山道の先に 6
「でも、まさかあの早朝の雷で人が亡くなっていたとは思わなかったなぁ。近くに落ちたんだとは思ったけどね」と、目の前に座っているおじさんが不意に話を始めると、木下さんは、「ですよねぇ。まさかですって」と答える。
「私、結構好きだったんですけどね。亡くなったレイさん。エステか何かを経営してたみたいで綺麗なお姉さんだったし、サバサバしてて危険な香りがぷんぷんしてて。でも、可哀想な死体でした。ね、霧野さん」
「え……?」と、声が漏れる。
「顔見ませんでした? 死んだレイさんの、あの目玉が飛び出た顔。さすがにあの死に方は嫌だなって思いました。大体雷が落ちて顔だけが焼け爛れるなんて、よっぽど前世で悪いことをしたんでしょうか。それとも今世の悪いことなのか」
「祟りとかねぇ」
「そう!
——御面様に祟られる。
御面様と聞こえ、あの時傘の中で聞こえた声は、木下さんの声だったのだろうかと声色を思い出すけれど、低くて小さな声だったと思い出せるだけで、女性の声なのか、男性の声なのかも、今となってはよく思い出せない。それに、直接頭の中に入ってきたような、そんな不思議な声だった。
「お面を祀ることは日本全国まぁあることなんだけど、この間の話はそういうのとは、ちょっと意味合いが違う御面様だからねぇ」
「で、私思い出したんですよね。以前来た時にレイさんが話してたこと」と、木下さんはいい、ちょうど麦茶を持ってきた良雄さんの手からコップを受け取って、ごくごくっと一気に飲み干した。
「はぁ〜美味しい。朝からバタバタで喉がカラカラだったんですよね。で、さっきの続きなんですけど。レイさん、仮面収集家だったそうで。なんでも世界中の珍しい仮面を集めてコレクションしている部屋が自宅にあるとか、ないとか。でもって、その中にはなんと、本物の人間で作った仮面もあったとか。なんて、冗談だと思いますけど、真っ赤な口紅をつけたレイさんに顔を近づけられて言われるとぞくっとしたんですよね。本当に持っていそうだって思っちゃって」
「仮面と、お面は実は違う意味なんだけどね」
「そうなんですか?」
「うん。お面というのは、お能でも使われるように、そのお面自体が主役なんだけど、仮面はつけている人が主役なんだよね。ほら、仮面舞踏会は仮面をつけて舞踏会に参加している人が主役でしょ? 要は、お面というものはお面そのものに意味があるんだ」
「へぇ。そういうもんなんですね。さすが榎田さん、お詳しい。霧野さん、榎田さんはなんて言ってましたっけ? み、民族なんちゃら——」
「民俗学ね」と榎田さんが笑いながら補足する。
「そうそう、その民俗学を調べて全国旅してる人なんですって」
私は「そうなんですね」と、少しだけお仕事モードの口調で会話を合わせた。初対面の人に木下さんみたいな距離感で話はできない。
「毎年うちにも来てくれるんすよね。今年で何回目でしたっけ?」
「今年で、五年、いや、四年か。それくらいかな」
「私はこないだ初めてお会いしたんですけど、榎田さんこの辺のこととかも詳しくて。なんでも、伝説の
——祠。
「それを全国まわって探しているみたいな話でしたよね」
「まぁ、定年後の趣味みたいなものなんですが。お恥ずかしい」
「なんて言ってましたっけ? 美人の村の祠には醜い仮面が眠っててそれを起こすものは祟られる、みたいな、そんな話でしたよね」
「ちょっと違うけど、まぁ、大体そんな感じだね。仮面じゃなくて、お面だけどね。その醜いってとこがね、興味をそそちゃって。醜いお面は何の為に作られて、誰を演じるためのものなんだろうって思ったらね。そういう昔話や伝記の世界を探求するのは終わりがないし一人でできる趣味だから」
そういうと、榎田さんは自分の傍に置いていた茶色いリュックサックからどさっと資料のようなものを取り出して座卓の上に並べた。
「これは、えっと……。そうそう、吉野川の上流にある
榎田さんは手書きのメモや写真がたくさん貼り付けてある資料を、指をぺろっと舐めてめくり、紹介し終わるとまたぺろっと指を舐めてページをめくる。
「で、あった。ここの資料。この
ハハっと顔に
「醜い御面を祀るだなんて、よっぽど何かあったのかと思ってね」
ぼそっと榎田さんはそう呟いて、「おじさんの話を聞いてくれてありがとうね」と微笑んだ。その、榎田さんの向こうでピカッと雷が白く光り、私は怖くなった。榎田さんが探しているのは、きっとリカさんが話していた祠のことだ。
ごろごろと空が呻き声を上げるのが聞こえる。その呻き声は不気味なほどに低く山々にこだましている。リカさんの話していた祠はきっとこの辺にあるはずだ。だって、その場所で悪ふざけをした若者がキャンプに来た場所は、Nature’s villa KEIRYUのある場所なのだから。
——リカさんの話をする? でも、どういう風に言えばいいんだろう?
そう思っているとまた外の世界が白く光った。
「ダメだ。もうすぐ雷が来るわ。里香ちゃん、施設の入口まで軽トラで送ってくわ」
「じゃ。私に荷台で大丈夫です! 霧野様、どうぞ、助手席へ。ここで見た私のことは誰にも言わないでください。あはは、なんちゃって」
白いシャツのボタンをとめながら木下さんはふざけて言った。そのボタンをとめている仕草にふと目がいき、木下さんの手首にいくつもいくつも細い線が入っているのが見えた気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます