俺の体が痛みでヤバい?!
頬に当たる一粒の水滴に、須藤はゆっくりと意識を覚醒させた。
「…あ、ぐ、背中…」
痛ぇ。冷ぇ。
初めに硬い床に悲鳴をあげる背中。次いで横になった目だけ動かし、グルリと周りを見渡す。
伽藍とした何もない四角くて広い部屋。
いや、部屋というより倉庫。ぴちょんぴちょんと滴る水音が灰色世界でも灰色な打ちっ放しのコンクリの壁に、床にわずかに反響していた。
その床には排水溝が格子状に走っていた。
そして鋼鉄の扉が一つあった。
天井は少しだけ高く、ペンダントライトと電気のレーンと配管がぐねぐねごちゃごちゃしている。そこに寝転んだまま手を伸ばしてみる。
「…どこだ…?」
ここは…いや、これはいったい何だ…?
須藤は記憶を辿る。あれは絵子の家に上がって、ドキドキしながら扉を開けたら、優しく微笑む裸の絵子がいて…股を開いて…甘い香りがして…不甲斐なくも心臓が張り裂けそうになって、張り裂けて…ドパッと血が咲いて…
張り裂けて?
血が咲いて?
「うぉっ! あ、ある…? …素っ裸…?」
体を起こし、心臓を触るが、なんともねぇ。
心臓はあった。手足もある。
だが、裸だ。変だ。
別に特段恥ずかしくはないがそうじゃねぇ。
全身体中に至る所に斑点がある。
灰色の世界なのに、蒙古斑のような、青黒い墨色に見える2センチくらいの丸い斑。100均で売ってるシールみたいな、正確な丸さ。それが模様みたいに体中にある。
「気持ち悪いな…」
この斑点は何だ…?
擦っても消えやしねぇぞ…
水玉はパンツだけで良いんだよ…くそが。
それと同時に須藤は絵子の裏切りと、監禁を疑った。だが、どうも復讐された形跡がない。
別に手足も拘束もされてねぇ。
ただ、蒙古斑ドットの裸。
痛みがなきゃ、まだ復讐されてねぇことくらいはわかる。想定外に俺が早く起きたのか? おいおい。お仕置きしてってか? 仕方ねぇな。絶望させてやるか…しかし…
「なんだってんだ…いったい…」
しかしここは本当にどこだ? 何やら倉庫みたいだが…おそらく運ばれたんだろうが…あの華奢な絵子が? いや無理だろ。
須藤はそう思いながら自身の身体をペタペタと触りながら体を起こし、周囲を見廻す。
誰もいない。音も室内は水音だけ。遠くにゴウンゴウンと定期的に響く何か大きなものが回ってるかのような音だけ。
水滴から、地下室なのではと推測するも、ニーナの所有物件にこんなところはない。
と同時に、何故か身体がだるいことに気づく。
身体が何か重いぞ…? いや、頭か…? まるでニーナに試した薬みたいで…
「クスリ…やられたのか…?」
「クスリじゃないよ」
耳元で囁くような、ふわんと優しく弾けるような。そんな優しいお菓子みたいな甘ったるい声色だった。
そう認識した後に襲ってくる感じたことのないレベルの溶けるような無邪気な淫らさ。
初恋の女の声が聞こえた。
「!ッ…」
須藤は座ったまま、瞬間的に後ろに手を伸ばしながら振り向く。そして手は空を切り、いない。誰もいない。
気配すら、ない。
「…絵子…? どこだ! つーか、ここはどこだ!」
「あはは。ここはどこって記憶そーしつみたい。あははは」
須藤は必死で頭を回す。
いや、回すまでもない。地下室、裸、斑点、見えない絵子。こんな理不尽な超常現象、清春しかいねえ。
「清春ぅ!! てめぇどこにい…あぐぅゥゥゥ!? いっだぁ?! な、なんだ?!!」
何かで腕を刺された?!! いや…血は出てないのになんだこの強烈な腕の痛みは…! 爪を割られたみたいな尖った突き刺す痛みは…!
この斑点か…?!
「清春くんの名前なんて言うからじゃない」
「き、あいつの、はぁ、はぁ、仕業か…ははっ、全部バレたのか…しかし、情けねぇ…復讐に女使うなんてなぁァガアアアァァッッ?!!」
こいつまたやりやがった! 同じ痛みだ! どこにいやがる!
「おらぁッ! うらぁッ! この痛みはなんだ! どこにいやがる!」
須藤は手と足を大きく振り回すが、空を切る。そして背中に鋭い痛みがまた走る。
「ギャァァァッッ?!! なんで! 見えねぇ…!?」
「あははは。優しい清春くんがこんなことするわけないでしょ。しかもそんな汚いものブラブラさせちゃって何してんの? しかもおっきくしちゃって。変態じゃない。ぱぉぱぉぱぉーん」
痛さで膝をつく須藤。絵子らしき声の主は、まるで須藤を弄るかのように、無邪気に淫らに笑い、刺すような鋭い痛みを与えてくる。
…かか。嘘つくんじゃねーよ。こんなの理不尽しかありえねーだろが。
…そんなにも…清春をそんなに庇いてぇのか…
それと確かにおっきくはなってるが、別にこんなの変態でも何でもねぇ。何でもない時に大きくなることなんざ、男なら常識だ。それとそそるお前の声がヤバいだけだ。
しかし…痛いっつっても…血は出ない…殺さないってことか? なら死にはしない…煽って近づけさせて捕まえてやる。
声を頼りに…向きは…こっちか?
「…おいおい、初めての男に何しやがんだ。あんなに突いてやったのによぉ? そんなお前の汚れた体なんて清春が使うわけないだろぉが! 躾てやるぞ! オラァッ! くそ…あぎゃぁぁあああ!!?」
須藤は推測で腕を振り回すがまた空を切る。そして臀部に違った痛みが走る。
ケヅに刺されだ!? いでぇ!? 違った痛みだと!? 鈍く重くのしかかるような痛み?! しかも一点じゃねぇ!?
「ニーナ先輩まだ早いよぉ」
「あら…絵子さんが遅いのでは…もう堪らないんですけど…?」
「順番決めたじゃん。ニーナ先輩は6番目」
ニーナの声…?! もしかして全員いんのか?! やべぇ、この痛みが続けばどうなるかわからねーぞ!? あの扉だ! 走れ!
「うおおおおぉぉぉッッ! なんてな! ウラァァアッ!」
自身を囮にし、出口に向かったかと思わせて反転して殴る須藤。だがやはり空を切る。そして殴るために踏ん張った左の太腿に熱が走り、ジンジンとした痛みが連続で走り、膝から崩れ悶絶する。
「グァああぁ?! いぎゃぁあああ!?」
「ククククククズが、ひひひ必死すぎて、たたた楽しい、わらわらわらわら笑える…あはははははは…」
「有紀…嬉しそうね。はぁ。私はあんまり喜べない…わッッ!」
「あがぁぁぁ!?」
有紀か…! 相変わらず気持ち悪い喋りしやがっで…! それと…玲奈か! こいつら痛みの質がみんな違う?!
「オラァ! また空振り…あぎゃぁぁあああ──!?」
「ほら須藤。あなたの好きなお尻なの」
またケツにぃ!? 文香か?! こいつの痛すぎるぞ?! まるで切り裂かれたような痛み! ケツは…割れてねぇ!
「ちょっと文香まで邪魔しないで」
「…えっちゃんの言うことは聞かないの。わたしはあなたも許さないの」
「はぁ? 一度わたしそれで刺したよね? それで許したよね?」
「やっぱり全然足らないの」
「まあまあお二人とも。今はそんなこと言ってる場合じゃないでしょう?」
「三番は黙ってるの」
「あー! また番号で言った! 番号は生々しくて嫌だって言ったじゃないですか! って誰が三番目の女ですかぁッ!」
「あぎゃぁぁあああッッ!!?」
杏子か?! 肩がいでぇ! 重く鈍く響いて…! 膝を太腿に食らったような痛み…! やっぱりこいつら痛みの種類が全員違う!
「あ、あが、あ、あ、あ、てめぇら…はぁ、はぁ、ご主人様に向かって…」
くそがッッ! このままじゃ身体じゃなく気が狂っちまうぞ! 何か、何かないか! 一人捕まえちまえば…! いや違う! 何か探せ、こいつらは所詮操り人形だ…何か…ないのか…?
周りを見渡すが、やはり誰も見えない。自由に動き回れるのに、誰にも触れられない。
理不尽にこんな機能なんかなかったぞ!
「とんだヒーローが居たものね。というか、杏子さん、口上がいるんじゃなかったかしら?」
「玲奈先輩…今は…ヒーローなんかじゃないです。守りたいものを守るんです。これ以上失わないように! それだけですからッッ! はぁーッッ!」
「ぎぃぃぃぃィィィ!? あ、杏子てめぇはぁまたぶち犯すからな?! オ"ラァ!! ひぎゃあぁァァ!? 絵子おまえぇぇぇ──!」
波打つような重く鋭い痛みとまた突き刺さる痛みがぁぁ! 内臓を突き抜けてるようにしかしねぇぇぇ!?
そうか…こいつらもってる獲物が違うのか…拾え…情報を拾え…両手を広げて走り回りたいが…有紀の一撃がまだジンジンしてしつこい…
「強姦魔を壊すなんて、立派なヒーローじゃん…もう…一人ずつなのに…一番はわたしなのに…おお? 大輝泣いてる泣いてる。ぱぉん、おっ立てて泣いてる。くすっ。というか涙出るんだね…不思議…」
何言ってやがる…涙くらい出るに決まってんだろぉが! 待て、待て、頭に血を昇らせんな…落ち着け、落ち着け…
「…そうよね…はぁ。理森があんなだったなんて知らなかったわ…今度きちんと問い詰めないと…それより」
「ふふ。ねぇ、大輝、痛いでしょう? 苦しいでしょう? この痛みはね。わたし達の…初めてを失った時の痛み…だって。みんなそれぞれ違うんだ…よ?」
「…な、はぁ、はぁ、何言ってん、はぁ、はぁ、だ… こんなに、んぎ、痛いわけ、はぁ、ねーだろが…お前らに、はぁ、はぁ、この痛みが、わかるかよ…それより、はぁ、もう、やめ、て、くれ…俺が、悪かった? あ、あ、あぎゅぇぇぇえええ────?!!」
心臓にぃ…突き刺さるぅ…痛み…意識が…飛ぶ…その方が…楽か…か…かかか…かかかか…
「ちょっと恥ずかしいけど…わたしの初めて…大輝にあげる…ね? …ってあれれ? もう逝っちゃった…の? 朝までって約束したじゃない。もう、そういうところだ…よ? 今日は寝かせないから…ね? 桐花ちゃん鉄棒」
「うん」
「ッうっぎゃあ─あああ頭がぁぁあああ?! おぅげええぇえええッッ──!!?」
何かに殴られたような痛みが頭に走ったあと、須藤は盛大に吐き、文字通り意識を叩き起こされた。
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