Case.1-5 捜査開始

「これは非道いですね」

 香純さんが追い付いてきて、周囲の人々……大体三十人くらいか……に捜査官の手帳を見せて誘導している。血塗れの飛沫に彩られた非現実の空間がたちどころに霧散していく。程なくして警察がやってくるだろう。そして、犯罪捜査に打って変わって今では主流の捜査法を備えた……記憶捜査官たちも。

「御堂くん」

 香純さんの声が遠くに聞こえる。と同時に、嘔吐感がぶり返してくる。フェットチーネとアラビアータが胃の中で混ざり合い、ぐるぐると渦巻いているような気がする。呼吸が荒い。


「そこ座り込んでたら邪魔だから。待ってるからその辺で吐いてきて。終わったら戻ってね」


 彼女の言葉はにべもない。仕事モードの時はこんな感じなのだろうか。香純さんの言葉は意識をかき混ぜてくるようだった。劣等感や罪悪感、緊張感、嫌悪感。先ほどまでの死体。香純さんの笑顔。綯い交ぜになった風景が明滅するように感情が記憶の奔流となって僕の脳に刻み込まれる。意識が暗転しかけるのが分かった。


 思えば幼少期、僕は相当に嫌な奴であったように思う。

 自身の頭の良さ……記憶力の良さを鼻にかけ、周囲を見下し、親や教師を見降ろし、年の割に妙に達観した、冷めた意識で世界を見据えていたようでもあった。

「そんな生き方してたら損しちゃうよ」

 うるさい。言葉遊びみたいな語調で僕に話しかけるな。お前は一体何様なんだ。 

「幼馴染様です」 

 彼女は笑った。まるで他者を寄せ付けないどころか跳ね除ける僕の態度でさえも手玉に取ったかのような朗らかさで。

「捻くれる暇なんてないほどに、世界には楽しいことがいっぱいなんだから」

 今にして思えば単純な言葉。でも今思えばそれが、密室の暗闇の中でただ膝を抱えて蹲っているかのような僕の人生に始めて挿した、希望のようなモノだったのだなと生意気にも思う。



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oblivion 記憶捜査官・神代香純の事件簿 雪本つぐみ @alright3

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