後は認識を改めた方がいいと思います。それで俺が何を言いたいかと言うと、俺は誰かの見せ物になるなんて真っ平ごめんです。どこか場所を移しましょう。落ち着いて話せるような静かな場所があればいいんですが……」


 何か、もう。

 気を遣うのも面倒臭くなって来たので、一方的に俺の意見を話して先輩の手を引いて走り出す。

 悠月先輩は驚いたように口をパクパクさせていたが、それ以降は黙って手を引かれたままだった。

 初めて先輩と繋いだ手は止まない雨に濡れて……ずっと冷たいままだった。



 ◆



 現在、俺と悠月先輩は……

 俺の部屋で向かい合っていた。

 あれから駅前のカフェも、マッ○も、まさかのサブ○ェイも人が多くて入れなかった。

 カラオケボックスはクラスメイトにエンカウントする率が高値の為、スルーした結果、駅から一番近い俺の家になった。

 とりあえず……

 一緒に暮らしている義姉さんが家に居なくてよかった。

 もしも、あの人が家にいたら「遥の彼女だと?ついに遥も大人になるのか?おっ、今夜は赤飯だな?よし!胡麻塩買って来ないとな!」とか訳の分からない事を言い出すはずだ。

 しかも、それ一番……

 いま俺達の間で触れたらいけない話だけどな。

 それに必ず触れて来る、それが義姉さん梅ちゃんという人だった。

 

「麦茶しかないですけど、どうぞ。それからタオルも使ってください」

「ありがとう……」


 部屋に入ってから、悠月先輩は俺と目を合わせようとしなかった。

 重い沈黙が流れる。

 気不味い時間だけが過ぎて行く。

 壁掛け時計を見ると午後四時を過ぎていた。

 このままだとクラスの打ち上げに間に合わないな。

 そう思いながら、制服を脱いで私服に着替えた。

 しかし、パーカーくらいしか持っていないけど、これでカラオケ聖域に行ってもいいのだろうか?

 兄貴のジャケットを借りていくか?と真剣に悩んでいると……

 

「ねぇ……凄い体だね……」


 指先で背中に触れられているのがわかった。

 鳥肌が立って、ガクブル固まりながら振り返る。

 そこにはさっきまでの不機嫌が嘘のように、うっとりとした目の悠月先輩が立っていた。


「いやいやいやいやいやいや」

「何回……いやって言うのよ。さすがに傷つくから。それとも、まだ私がアイツとセックスしていると思ってるの?」


 急に核心を突いて来るな、と思いながら頷いた。

 

「本当に遥君と付き合ってからは関係を持っていないわよ。でも……」


 一瞬、伏せてしまった美しい瞳に心が鷲掴みにされる。

 でも、今からこの人は残酷な言葉を言おうとしている。

 これ以上、話を聞かない方がいいと俺の直感が告げていた。

 

「でも?」


 それでも俺は話の続きを促した。

 このまま、悠月先輩と付き合って行くなら向き合わないといけない問題だったから。


「この前、私は佐久間と遊ぼうとしてた」

「この前?遊ぶ?」

「佐久間が遥君に写真を送った日よ。佐久間が嫉妬して、あんなバカな事をしなければ、あの日は夜に会う約束をしていたの。だって付き合って二週間も経つのに、遥君……手すら繋いで来なかったでしょう?」


 それは寝取られそうだったということだろうか?

 いや、以前から関係があるのだから、ほぼ、ほぼ、寝取られているようなものだろう。

 しかし、悠月先輩は佐久間のどこがいいのだろう?

 見た目か?

 いや最近は三流の悪役にしか見えない。

 まあ、陰キャ、ボッチ、童貞の三拍子が揃った俺が言うのも悲しいものがあるけれど。

  

「ねぇ……」

「悠月先輩?」

「許せない?」

「……考える時間を貰えませんか?」 

「別れたいって事?」

「それを含めて、自分はどうしたいのか考えます」

「ふーん、意外と冷静だね?ちょっと気に食わないかも。あっ勘違いしないでね?私もそんなに遥君のこと真剣じゃなかったもの。だから……」


 悠月先輩は俺の胸板に手を置いた。

 そのまま柔らかい体を押しつけてくる。 

 そして、鼻と鼻が触れ合いそうな距離で見つめられる。


「別れる前に……」

「…………」

「とりあえず、一回シてみる?」







 ブチィィィ……!!!!!!!!







 悠月先輩の言葉に、俺の心の中で大切な何かが切れる音がした。

 俺は悠月先輩を抱えるように持ち上げて、ベッドの上へ乱暴に放り投げた。

 悠月先輩にマウントを取るような形で組み敷いてから睨みつける。

 先輩が酷く戸惑っているのがわかった。

 先にマウントを取ろうとした悠月先輩が悪い。

 首筋に歯を立てて噛み付くような仕草をすると、悠月先輩は怯えたように目を瞑った。




 そのまま……




 俺は悠月先輩の頭に手刀を落とした。


「痛っ!何するのよ、もう!」

「はい、そこに正座!」

「はあ?」

「せ、い、ざ」

「何で私がそんなこと……」


 俺がまた手刀を落とす仕草をすると、「わ、わかったわよ」と素早く起き上がって正座をする。

 

「ビッチ先輩」

「な、何よ、その呼び方?」

「クソビッチ先輩の方がいいですか?」

「…………」


 制服のスカートを握り締めながら俯く姿は、まるで小さい子供みたいだった。


「ごめんなさい……」


 はあ……

 俺より二つも年上には思えない。


「悠月先輩」

「遥君?」

「今度、俺とをしましょう」

「えっ?」

「これから色々な事を話したり、見たり、聞いたり、触れたり、ゆっくりお互いのことを知っていきませんか?」

「…………」


 自分で言ってる事が中学生のそれかよ、とは思うが仕方がない。

 しかも、悠月先輩はキョトンとした表情で俺を見つめてくる。


「それでいいの?」

「はい」

「はあ……」


 その意外な言葉に驚きながらも俺は頷いた。

 今まで、この人は一体どういう付き合い方をして来たのだろう?

 そんな風に思っていると、不意に……

 

「お人好しめ……」


 あの日、ジムで絹ちゃんに言われた言葉が脳裏を過った。

 壁掛け時計を見ると、既に午後五時を回っていた。

 


 ◆



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