第23話 昼食会
朝の鏡のチラチラがまた始まった。今日はなかなか終わらない。電話も鳴らない。
ベッドを起き出してベランダへ出ると、向かいのベランダから田村さんが手招きをしていた。用事ならば電話してくれ。
しかし、どんどん身振りが大きくなってゆくので仕方なく外へ出ることにした。支度に五分だ。
「なに、朝から」
電話を片手に、不用心に半開きのドアから覗いてみると、
「マリィがエサを食べたわ」
子供が初めてつかまり立ちをした時のお母さんの声と顔で教えてくれた。
「そりゃ、お腹が空いたら食べるよ」
「でも、食べる瞬間を見逃したの。牛乳配達から帰ったらきれいさっぱり」
肩を落としている。
「仕方ないよ。で、そのマリィは?」
「それが――」
部屋の隅のケージの中で丸くなっている。
「ベッドを用意していなかったせいか、タオルを置いたあそこを寝床だと思ってしまったのね。早くなんとかしなくては」
「それはそうだろうけど、一時限目、間に合うの? もう八時だよ」
「ええ、分かってる。けれどまだマリィの『行ってニャっしゃい』を聞いてないの。この子、どうしたって鳴かないのだわ」
「大人しそうだから――。お隣にも迷惑じゃなくていいんじゃないの」
「そうね。不本意だけど、このまま学校へ行くことにするわ。じゃあ竜崎君、用事はそれだけよ。帰っていいわ。チョビ、マリィをお願いね」
さりげなく失礼だ。
部屋に戻り、自分の準備を始める。今日は社会学からだ。眠さを堪えて頑張ろう――。
ざわつく教室へ入り、カバンをロッカーへ入れてトートバッグだけ手にする。第一教室は二階の手前。この校舎にあって唯一アナログな黒板のある教室だ。
朝の二郷木さんは非常に機嫌が悪いので、その背中を見て後ろの方の席に座った。比較的、当てられにくい席だ。
授業が始まって十五分。すでに眠い。社会学とは名ばかり、ほとんど歴史の授業だ。眠気も手伝ってうっかりシャーペンを落としてしまう。
(あーダメだ。シャーペンで手のひらを刺すくらいしないと)
と思っていると、
「はい――」
不意に声が聞こえた。で、次にシャーペンが机に現れる。
「ありが……とっ!」
教室の生徒が一気に振り返った。背中を丸めると、隣からまた声がする。
「ゲームグラフィックコースの東横です……」
「い、いたの……」
「ええ。ずっと……。ミス・レッドカーペットはいらしてますか?」
「ああ、うん。授業中だからまたあとで――」
「そう、いい景色が見られたという訳ね」
田村さんの食生活は改善されることなく、また僕とカレーが並ぶ。
「はい、写真も何枚も撮って。お陰ですごく刺激されました」
そう言って東横さんはカツ丼のいいところから箸で持ち上げる。
「それで、その――ジオラマだっけ? 作品とかってあるの?」
僕はカレーをひとすくいする。
「家にたくさん作ってるんですけど、ここに来てからはまだ基礎授業ばかりなんで。十一月に実施があります。文化祭に向けて作品制作なんです」
急に表情がキラキラしてきた。
田村さんは黙々とカレーを(つくづく飽きたように)食べていたけれど、
「すごく興味があるわ。私はゼロから物を作ることに苦手意識があるから、そういうものには惹かれるの。いつか見てみたいわ、あなたの作品」
と言っているところに、二郷木さんが渡君とトレーを手にしてやって来た。
「なに。また二人でカレー? 横、座るわよ」
言うなり東横さんの真横にトレーを置いた。
「明日香、そういう時は本人にひと言断って座らなきゃ」
渡君がかけうどんを僕の隣に置きながら、優しく微笑む。
「何がよ。別にいいじゃない。いつもの四人なんだし」
彼女はレディースランチをテーブルへ置こうとしてふと隣を見る。そこには先客がいた。
「ひ……ひいっ! アンタ誰! いつからいたの!」
渡君が穏やかな顔で、
「さっきから座ってるじゃないか。ゲームグラフィックコース一年の東横さんですよね。お話するのは初めてですね。初めまして、渡清治です」
すると東横さんがうつむきがちに、
「あの……東横瑞奈です……。ジャマでしたら場所、空けますけど……」
「そのままでいいですよ東横さん。明日香も挨拶くらいして」
二郷木さんはトレーを抱えたまま多少、東横さんに怯みながら、
「え、映像制作の二郷木明日香よ。アンタより一つ年上だからね。その辺、きちんとしてよね」
二郷木さんが椅子に座るとひとまず五人のランチタイムになった。主にうるさくしゃべっているのは二郷木さんで、田村さんと並んだ渡君にバイトの話を訊ねている。
「休憩五分とか、それもうブラックじゃない! やっぱり思った通りだわ」
渡君は学校前のコンビニでバイトを決めたらしく、様子を見に行くと爽やかに制服で微笑んでいた。
「それより清治。なんで彼女のこと知ってたのよ」
二郷木さんが隣をチラ見しながら不服げに言う。
「明日香こそ知らないのかい。高校、三年では同じクラスだったろ」
「え? ウソ? 全然知らない!」
そこへ東横さんが申し訳なさそうに、
「私……存在感ないんで……」
「そういうレベルかしら……。でも覚えてなくて悪かったわ。今後はよろしくね――って、あれ? どこに消えたの?」
渡君がうどんを食べ終えて、涼しげに答える。
「もう、トレーを下げに向かったよ」
「……存在感無しって……。あれじゃまるでステルス戦闘機だわ」
言うと、彼女は首を小さく横に振った。
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