第17話 東横瑞奈(みずな)


「ふーん。シンジって、ああいうのが好きなのね。ビミョー」


 メディア科生徒の試写会がすべて終わった。一般生徒の視聴参加も許可されていたので、渡君も一緒だった。田村さんはいなかった。


「僕は好きでしたよ。高校時代と、それからもっと昔――例えば十年前を思い出すようなノスタルジーが感じられる不思議な作品でした。全体に赤味がかったフィルターを通じて映される、誰かの思い出の断片のような」


「清治、言い過ぎでしょ。それよりアタシのはどうだった? 真夜中の高速ドライブ。後部席に座る赤いドレスの謎の女。後方へ流れゆく夜景。幻想的だったでしょ」


 二郷木さんが鼻を高くするのは、それこそ自分のプロモーションのような映像だった。


「それよりあれ、法定速度超えてるよね」


 僕が言うと、


「もう、バカシンジね。再生速度で調整してるだけよ。何かに追い立てられている疾走感が欲しかったの。十代の少女のつかみどころのない理由なき不安を画にしてみたわ」


「十代って――。二十歳じゃなかったの。煙草まで吸ってたし」


「あーもう! 女子高生なんか引っ張り出してきた変態に言われたくないわよ! 清治。次、休講だからテラス行くわよ」



 じゃあまた、と渡君が試写室を出ると、誰かに袖を引かれた。振り返ると背の低い女生徒だ。覚えのない顔だった。リクルーターのような黒いタイトスカートに白いシャツ。


「あの――どなたでしたっけ」


 女生徒は僕を見上げて、


「ビルの、夕陽の作品。あれ撮った方ですよね」


「え? ああ、そうだけど」


 少女は思いつめた顔で言う。


「私、ゲームグラフィックコース一年の東横と言います。あのビル、どこにあるか教えてくれませんか――」


「どこって、萬代の古いファッションビルだよ。ただ、屋上へは行けないけど」


「どうして? 撮影したんじゃないんですか?」


 答えるには面倒くさい。


「撮影モデルの知り合いのビルなんだよ。特別に開けてもらって」


 すると肩を落とす。


「そうですか……。分かりました」


 うつむくと、いつの間にか煙のように消えた。


(何だったんだろ――)



 視聴室の試写会は1・5コマだったので半端に時間が余った。すると廊下で移動中の田村さんに会う。


「ああ、田村さん」


「発表会は終わりなのね。評判はどうだったのかしら」


「評価は後日だから。皆のも見たけど、意外とよかったと思うよ」


「それは何よりね。私は早めの昼食に行くけれど」


 ならばと、僕もつき合うことにする。



 トレーを持って、並び始めた学生の後ろへつくと、


「竜崎君。私、今日はおごってあげるわ」


 不敵に笑うと学生パスをかざして見せる。


「いいの? 田村さん?」


「ええ。私をきれいに撮ってくれたお礼よ」


 ギャラを払うべきところが逆にもらってしまった。しかも念願の――。


「カツカレーとか、よかったのかな。田村さんはカレーうどんなのに」


「いいのよ。ここのうどんは特注生打ち麺らしいから。気にしないで食べて」



「へえ、そういうのも召し上がるんですね」



 いきなり声がした。左側、真横だ。


「わあっ! 誰!」


「東横です」


「い、いつからいたの?」


 僕の言葉に田村さんが訝る。


「何を言ってるの竜崎君。さっきからいらしたわよ。なのに平然とその隣に座るから私が焦ったわ」


「そうなんだ……。気づかずにゴメン」


「いえ、昔から存在感薄いんで。気にしないで食べてください」


 念願のカツカレーを目の前に置いて、無言の食事に突入する。時折、田村さんが「あっ」と短い声を上げていた。カレーが跳ねているのだ。


「ふう。白いシャツには大敵だわ。でも雰囲気が変わってよかったわ」


 食事の終わった田村さんへ、東横さんがおずおずと訊ねる。


「竜崎さんの映像のモデルさんですよね。私、ゲームグラフィックコースの東横瑞奈といいます。あのビルの屋上、案内してもらえませんか」


「いいわよ」


 意外なことに安請け合いだ。


「本当に?」


「その代わり、私のことは『ミス・レッドカーペット』とお呼びなさい」


「分かりました。ミス・レッドカーペット。今日じゃダメですか」


 食いつきと順応性が早い。が、田村さんの答えは、


「ダメね。バイトだもの。来週の日曜日を待つならば連れて行かないこともないわ」


「お願いしますレッドカーペット! 日曜日、必ずお願いします。あの――連絡先、こっちなんで」


 彼女は慌ててスマホを出した。田村さんはしばし黙り、同じくスマホを出すとバーコードを読み取っていた。


「ありがとうございました! ミス・レッドカーペット!」


 言うと、彼女はまたいつの間にか消えていた。



「いいものね。通り名というのは――」


 満足そうな彼女へ、


「いいの田村さん。あんな簡単に返事して」


「別にいいのよ。ただし、鍵が開くかどうかは彼女しだいだから」


「どういうこと?」


「鍵の向こう側が彼女を受け入れるかどうかということ。本気で彼女が願うなら、鍵は開かれる」


 そういうものなのか。


「なーんて、ウっソでっしたー。ミス・レッドカーペットに開けられない鍵はたぶんないわ」


「……そうですか」



 昼食のあとは、お互いに三限目があるので学食前で別れた。すると後ろからシャツの襟をつかまれた。


「に、二郷木さん?」


「アンタ、ちょっといい?」


 校舎裏へ呼び出される勢いで腕を引かれると、無人の教室へ連れて行かれた。


「あれよ――」


 向かい合うと、いきなり不機嫌な顔で言われた。


「あの、あれって――」


「作品の話に決まってるじゃない。あれ、どうやったの。フラッシュバックの処理」


 そういうことか。


「あれは、えっと。カットの間に瞬間だけコンマ数秒のフェードアウトとかブラックアウトを入れて、それぞれのシーンを際立たせるんですよ。昔のフィルムでは苦心してやってた手法らしくて。今はデジタルなんでーー」


「ふーん。分かったわ。じゃあいい」


 よく分からないが解放された。


「それと――」


「はい?」


「変な敬語、もうやめてよね。同じ一年なんだから」


 言うと彼女は背中を向けて教室を出て行った。



「二郷木さん。ちょっと怖いですけど、いい人っぽいですよねえ」



「まあ、誤解される性格だと思う――わあっ!」


「忘れました? 東横です」


「い……いつからいたの」


 彼女は前髪を払い、


「ずっといましたけど。お二人が入って来た時から」


 まったく気づかなかった。ここまで来るとホラーだ。


「東横さんって、同じクラスだったんだ」


「ええ。でも大学のクラスなんて、あってないようなものですから。ところでミス・レッドカーペットは恋人なんですか?」


「え? いや、全然そういうのじゃなくて。高校がたまたま一緒だったから」


「そうなんですか。彼女、顔半分しか映ってなかったですけど、なんかお二人の間柄が見え隠れする作品でした。撮る方も撮られる方も安心しているような。あ、私、次の講義がありますんで、これで。ミス・レッドカーペットによろしく伝えてください」


 言うと、三度、いつの間にか煙のようにいなくなっていた。

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