第26話 ふたりきり


 僕と東横さんの会話に入り込んだのは田村さんだった。


「ウチを使えばいいじゃない。元々、竜崎君に頼もうかと思っていたのよ。近いし。でもそれはあまりにも図々しいというか憚られたわ。甘え過ぎかと。けれどいいの。竜崎君にも合鍵を作るわ。それで、好きな時間に二人でお話すればいい。同じ映像コースの生徒だもの。情報デザインコースの私より共通話題は多いはずよ」


 なんの躊躇いもなく言ってのける彼女に、僕と東横さんで面食らった。


「そ、それはさすがにおかしいって。主のいない部屋に他人が二人なんて」


 しかもいい歳の男女だ。


 東横さんは両手を胸の前で組んで黙りこくっている。


「いえ、構わないの。竜崎君さえよければ」


 東横さんの意志はそこに存在しないのか。


 それでも田村さんの言葉は続く。


「マリィの情操にもいいと思ったの。人に慣れるために。だからこれは私から竜崎君へのお願いでもある。請け負ってくれるなら――現金は生々しいから、毎晩、残り物の手羽先を三本ご馳走するわ。それでどうかしら」


「手羽先はどうでもいいよ。とにかく他人の部屋で女の子と二人きりなんて――」


「二人きりではないわ。片目であってもマリィは見ている。そんな中で不埒なことは起こらない。だって、私は二人をこの上なく信用している」


 譲らない時の田村さんだ。そこへようやく東横さんが組んだ手をほどいて、


「私なら……気にしません。生き物は好きですけど、そこに誰か相手がいればもっと嬉しいです。私、これといって友達もいないので」


 二対一の構図になった。



「そういうことだけど竜崎君。手羽先は冗談として、東横さんの話し相手として、時間のある時だけでいいの。時にはここに顔を出してあげて」


 どうやら話は終わりへと向かっている。


「分かったから。けど、合鍵はいらない。東横さんが帰る時に僕も一緒に出る。それでいいなら」


 最大限の譲歩で結論を導き出した。東横さんが心なしか嬉しそうだ。


「そう。ありがとう竜崎君。だったら今夜からでもそういう方向でお願いするわ。彼女、夕方七時からはウチにいるから。そうよね、瑞奈」


 いきなりファーストネームを呼んだ。それに彼女は答える。


「はい、レッド――田村さん」




 田村さんは新しくクッションを買ったのか二つに増えている。いや、三つだ。うち一つはマリィが丸くなって座っている。片目のない黒い瞳が、興味なさそうに壁を見つめている。結局僕は、まんまと彼女の言う通り午後七時過ぎの田村家へおじゃましていた。


「あの……コーヒー飲みます? 私、買ってきてるんで」


 マリィのエサを陶製の器に入れていた東横さんが言う。お構いなく、とも言えず、


「あ、ああ。いただこうかな」


 東横さんは青いクッションから立ち上がってキッチンへ向かう。いそいそ、という表現が似合う挙動だった。


 インスタントのコーヒーが入る。マグカップが二つ、白いテーブルに置かれる。その状況がすでに不可解だった。


「竜崎さんは、コーヒー詳しいって。田村さんから聞いてます。そんな方にインスタントとか失礼だと思ったんですけど」


 僕はマグカップをテーブルの上で引き寄せ、言い訳がましく答えを返す。


「特にこだわりはなくて――母さんが好きだったから」


 東横さんはしばらく黙る。そして、


「竜崎さんのお母さん、絵のお仕事をしてるって聞きましたけど――」


 そういうことまで話していたのかと、そこは田村さんに不信感を抱いた。


「してた、っていう方が正しいんだけど。他界したんだ。一年前に」


 わざわざ話が滞る方へ持っていった自分も反省したが、流れとしてそうなるのは仕方がなかった。先日の二郷木さんとの気まずい空気がよみがえる。


「……すみません。そんなこと聞いてしまって……」


「別に東横さんが謝る話じゃないよ。田村さん、僕のこと他にはどう話してたの?」


 彼女はマグカップもそのままに、


「すごく信頼しているって――自分のことを引き上げてくれた人だって。その――お母さんのことも」


 僕は、しばし黙る。せっかくのコーヒーが冷めてゆく。マリィは動かない。


「竜崎さんは、マンションにお一人なんですか? そういうのって、淋しくないですか」


「最近は――田村さんがバタバタしてくれるんで、そうでも――」


「レッド――田村さんとは、本当におつき合いしてないんですか」


 その質問は前にもされた。


「そういうんじゃないんだ。ただ、自分でも不思議なくらい、彼女には普通に話ができて、一緒にいて苦痛じゃないんだよ」


「私は……苦痛ですか……」


 髪を右手で払い、うつむいた。


「そういう――そういうことじゃなくて。何を話していいか分からないから」


「そうですね。じゃあ、私の話をします」


 彼女はマグカップを両手で抱えた。


「小学校の頃からプラモデルを作るのが大好きで、女の子なのにって、お母さんは嫌がってましたけど」


「プラモデルって、ガンプラみたいな?」


「そういう、ミリタリー系のもあるんですけど、そのうちお城を作るのが好きになって。高校の時には市販のパーツにいろいろ手を加えて、それでも足りずに夏休みに現地まで見に行って、庭園とかそういうのも作り始めて。気がついたらどっぷり浸かってました。今は何でもやってみてます。街角の風景とか、マンガの主人公の部屋のミニチュアまで」


 なるほど。マニアックだ。


「その、ジオラマっていうのはゲームグラフィックにどう生きてくるの?」


「やりたいのはゲームじゃないんです。広告系の仕事に就きたくて。そういう勉強ができるのってこの学校しかなかったんで。ゲームデザインは今、ほぼCGですから。ジオラマの用途は限られてるんです。でも、映画なんかだとニーズはあります。コンピュータグラフィックスとアナログの融合で世界観を作り上げるんです。ゲーム世界の実写化なんかでは使われている手法なんです。そういうのができたらと――」


 何気にしっかりと未来を見据えているのだなと、自分の曖昧な夢が小さく思えてきた。



 時刻は午後八時。マリィはじっと動かない。

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