舟田文香は聞かせて欲しい。

「しね、しね、しね、しね」



 カーテンを閉めたままの昼下がりの自室。

 私はベッドの上で天井を見上げながら一人コールしていた。



「しね、しね、しね、しね」



 恨み、辛み、怨み、憎み、そして憤り。

 とても深く深く苦々しい怒りと悲しみ。


 ようやっとそれらに順序良く支配され、そして自力で乗り超えようとしている。


 れっちゃんのお友達がくれたお守りはめちゃくちゃに効いた。


 だからめちゃくちゃに切り裂いてやったの。


 だって邪魔するの。


 この純粋な思い想い重い気持ちを邪魔するの。


 この煮込みたいくらい暗い昏い闇い純然たる気持ちを邪魔するの。


 だから切り裂いて燃やしてやったの。


 私の思考を邪魔する不当で不順で不純なものはいらないの。



「しね、しね、しね、しね…ふふ、ん…」



 クズのパスが切れた時。


 解放された安堵と共に、凄まじい恐怖がやってきた。そしてそのすぐ後に、あろうことか、パスはそのままで良かったのに、なんて考えてしまった。


 だってきよくんに会っても結ばれないなら、あのクズと一緒の方が良かった。


 だってあのクズと同じクズの位置できよくんに蔑んで見られたかったから。



『──すげぇ気持ち悪いな。お前』



 でもそれは間違いで違った。


 ふふ。そうなの。


 私、気持ち悪いの。


 きよくんにそう言われたのは最近のこと。でもそれは中学で私がきよくんに散々使った言葉だった。


 全部覚えてるの。


 きよくんもそうだったんだ。


 だから気持ち悪いって絶対言ったの。


 だから私ときよくん、唯一共通の思い出のパスワードになったの。


 昔のは…処女と一緒に失ったの。


 だからいつも無意識下で探していた。


 そしてついに探していたものが見つかったの。


『──すげぇ気持ち悪いな』


 なんて素敵な言葉なの。


 きよくんに言われたいの。


 もっともっともっと言われたいの。


 だからクズの位置から這い上がる。



「気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い。気持ち悪い…オェ…ふふ、ふふ、あ、ん…」



 卑しくて賤しくて嫌らしくて。


 とっても気持ち悪い私なの。



「あ、ん、ふは、ぁ、ぁ」



 見上げている自室の天井は、明るい空色の壁紙だった。


 それは父と母が決めた私の色だった。


 この部屋の中で本を開けば、まるで何もない空の真下で読んでいるみたいだった。


 きよくんへの何十枚ものラブレターもここで書いた。


 でも今は違う用途で上を見上げていた。


 それは私の黒く濁って澱んだ心との対比、コントラストで、より高く遠く輝いて眩しくて見える。


 つまり私のようなクズの女が囲まれていい壁紙だった。


 そう、この部屋にさえいれば。


 惨めさ、憐れさ、侘びしさ、傷ましさ…いろいろ言葉はあるけれど。


 それらがどうしようもなく爽やかで清涼感のあるこの壁紙と敵対し、私を蔑み、地に堕とす。


 地べたを這う虫みたいな私に、彼のいる届かない空はお似合いなの。


 お似合いな二人なの。



「しぬ、しぬ、しぬ、しぬ、ん、ん…」



 恋は萎れて萎んでシナシナに。


 愛は枯れに涸れてカラカラに。


 なるわけないの。



 空にいる彼に、空っぽみたいな今の私は届かなくて。


 身体は須藤で汚くなり。魂は悪魔で穢くなった。


 でもその汚泥に塗れながらも震える手を必死に伸ばす。


 不器量でみにくくて見苦しくてみっともなくも手を伸ばす。


 カサカサと死にかけの虫ケラみたいに足掻きながらも手を伸ばす。


 後悔している暇はない。



 そのカサカサでカラカラで消し炭みたいな恋の欠片を砕いて砕いて煮込んで煮込んで。


 その真っ黒で真っ暗になった愛の欠片をかき集めてまだまだたくさん煮込んで煮込んで。


 その古びた恋とその錆びた愛を掻き混ぜながらまだまだ煮込むの。


 そして抽出できたなら。



「須藤を殺すの、ぁ、ぁ、ん」



 そして、クズを野放しにした阿呆の幼馴染、柄本絵子。私からきよくんを奪って捨てた泥棒猫。


 私が先に好きだったのに。



「えっちゃんも、んん"…殺すの」



 ふふ。えっちゃんの事は私が一番よく知ってるの。


 太陽や向日葵みたいなあの笑顔が、クズを召喚し、きよくんを泣かせ、私を生贄にしたの。

 

 だから切り裂いてあげるの。



「でも…ん、ぁん、これは…救済なの」



 だってお前が原因なの。

 えっちゃんは自分でわかってるはずなの。

 自覚し自問し、思考ループしてるはずなの。


 だから断ち切って救ってあげるの。

 

 心安らかに安心して悪夢の始まりは静かに死ぬがいいの。


 あのクズと幼馴染だったことを呪いながら死ぬがいいの。


 ふふ。えっちゃんは涙を流して感謝感激するの。


 そして。



「気持ち悪い私を、あれ以上にそれ以上に切り裂いて欲しいの」



 きよくんに、是非是非されたいの。


 ああ、でもこんなにカラカラで枯れ涸れた汚いゼヒゼヒした声なんて、きよくんには聊かなりともまったくこれっぽっちも届いてくれないの。


 だから、襲うの。



「文香の体も心も。んん"…きよくんへの恋もぁ、愛も…総て、凡て、全てを、ぉ、お"! …メタメタに切り裂いてアワアワに掻き混ぜて欲しいの…ん、ん…」



 ああ、切り裂いて咲いて欲しい、恋の花弁。


 ああ、目を向いて剥いて欲しい。愛の果実。



「なんて卑しくて賤しくて…んん" いやらしくって……ぁぐ、ん"、ん… とってもとっても気持ち悪いの…ぁふ、ふわ、ああ"、ん…」



 私は思う。


 きよくん…また気持ち悪いなお前って、どうかどうか聞かせて欲しいの。

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