第13話 死亡
「シル! 大丈夫!?」
「は……い」
――心臓が張り裂けそうなほどに痛い。走りすぎて脇腹も痛くなる。
その目に強い憎悪を浮かべながらも、シルは優と共に走り続けた。
「ッ……! 伏せて!」
優がシルを押し倒した瞬間、幾数もの銃弾が空中を舞った。
優が居なければ今頃は蜂の巣となっていただろう。シルはその事にゾッとしながらも……歯噛みをした。
『悔しいって思う暇があンなら鍛えろ。技を磨け。嫌になッちまう程環境は整ッてんだよ。弱音吐くくらいなら辞めろ』
その言葉を思い出して。シルは息を吐く。
――彼の言う事は合っている。あの界隈は気を抜けばすぐに死ぬ。弱くても死ぬ。……弱い間、彼はずっと私の面倒を見てくれたけど。
そうだ。今の私は決して弱くない。……確かに、彼に比べればずっと弱いけど。
それなりに場数は踏んでるのだ。
一度、息を吐く。これ以上優さんに迷惑を掛ける訳にはいかない。それに――
「顔向け、出来ない」
「……シル?」
「すみません。頭が冷えました。もう大丈夫です」
シルは立ち上がり。優と共に山中を走り出す。その目には一切の陰りも無い。
――しかし。
「追い詰めました。α。β」
「「はっ」」
その決断は少し。遅かった。
気がつけば。二人は白髪の天使と。水と葉の色をした天使に囲まれていた。
その後に続いて……ザクザクと落葉混じりの土を踏みしめる音が何十。何百と聞こえてきた。
「……ッ」
「これは……まずいね」
完全に囲まれてしまった。シルと優は目を素早く動かして穴がないか探る。……しかし。どこにも逃げ道は無かった。
その時だ。
「ふふふ。逃げ道などありませんよ」
この天使達では無い。明らかに男の声だと分かり、二人の視線が声の方向へと動く。
ガサ、ガサと葉を踏みしめて。暗闇の中から一人の男が出てきた。
こんな山中だと言うのに、白衣を着けた。そして眼鏡を掛けている男。
「……誰?」
「ふふ。死に行く貴方達に名乗る名前はありませんね。……ええ、ですが。強いて言うのなら……天使の生みの親です。呼び名はそうですね。研究者と。そう呼んでください」
「天使の?」
シルが怪訝そうに聞くと、研究者はさも嬉しそうに頷いた。
「ええ。あの子は私が――私と彼女で生み出しました。言うならパパみたいなものですね」
狂愛的な表情を浮かべる研究者に……シルはまた疑問を持つ。
「――彼女?」
「はぁ。私の事は話すなって言いませんでしたかぁ?」
上空。遥か遠くの方から、声が聞こえてきた。……シルと優が上を見上げると。そこには。
「――これはこれは。お久しぶりです。【熾天使】様」
「これで二度目ですよぉ。あの猫を殺す時にも話しましたし。そのせいで運命が大きく変わった事も知らないで。……まあ、今回話した所でそう大きく変わらないですし、そもそも私も来る予定だったので問題ではありませんが」
真っ白な布を纏った。金糸のような髪を束ねた……この世のものとは思えない美貌を兼ね備えた美女。その背中には真っ白な翼が生えており、それがゆっくりとはばたかれるとその美女が……【熾天使】が浮かぶ。
シルと優はそれから目を離す事が出来なかった。
その美貌は……妖しく。畏怖すらも覚えてしまう程のものだ。……そして。まるで、内蔵を鷲掴みにされたような。そんな圧迫感に二人は襲われた。
気を抜けば、その圧だけでも殺されてしまいそうに。……優はシルを抱きしめた。
「……しかし、どうしてまた顕現なさったのでしょうか?」
「――今宵は新月。星の光すら通さない分厚い雲海。こんな日は、異形の者達が暴れ回る日なんです。せっかくあの子が仲間入りしたのに、すぐ死んじゃうのは勿体ないですし、ねぇ?」
その【熾天使】の言葉を研究者は解しない。……解する必要は無い。人とは異なる存在。上位の存在の言葉を解する事自体が恐れ多いのだから。
「ご助力ありがとうございます」
「別に貴方を助けようと思ってる訳じゃないですよ。私はただ、私の目的を達したいだけです」
ふう、と【熾天使】は息を吐いた。
「とりあえず、そこの子ら。殺しちゃいましょうか」
その言葉が聞こえると同時に、シルは動き出していた。シルが優を押し倒した瞬間――先程、二人の頭があった場所に。閃光が走った。
「……私の百発百中の記録が」
熾天使の手には真っ白な鉄塊……拳銃が握られている。
不満そうにする熾天使を見て、シルはゾッとした。
獲物どころか……遊戯の相手ですらない。ただの動く的程度にしか思われていないと。
「まあ、次は外しませんが」
その銃口がシル達へ向いた。
シルは悔しそうに歯を食いしばり。優は何があったのか理解出来ず……だが。シルを守ろうと抱きしめていた。
熾天使の指が引き金へと移る。そして。
「……何?」
その引き金は引かれなかった。それと同時に、二人の耳に爆発音が届く。
どん、どんと。遠くから少しずつ。その爆発音は近づいてくる。
シルはそれに不思議そうな顔を浮かべ。優は目を見開いた。
「まさか……」
「……?」
研究者の顔が歪み。一点を見つめた。優とシルの背後を。
「悪い、待たせた」
そんな声がすぐ傍で聞こえたような気がした。
シルが瞬きをした次の瞬間。後方に居た天使が吹き飛ばされていた。
「乗れ! お前ら!」
キキッという耳に残る音と共に大きな鉄塊が間近で止まった。
そこから。一人の男が降りる。
「よお、クソガキ共。ちゃんと生きてたようだな」
背丈は二メートルを越すだろう。その肩や胸は張り裂けんばかりの筋肉に覆われていて……無事な場所が無いくらい、生傷だらけとなっている。
その髪は無く、スキンヘッド。子供が見れば泣き出すような顔立ち。
「……ボス?」
そんな、間の抜けたシルの声が。闇夜へ落ちていった。
◆◆◆
「……はァッ……はァ」
男は息を荒く。目を飛び出さんばかりに見開いて。その体を貫く激痛に耐えていた。
「……こりゃびっくり。死神化で意識を失わなかった子なんて初めてよ?」
「意趣返しの勢いでかなりの血を注ぎ込みましたが。本当に驚きですね」
「……ハッッ! ボスの訓練の方が。まだキツかッたぞ」
そう言う男は視線がブレ、立つのもままならない状態だ。明らかな強がりではあるが……その強がりを見せられる、という事自体が異常なのだ。
「……えー? あれ後でボクもやるの?」
「ふふ。安心して、猫ちゃん。あれは聖女ちゃんがドSだっただけだから。……少しは楽よ? ええ。少しは」
猫はうへーっと声を漏らしながらも男へ寄り添う。男は舌打ちをしながらも猫へと体重を預けた。
「……だが。今までに無ェくれェの昂りを感じんな」
「分かるわぁ。全能感? って言うのかしら? 本当になんでも出来る気がするわよね。実際大抵の事は出来るんだけど」
……と、言いながらも。道化は無遠慮に男の体を見つめた。
その体中からは血管が浮き出てグロテスクな事になっている。その血管は心拍を示すように脈動しており、その度に血管は張り裂けんばかりに膨らむ。……その姿はどこか、あの薬物を使った時の姿にも似ていた。
「あ、それは時間が経てば落ち着くから安心してね?」
「……俺ァこっちの方が禍々しくて好きなんだが」
「趣味悪いよ。ボクはいつものキミの方が好きだな」
「ハッ! やっぱり頭ァ沸いてんじゃねェのか? いつもッて人ォ殺しまくッてる姿だろうがよ」
「そういう意味じゃないんだけどなぁ……」
猫がやれやれと息を吐く。それを男はじっと見て……
「そんで?
男の言葉に猫がビクリと。肩を震わせた。それを見た道化は……優しく微笑んだ。
「……そうね。今は一刻を争う時だから。その方が良いわね」
道化の言葉に男の顔立ちが険しくなった。
「あ?一刻を争うだァ?」
「えぇ。天使が彼の大切な人達と接触したわ」
その言葉に男の目が見開かれる。
「……ンだと?」
「まあ、まだ大丈夫みたいね。彼のお姉さんが頑張ってくれてるから」
「今すぐ向かわせろ」
男は道化へと詰め寄った。
「俺一人でどうにかする。だから行かせろ」
「ダメよ。死んじゃうもの」
「あァ? 時間が無ェんだろ? それともアレか? 死んでから向かわせようッてか? ぶち殺すぞ。あ?」
「落ち着いて。確かにアタシの言い方も悪かったわ。一つ。この世界と現世では時間の流れが違うの。そしてもう一つ。この部屋と外の時間の流れも違う。……そうね。猶予としては、この部屋で換算すれば半日ほどはあるわよ」
道化の言葉にまた男は顔を険しくさせるが……一つ、舌打ちをするのみであった。
「ええ、道化の言う通り。少ないですがまだ時間はあります。その【死神】の力を自分のものとするにはまだ時間が必要ですし。……彼女が【死神】になってからでも遅くはありません」
聖女の言葉にまた男は舌打ちをしようとし――やめた。
「……猫の分まで俺が働くッてのはどうだ?」
「……ッ、ちょっと!」
「ダメね。今は文字通り猫の手でも借りたい状況よ。手数が足りないの。……自己犠牲の精神を尊ぶべきなのかはまた今度議論するとして。とにかく、今は猫ちゃんを死神にする事が先決。そうしなければ助けられる命も助けられなくなるわよ?」
男はギシリと歯を軋ませ。……その握りしめていた拳を解いた。
「……ねえ。死ぬのは分かったんだけどさ。一つお願いがあるんだ」
「なあに? 出来る限りは聞くつもりよ?」
「その前に一つ。……魂を歪ませるにはどの死神に殺されてもいいんだよね?」
「ええ、そうよ。……たとえ。死神に変質しつつある者でも、ね」
道化の含みのある笑みに。また、男の表情が変わる。
「……おい。やめろ」
「じゃあさ」
男の制止の言葉も聞かず。猫は男へと近づく。
「どうせ殺されるなら。キミに殺されるのが良いな」
猫は柔らかく微笑みながら……男の血管の浮き出ている胸へ、そっと、指を置いた。
「……テメェ」
「ふふ。分かってるよ。キミの信条の一つ。『仲間は殺さない。何があっても絶対に』ってあるし。さて、ボクはキミの仲間なのかにゃ?」
小生意気に、男を試すような目で。彼が猫からこんな目で見られる事は初めてだ。
「ッ……」
「さて? どっちなのかにゃ? ま、どっちでもボクの勝ちなんだけど」
「……テメェな」
男の言葉も猫は聞こえてないと言わんばかりに耳をピクつかせ。ニヤニヤと笑っていた。
「チッ……商売相手だよクソ猫が」
「ツンの比重高くないかな!?」
しかし、男はそれ以上言い直すつもりもないらしくただイラついた顔をしていた。
「そンじゃさっさと殺すぞ」
「あれ? もしかして本当に仲間認定されてなかったり?」
猫はそう言いながらも、心の底では分かっていた。
男はいままでに見た事がないぐらい不機嫌だから。……言葉にはしてくれないけど、仲間として扱ってくれてるのだと。
「あ、なるべく痛くない方がいいかも」
「オう、任せろ。殺しの手合いなら誰よりも上手ェぞ」
「……普通の暗殺より殺し合いの方が得意じゃなければその言葉も信じられるんだけどね」
「あ? 闘りあいてェのか? そういやテメェと闘りあッた事無ェな」
「うえぇ……逃げ切るので精一杯だってのに強くなったキミと闘うなんてごめんだよ」
猫の言葉に男は鋭い犬歯を見せながら笑う。……そして。
「なァおい。この世界って現世にあるのと似たようなものはあッたりすんのか? 薬とか」
「……基本的な物はありますが。何に使うんでしょう?」
「あ? 話聞いてたのか? 殺しだよ。……ああ、それと猫。次の二択から選べ」
猫は男の言葉にこてんと首を傾げた。そのフードについている猫耳は意思があるかのようにピクピクと動いている。
「一つ。アタマん中ぷッ壊れる快楽に侵されながら脳みそどろっどろに溶かされて死ぬ」
「いきなり物騒だねえ!? 絶対やだよ!?」
「あ? そうなのか? 殺しの対象にゃ割と人気なんだが。そんでもう一つ。【解放】の作り出した毒。飲んだヤツは一分以内に眠って、そのまま死ぬ。名前は……あぁ。【悪魔の呼声】だったか」
「……キミのところって結構厨二病っぽいよね」
「名前付けたのは科学者だ。文句あるならさっきのにしとくか? ……ああ、そういやあっちも名前あったな。なんだったか?」
「いや、もう【悪魔の呼声】でお願いします」
「おう、そんじゃ聖女。今から俺が言う材料と機材を持ってこい」
「はぁ……分かりました」
男が材料を言った後。聖女はすぐに材料を持ってきた。
「……随分早かったな。時間の流れが違うンじゃなかッたか?」
「その分速く動けば良いだけの事です」
「ハッ! 悪くねェ考え方だ」
箱を見て男は笑みを零す。それを見た聖女は眉を顰める。
「……今更ではありますが。薬学にも精通しているんですか?」
「あ? 俺らン事監視してたんじゃ無ェのか?」
「監視していたのは主に道化達です。私は俗世の事は話を聞く程度しか知りません」
「そうかよ……これァ薬学、ッていうか毒学だな。血清の作り方ぐれェは知ッてるが」
そう言いながら、男は材料を潰したり。液体をガラス瓶に入れて混ぜたりと、手際よく進めていく。
「……ボクも初耳なんだけど。キミが毒作れるの」
「ハッ。これでも【解放】の機密情報だ。死んじまッたからもう隠す意味も無ェってだけだな」
「ふぅん……まあキミって頭悪い訳じゃないもんね」
「……頭働かせないと俺ァとっくの昔に死んでる」
男の言葉にああ、と猫は納得した顔を見せる。
「……こんな所か。おい、出来たぞ」
男は出来たものをカプセルに詰め。猫へと見せた。
「こうしてみると本当に薬っぽい」
「なんでもカプセルに包みゃそれっぽくなる。さ、遺言でも言ッとけ」
「やっぱボクに冷たくない?」
男が猫へとカプセルを投げ、猫はそれをキャッチした。カプセルは市販のものと変わらず、猫の小指の爪の先程度の大きさしかない。
「……これ、飲んだら死ぬんだよね」
「あァ。……そういや、猫が死んだらまたあそこで生き返ンのか?」
「それも出来るけど、時間がかかっちゃうわね。アタシがここで生き返れるようにしとくわよん」
「便利なもンだな」
男は改めて猫を見た。猫はカプセルを見て……固まっている。
「ああ、オイ猫。やり忘れた事がある。そのカプセル寄越せ」
男はそう言って猫からカプセルを取り上げる。猫はいきなりの事で口をポカンと開けていた。
次の瞬間。
「……ッ!?」
男は猫の口の中にカプセルを入れた。
「飲ませるだけだと自殺だもンな。俺の手でやらねェと『殺し』とは言えねえ」
猫はカプセルをごくりと飲み込み。男を見た。
「……」
「ンだよ。文句は生き返ったら聞いてやるよ」
「……そうじゃなくて」
猫は次の言葉を紡ごうとしたが……その脚がガクガクと震え出した。そのまま倒れ――
ない。男が抱きとめた。
「……あ、あり、か……ありが……」
既に猫の意識は遠ざかりつつある。舌が、唇が痺れて上手く言葉を紡げない。
目も虚ろで、男の服を掴む手にもほとんど力は入っていない。
それでも。
「ありが、と……」
猫はそう言って。全身の力を抜いた。……男が受け止めてくれるだろうと信じて。
男はため息を吐き。抱きとめた猫をそのまま……横に寝かせる。
そして、その腕を取って脈を測り始めた。
「……トドメ、刺しといた方が良いのか?」
「いいえ。死神の殺し方は直接でもこうして……薬で間接的に殺しても変わらないわ」
「そうか……」
男はそのまま猫の脈を測り続ける。段々弱々しく、間隔の開き始める脈を。
男は安らかに眠る猫を見て苦々しい顔をした。
「……クソが」
猫の目論見通り――男の心には残り続けるだろう。
例え、生き返るとしても。猫を殺したという事実は変わらないのだから。
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