呪詛 19

「どう言う意味だ?」と良雄さんが問いかけると、木下さんは「ここからお兄ちゃんの登場ですよ」と言った後で不敵な笑みを浮かべ、その続きを話し始めた。


「ビデオテープとカメラをミヨちゃんに渡して、それからしばらく経ったある日。ミヨちゃんから、昔私のようにご飯を食べさせてあげていた子だけど、今は大きな会社の社長さんになっていて、私を助けたいって言ってる人がいるって聞かされて。それで、今からその人と私を迎えに行くって」

「なんで、兄貴が——」

「ですよねぇ? なんでって思いますよね? びっくりですよ。それで孝哉くんがミヨちゃんとうちにやってきて。おじいちゃんとおばあちゃんに言うわけですよ。僕も昔は貧しくて、ここにいるミヨさんに食べさせて貰っていたって。それで、そう言う子供たちを支援するプロジェクトをやってるから、良かったら僕に里香ちゃんを預けませんか? って。それを聞いたおじいちゃんとおばあちゃんは、訝しい顔をしてたけど、孝哉くんの名刺を見てから、預けるのにお金がかからないかどうかを確認した後で、お金がかからないならすぐにでもって、私を手放した。良雄さん知ってましたか? お兄ちゃんがそう言うNPOみたいなことを会社とは別でやってるって?」


「いや……、知らない……。会社がどんどん大きくなってるのは知ってたけど、まさか、そんなことをやってるなんて——」

「ですよねぇ〜。そういやぁいつだったか、兄貴が一人いるけど、歳も離れてて、ここ何年も会ってないって言ってましたもんね。でも、ミヨちゃんにご飯食べさせて貰ってた記憶、良雄さんにはないんですか?」

「え……? 俺もその人に……?」

「うっそ! 記憶ないんですか? 信じられないっ! 孝哉くんはミヨちゃんに感謝して、今でもずっとお世話してるのに?」


「思い出せない……」と、言った後で黙り込む良雄さんにレイコさんが、「良雄くんはまだ小さかったから覚えてないだけだよ」と、声をかける。


「うっさいなぁ〜麗子さん。今大事なとこなんだから、お口にチャックしててくださいよ。それに、そのNPO、私のことを引き取る為だけに作ったようなもんでしょ?」

「それは違うよ、里香ちゃん! 孝哉くんにとっては、それがきっかけだっただけだよ!」

「嘘嘘嘘嘘ー! だって、全くの赤の他人の私に、住む場所や、学校や、あれやこれやいろんなことをやってくれたんですよ? それ、そのNPOでサポートしてる子供達、全員にやってるんですか?」

「それはそれぞれの家庭の事情が——」

「家庭の事情? 知らないよそんなこと! 信頼できる唯一の大人、ミヨちゃんの紹介で出会ったから、信じ切っていた。なんて素晴らしいおじさんなんだって、孝哉くんに感謝して感謝して、感謝して今まで来ましたけど、今ならわかります。孝哉くんは、私を助けてくれた良い人なんかじゃなくて、自分の恋人と妹を殺した犯人に復讐するために、私を飼っていたんだって。そう、今回のこの計画は五年前に見つけたあのビデオテープから始まってんですよねぇ。あのビデオテープをミヨちゃんが孝哉くんに見せて、そっから始まってるってことでしょ? 私は結局、麗子さんと、孝哉くんの復讐の駒に過ぎなかったってことですよね! あはははは! 良雄さん、驚きましたぁ?」

「嘘だ……。こんな、人が死ぬようなことを計画するなんて、兄貴はそんな人間じゃないっ!」

「はぁぁ〜。全く何も知らないで。ばっかみたい! そう言うところがムカつくって言ってんだよ! この偽善者が!」

「な……っ!」

「あのさぁ、良雄さんってマジで馬鹿なの? 出会ってから今まで何度も思ってたんだけど、良雄さんってね、いかにも俺は人の痛みが分かりますって雰囲気出したりそう言うこと話すけどさぁ、本当の意味では分かってないじゃんねぇ。お姉ちゃんが犯されて死んだ映像見て、やっと自分の家族のことだって思って今、怒ってるわけでしょ?」

「そんなことは——」

「そんなことは!? じゃあさ、聞くけど、今の今まで今回のことに自分が関わってるって思ったこと一回でもあったわけ? ないでしょ? ないよねぇ。だって、自分はいい人で子供からも好かれる山の家のよっちゃんなんだもんねぇ。そんなひどい事件に巻き込まれるわけないって思ってるもんねぇ。だからさぁ、当事者意識なんてものはお前にはないんだよっ! それを偽善者だって言ってんだよ!」


 すぐそばにある良雄さんの身体がぐらっと揺れた気がした。言い返す言葉がないのか、良雄さんは黙り込んでいる。


 ——偽善者……。


 何度も何度も木下さんが言葉に出す『偽善者』と言う単語がなぜか私の胸にも突き刺さる。可哀想、同情、当事者意識がない、偽善者。お前もそうだろうと聞かれれば、そうだと思う自分が沢山胸の中にいる。


 ——でも、良雄さんは、本当に良い人で……。出会ってから今まで、何度も良雄さんに助けられてきた。冷静で、優しくて、厳しくて、当事者意識がないなんて、そんな風に思えない。良雄さんは良雄さんなりに、今自分ができる誠心誠意を尽くして行動している気がする。でも——


 ——木下さんには、そんな風に思えないんだ。


 自然に手が伸び、良雄さんの背中にそっと触れた。心の中で「大丈夫大丈夫」と唱えながら良雄さんの鼓動を感じていると、木下さんが話を続け始めた。


「黙っちゃって、よっぽど偽善者って言われたのがショックなの?」

「そうじゃない——」

「あのね、良雄さん、あなたのお兄ちゃんの孝哉くんはさ、ここにいる麗子さんとね、復讐のためだけに私を飼い慣らして、こんな山奥に閉じ込めて、それで今回の計画をした最低なやつだよ! 信用してたのに! 信用してたのに! 信用してたのにぃー!」


 床に向かい叫び声を上げて、ばっと身体を元どおりにすると木下さんはレイコさんに向かって話し始める。


「最後の最後で私に裏切られるとは思わなかったでしょ、麗子さん? 従順な里香ちゃんだと思ってたんでしょ? なんでも準備して、なんでも言うこと聞いてって、思ってたんでしょ! 山奥でもネットで買ったものは届くし、私ならこの場所のことなんでも知ってるから、便利だって、思ってたんでしょ!」

「思ってないよ里香ちゃん!」

「思ってる! なんだよその目、麗子さんのそう言う目が嫌いなんだよ! いつもいつもいつも!」 


 木下さんは「可哀想って蔑むように見やがって!」と吐き捨てるように言い放ち、レイコさんの髪の毛を掴み上げ顔を近づけると、「やられる方もいいけど、やる方もいいって分かっちゃった」と言った後で、手をぱっと離した。そのはずみでレイコさんがまたどさっと床に倒れ込む。木下さんはそれを見下すように眺めてから、袖をまくり手首をこちらに見せた。


「あたし、おじいちゃんとおばあちゃんの家に引き取られてから、自傷症だったんですよねぇ。生きてる意味なんてわかんないし、それに虐待されるのになれてるから、自分で自分を虐待して、お母さんのいた頃のことを思い出すためにも、こうして自分のこと切ってたんですよね」


 木下さんは「これが最近のです」と肘の近くまで腕をまくり、生々しい傷を見せて話を続けた。その顔が気味の悪いほど嬉しそうに見えて身の毛がよだち、背中に冷たいものが走り抜ける。


「自分を傷つけると、流れる真っ赤な血を見て、あぁぁ〜って力が抜けるんですよねぇ。それがだんだん堪らなくなっていて! 親から暴力受けるのが普通だったから、私、痛みに鈍感なんですけど、赤い血が流れると、身体の奥底から興奮するんですよねぇ〜」


 木下さんは嬉しそうに自分の指で生々しい傷跡をぐっと押さえながら話し続ける。ぎゅっと押さえ込む指の隙間から、ぽたっぽたっと、微かに血が床に落ちるのが見えた。


「孝哉くんのやってるNPOに行ってからの私は、ミヨちゃんにいつもでも会えるし、なんの不自由もなく生活できて、そう言うの、忘れてたんですよ。なんか、普通ってこう言うことだったんだ、とか思い始めたりもして。通信制だけど、高校も卒業して、観光の専門学校にも行かせて貰って。そして、ここに就職した。あああ〜、少ないけど、友達とか、できちゃったりもしたんだけどなぁ。みんなが就活で大変な時期に、すぐにここの就職が決まって嬉しかったのになぁ〜。それもこれも、私の努力なんかじゃなくって、全部、全部、裏で手が回っていたってことなんですよねぇ? 麗子さん!」

「里香ちゃん……」

「ほら、また蔑むような目で私を見た。本当にムカつく! でも、もう変なスイッチ入ったから、そう言う目で見られるのも嫌いじゃないです。ふふふ。実はここで働き始めてから、なんだか胸の奥で燻ってるような気がしてたんですよ。オーナーは理不尽だし、毎月五万円もする別荘のサブスクリプションサービスなんて利用する人は普通よりもお金持ちで、べっつにここを利用してもしなくても、五万円くらいどうってことないんですよね、きっと。だから最初こそ忙しかったけど、だんだん暇になっていって、スタッフの数も減っていって、予約がない時は私一人がここに残って、後はみんないなくなって。やることがないんですよね、山奥に一人でいると。どんどん心が蝕まれていくのがわかりましたよ。ああ、孤独になっちゃったって、また暗闇に入っていく感じがして。山奥って、真っ暗なんですよね。それがいつも入っていた押入れに似てて。どんどんどんどん、心が元に戻っていきそうになって。でも、そんな時に出会ったのが、山の家の良雄さんです! いつもキラキラしてて、めちゃくちゃ親切にしてくれて嬉しかった! でも——。

お客さんが来てる時の良雄さんは私のこと邪魔な存在に思ってましたよね?」

「それは、だって、僕には僕の仕事が——」

「ですよねぇ〜! だから鶏をぶっ殺してみたんですよ! 怒って怒鳴り込んでくるかなって思って! 何度も何度も夜中に歩いて行って、寝ている鶏の首を持ってナイフで殺すのに、良雄さんは一度も怒鳴り込んできてくれなかった!」

「だからっ! 里香ちゃんだって疑いたくなかったんだっ!」

「そう言うのが偽善者だって言ってんだよっ!」


 木下さんは、ふう〜と息を吐きながら背伸びをし、またこちらに向い嬉しそうに話を続けた。


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